逢魔ヶ時−3

 

イルカは準備室で次の授業の用意をしながら、自分の思考が授業の事ではなく、謎の突然死事件に向いている事に気づいた。
カカシの話では、もう4人が死んでいて―――そのうちの2人までがイルカの顔見知りだった事が、彼の胸を重くふさいでいる。
忍を稼業としている限り、人死にには嫌でも慣れる。
ただ、その死の原因もわからないのが気持ち悪いのだ。
イルカは気持ちを切り替えようとするかのように、トン、と資料を手の中で揃えた。
指に、小さな鋭い痛みが走る。
その指を、イルカは無意識に舌先でなめた。
口の中に広がる馴染みのある味。
「血って…みんな同じ味なのかな………」
イルカの小さな呟きを聞き取った人間はいなかった。


教室の扉を開ける前に、イルカは習慣で戸口の上を確認した。
ナルトがまだ生徒だった頃、よくやられた悪戯に用心しているのだ。
「………懲りないと言うか、飽きないと言うか…」
戸と柱の隙間に突っ込まれた黒板消し。
ガラ、と扉を開けて、降って来た黒板消しを片手で受け止める。
それ以上のトラップは無いと判断したイルカは、教室に足を踏み入れた。
「誰だー? 先生を試してやろうっていう度胸のいい奴はー」
後二、三年はアカデミーで勉強が要るだろうという年齢の子供達を見回し、イルカは苦笑を浮かべた。
「はあい!」
可愛い声がして、元気良く手が挙がる。
「おう、潔いな。……名前は?」
手元の名簿を見ながら、名乗り出た悪戯者の返事を待つ。
「クジラ」
イルカは反射的に顔を上げ、『犯人』の顔を凝視した。
黒い髪、黒い眼の、特に目立った特徴は無い子供。
見覚えの無いはずのその子の顔に、イルカはある面影を見いだしていた。
自分自身の時を戻して、顔から傷を取ったら…こんな子供だったはずだ。
それから名簿に目を戻し、一応その名を捜す。
そんな名前があるわけがなかった。
(……どーして大人しく目立たないように後に座っていられないんですか、アナタは…)
イルカは胸中盛大にため息をついた。
子供達は、『クジラ』がいる事に何の違和感も感じていないらしい。
一種の催眠術でも使ったのだろう。
「……潔く名乗り出たのは誉めてやるが、悪戯はダメだぞ。でも、そうだな…名乗り出た褒美に、特別に選ばせてあげよう。明日までに忍の心得第三十項までを十回ずつ書き取るか、この時間中バケツ持って廊下に立っているか。…どっちがいい?」
「せんせー、バケツって、水入ってるの?」
悪戯ッ子は嫌そうに口を尖らせる。
「もちろんだとも。でかいバケツ縁までいっぱいに入れて、左右に一個ずつな」
「……書き取りやりまぁす……」
教室中に、クスクス、としのび笑いが洩れた。
イルカはパンパン、と手を叩く。
「よーし、じゃ授業始めるぞー! 今日は、忍だけが使う暗号文字について……」


 

