逢魔ヶ時−1

 

夕日が、まるで大きくて真っ赤なお盆のようだ。
イルカは目を細めてお天道様がゆっくりと建物の間に沈んでいくのを見送っていた。
一日の仕事が終わり、家路を辿るこの時間。腹はやや空腹を訴えている。
今日は三日ぶりに任務から帰ったカカシが夕飯を食いに来る予定だ。
彼がちゃんと里に帰ってきているのは知っている。
昼間、授業を終えて教室から出たイルカに廊下の端から手を振って、カカシは自分の帰還を知らせてきたから。
帰り道に色々と食材を補充しなくては。イルカは、頭の中で冷蔵庫の中身をさらっていた。
「結構よく食うもんな、あの人……」
ふと、その眼がある一点を捉える。
「…?」
人影が、見えたような気がしたのだが。
その視線の先には大きな木と、根元に置かれている古ぼけたベンチがあるだけだった。



「……お前、どう思うよ…これ」
カカシはめくっていた白い布を元に戻し、大儀そうに腰を伸ばした。
「うー…どうって言われてもねえ…オレにはごくごく普通のホトケさんにしか見えないけど。…外傷なし、苦しんだ様子もなし。…えーと、毒物は検出されなかったんだよな?」
アスマは苛々と煙草を噛んだ。
「あのなー、死因がすぐ特定されるようなホトケなら、わざわざお前に見せるかよ」
そりゃそーだ、とカカシは額当てをずらし、もう一度布をめくって死体を観察する。
「…うーん…術の痕跡は見えません。…大体さあ、写輪眼ってこういう使い方しないのよ。お前らこの眼の能力、勘違いしてない?」
「でも、俺らには見えないものも見えたりするだろう?」
「…まあ、そういう事もあるけどねー…この死体は古すぎだ。もっと死にたてホヤホヤじゃないとなあ…追うものも追えやしない。術掛けられて死んだんなら、だけど。……イビキにわかんないもんオレに見せるなんて、よっぽど困ったってわけだー」
カカシ、アスマ、イビキの三名は冷たくなった同胞の忍者を囲んで立っていた。
「…これで、三人目だからな」
ぼそりとイビキは呟いた。
「不審死が?」
「ああ」
ふうん、とカカシは相槌を打って屈み、もう一度死体を検分した。
「……だぁめ、やっぱわかんない。…医学的に見てわからんものなら、もうお手上げよ。どーせ、髪の先から足の指の爪の隙間まで調べたんだろ? …こいつ、そんな危険な任務についてたの?」
見たところ中忍。せいぜいBランクの仕事しか回らないはずだが。
「いんや、そいつは内勤。滅多に外の任務にはつかない」
「んじゃ、ぽっくり病? …突然死ってやつ…」
そこでカカシは顔を上げた。
「……三人目って言ったな?」
アスマは嘆息した。
「そ、三人目のポックリさん。最初の時はそれで片付けられても、ここ十日あまりのうちに三人じゃな…死因の徹底究明を余儀なくされるわな」
何でこんなお鉢が自分の所に回って来るんだ、とアスマはうんざりしているようだ。
「三人の共通項は?」
イビキは口を歪めて、顎を撫でた。
「……いずれも、中忍。どちらかというと、穏やかで大人しい…目立たないタイプ。それくらいしか共通する事はない。過去、こいつらが同じチームで任務をこなした事はないし、年齢もバラバラ。つまり、同一の人間に狙われる可能性は低い。前の二人は妻帯者。今度のコイツだけが独身。女がらみのいざこざも無し。…ま、これは他殺と見ての線だけどな」
カカシは首を傾げる。
「里の中で殺し? やだねえ…頭がイッちまってる奴なら、もっとハデに殺す筈だし……おい! 病気って線は本当にないのか? 里でまだ解明されてない伝染病だったりしたらどーすんの」
「あ? 空気感染ならもっとたくさんバタバタ逝ってるって。接触感染の線も薄い。こいつらの女房や家族、同僚はピンピンしてるからな」
「潜伏期間に個人差があるかもしれないだろ」
イビキとアスマは顔を見合わせて肩を竦めた。
「………カカシ君、結構鋭いねえ…そうだったらどうしようもないなって話していたとこさ。お前に見せたのは、藁にも縋る気分だったんだけど」
巨漢二人は、けろりとして腕組みなぞしていた。
「ま、前の二人は文字通りばらばらにしてみても不審な点は全く見つからなかったから、病気じゃ無さそうなんだけどな。念のため、死体を保存して様子も見ているけど、これまた変わった点はない。伝染病の疑いが濃かったら、こんな場所で死体の検分なんかやるかよ」
「それもそっか」
カカシは、生前のこの忍に会った事は無かった。
だが内勤の中忍と聞いて、自分の恋人の同僚だったかもしれないなと思い、改めてホトケに手を合わせる。
「…殉職扱いにしてやれるの?」
「まあ…勤務時間内に死んでいるのが見つかっているから…そうなる…かもな。火影様がお決めになるだろうよ」
カカシは立ち上がって、額当てを元に戻した。
「……だな。……あ、何かわかったら教えて。オレも何だかすっきりしないし。……あ、今夜はオレ、自分の部屋にはいないからねー。イルカ先生んとこいるから、何かあったらそっちに連絡ちょうだい」
アスマは呆れた顔を作って、肩を竦めた。イビキはカカシのセリフなど無視している。
「…へいへい、わかったよ。お前、あの兄ちゃんと結構続くねえ」
カカシは戸口で振り返り、にっこり笑う。
「イルカはオレのオアシスなのよ」