「もー、何なんですかカカシ先生、あの悪戯は」
イルカに睨まれて、カカシはハハハ、と頭をかく。
変化を解き、いつものスタイルに戻ったカカシはちゃっかりとイルカの家に来ていた。
授業はあのまま何事も無く終わり、その間『クジラ』ことカカシは一応大人しくはしていた。
だが大勢の子供達と一緒に「先生、バイバイ」と手を振りながら彼が教室から出て行った時は、普段の倍の疲労感に思わず教卓に突っ伏してしまったイルカだった。
「七班と初顔合わせの時、ナルトにやられたんですよ。それがまあ、殺気とか危険性が無いもんだったから、見事に引っ掛かっちゃて……んでね、イルカ先生だったらああいう時、どうするのかなーと思って…」
「あのねえ、俺はそのナルトの受け持ちだったんですよ? ああいう類の悪戯には慣れています。子供なんて、程度の差はあってもみんなナルトみたいなモンなんです。他愛も無い悪戯をして、喜んだり、怒られたり……そうして、色々学んでいくんですよ……」
「なーるほどね、イルカ先生は慣れてたんで用心深かったんだ。ちえー、オレくらいかあんなアホくさいもんに引っかかる上忍は……」
カカシは面白くなさそうに口を尖らせた。
「俺の頭をチョークの粉だらけにしたかったんですか? 困った人ですねえ」
イルカの苦笑に、カカシは途端に小さくなる。
「……別に、アナタに恥をかかせたかったわけじゃなかったんですけど…ゴメンナサイ」
カカシはうん、と頷いて何やら紙をテーブルに広げ、ぶつぶつ言いながら何か書き始めた。
「………せんせー、忍の心得第十六項って何でしたっけー…」
「貴方、まさか罰の書き取りやる気ですか…?」
「だってオレ、バケツ持って廊下に立ちませんでしたから」
はあ、とイルカはため息をついてカカシの指先から紙を抜き取った。
「…………第一項しかあってませんよ。この、二の項目に書かれているのは心得の五です」
「…うっそ。……オレ、そこまで記憶力鈍ってませんよ! 一応それくらいは覚えさせられたんだから」
イルカは本棚から巻物を持って戻って来る。
「はい」
忍の心得を記した巻物だった。
カカシは中身に目を走らせる。
「………嘘……増えてやんの……」
「まあ……これは完璧に覚えてなくたって任務に支障はないですから……」
カカシはばた、と後ろに上半身を倒した。
「う〜…オレってばマジにアカデミーやり直し?」
「……きっと、貴方が中忍になった後に書き足された項目があるのでしょう。
……俺がアカデミーにいる時に増えたものもありますからね。…気になるなら、その巻物お貸ししますよ。俺はもう覚えてますから」
「はは…そうですね…」
カカシは幼くして忍になり、異例の早さで中忍に、そして上忍になったと聞く。
忍としての才を早い時期に開花させた少年に、周りは何を教えたのだろう。
ゆっくり育てようとはせず、即実戦で使える技や術ばかりを幼い子供に詰め込んだのではなかろうか。
イルカは顔を顰めた。
火影も何故それを止めなかったのだろうかと、苦々しく思う。
それほど早熟で天才的な子供がいたら、その存在が火影の耳に入らないわけが無いのに。
あの長にはきっと長の考えがあるのだろうとは思うのだが、イルカにとっては納得しかねる事も多い。
ナルトの処遇についても、もっとあの子を傷つけない育て方があったはずだろうと思うのだ。
封印を施した四代目の気持ちを知っていて、何故あの子が里中から疎まれるのを黙って見ていたのだろう。
いくらでも、いくらでもあの子を守る方法はあったはずなのに。
そう考えれば、里のやり方―――体質というべきものなのか―――は、きっと昔から同じなのだろう。
忍は道具。
まだ幼い子供でも使えれば使うし、バケモノを封印されている赤子は生きた入れ物。
イルカは思わず身震いした。
自分もその里の忍なのに。
「…イルカ先生? どうかしましたか…?」
イルカが眉を顰めて黙り込んでしまったので、カカシは起き上がった。
「…いえ、…何でもないですよ。……もう中忍や上忍の資格を持っている忍者にも、何年かに一度試験が必要かもしれないなーって、思ってたんです。いっそ、全員定期試験制度にしたらどうでしょうかねえ。下忍も中忍も上忍も、それぞれの試験を定期的に受けるんです。で、腕が落ちていたり知識が欠けていたら降格。ある水準をクリアしたら昇格ってのはどうでしょうね。みんな、精進すると思いません?」
そんな事を考えていたわけでもないのに、すらすらと口から出任せに近い事をしゃべっている自分に、イルカはますます嫌になった。
うへえ、とカカシはうんざりした顔をした。
「それって…すげー大変……Aランク任務100回で試験免除とかないんですかー?」
「そういうのも考慮されるでしょうね、無論」
イルカは真面目に頷いてみせる。
「ちょっとちょっとぉ……まさかアナタ、その案を本当に三代目に提案したりしないでしょうね。あの爺様、貴方の言う事なら聞いちゃいそうで怖いんですけど…」
イルカはやっと表情を緩めた。
「まさか。俺なんかが三代目にそんなに影響力があるわけないでしょう。…それに、これは里のシステムにも関わってくる事です…そう簡単には変わりませんよ」
そうですかね、とカカシは口の中で呟いた。
「ひっくり返すのは結構簡単かもしれませんよ。…革命は一夜にして起こる。明日には忍と言う職業自体が無くなるかもしれない。…それを考えりゃ、昇格試験制度を変えるくらい、簡単ですよ。…里の体質はそうそう変わらないかもしれませんが、やり方を変えるくらいは、ね」
イルカは内心ぎょっとしてカカシを見た。
まるで心の中を見透かされたような気がする。
カカシは、静かな笑みを浮かべていた。
カカシにも、自分の生い立ちや体験を通して、里のシステムについて思うところがあるのかもしれない。
「……貴方が五代目にならないかな……」
イルカはカカシの頬にキスした。
「無理ですよ。オレ、偏ってますもん。それくらいの自覚はあります。あ、でも火影になったらオレ、アナタを専属の秘書にしちゃうなー」
カカシはキスしてきたイルカをすかさずぎゅうっと抱き締める。
「……公私混同です……それは…」
「ホラね? だから向かないんですよー…オレみたいなのは長に」
キスして、笑いあって。
カカシはまだイルカの暖かい身体が自分の腕の中にある事に安心していた。
火影になれば、イルカの命を守れると言うのならどんな事をしてでもなるだろうが。

とにかく、当面は時間の許す限りイルカの近くにいよう。
カカシはイルカの背中を抱きながら決意を新たにしていた。

 

 



 

やっぱり話が進展してないわ〜・・・メソ。
(いえ、私は一応ラストに向けて書き進めているつもりなんですが・・・)
カカシが『クジラ』と名乗った理由については、SS『HOLIDAY』参照のこと。(笑)
クジラちゃん、しばらくイルカの授業に出没。
そりゃあ銀髪より黒髪の方が目立たないけどねえ・・・

 

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