 

カカシがイルカの部屋の扉を開けて中に入ると、奥の方からイルカの声が聞こえた。
「お帰りなさい」
「…ただいま〜…何やってんですか? イルカ先生」
サンダルを脱ぎ、奥に足を向ける。
イルカは自分の寝台を睨んで立っていた。
「いや…これ、実は前の住人が置いてったものをそのまま使っていたんで、結構痛んできてたんですよね。……スプリング、バカになってるとこ多いし…」
「そういや、動くと結構ギシギシいうよね、これ…」
イルカはほんのり赤くなった。
イルカ一人が大人しく寝ていれば、もっと持ったのかもしれないが…最近は二人で寝ている事が多い上、大の男二人がその上で運動するものだから痛みの進行が早くなったのだ。
「…だから、その…買い換えようかと思って…ちょっと思案を」
「思案?」
「……ダブルがいいか、セミダブルでも間に合うか。……広い方が気持ちいいかな、とは思うんですがやっぱりダブルじゃ場所取り過ぎるし、第一貴方がいない時寂しくて仕方ないだろうし…という事で、セミダブルを買おう、と今結論づけていたところでした」
後ろからのし、と肩に顎を乗せてきたカカシに、イルカは顔を少し傾けて唇の当たった所に軽くキスした。
「買いに行くの、付き合ってくれます?」
カカシは喜んでイルカの首にじゃれついた。
「行く! 行きます! オレ、枕プレゼントしますよ。オレがいない時用に、抱き枕も要りますか?」
「抱き枕じゃ貴方の代わりにはなりませんよ」
イルカは笑って、三日ぶりに逢う恋人の細い手首に唇を押し付けた。
「さ、メシにしましょ、カカシ先生。…貴方の好きなきんぴらありますよ。枝豆も。先ずはビールで乾杯。ね?」
「イルカせんせー、大好き〜〜」
ぐりぐりと頭を押し付けてくるカカシに、イルカは苦笑した。
「カカシせんせ、それじゃナルトと変わりませんよ」
「オレは食い物につられてるだけじゃないもーん」
はいはい、とイルカは背中にカカシを貼り付けたまま、台所に向かう。
「シャワーは?」
「後で」
「じゃあ、ビール冷蔵庫から出してください。コップ、いつものとこですから」
「はぁい」
やっとカカシはイルカから剥がれ、彼の指示通り酒の用意を始めた。
付き合い始めて半年。
最近ようやく、この中忍は上忍に小さな用を言いつけるようになった。それがカカシには嬉しい。
イルカにとっては年上で、ランクも上の恋人(おまけに男)だ。
ベッドで抱く方に回っていても、彼は決して思い上がった態度を取る事は無かった。
その控えめな態度は好ましい一方、恋人にしては少し他人行儀な気がしてカカシは寂しく思う事もあったのだ。
ビールで三日ぶりの再会を祝し、カカシは幸せそうにイルカの作った夕食を口に運んでいた。
「美味いなー…やっぱ、ここで食うメシがオレには最高です〜。もー、嫌な事も全部吹き飛びますね」
「それは良かったですが…任務で何かあったんですか?」
カカシは少し思案してからイルカに打ち明けた。
「別に口止めされなかったから、いいか。…昼間、死体の検分なんかやらされたもんでね。死体なんか見慣れているし、食欲無くすような惨い有り様でも無かったんですが…不審死らしくてね。…あ、すいません。やっぱ、食事中の話題じゃなかったですね」
イルカが眉を顰めたのに気づいたカカシは話題を変えようとした。
「いいえ…話題が気持ち悪かったんじゃないんです……それ、もしかして葛葉って奴じゃなかったですか?」
カカシは記憶を探っていたが、やがて諦めた。
「いや、オレはホトケさん見ただけでね。…名前まで聞かなかったのでわかりません」
実は、と前置きしてイルカは眉を顰めた理由を話し始めた。
「俺の同僚、ここ数日で二人ほど死んでいるんです。…一人は受付の常勤。もう一人はアカデミーの事務担当。二人とも通常任務はデスクワークで、危険な任務についた上での殉職ではありません。…不審な点の多い、謎の死です。…死因が特定できないんです。貴方が見たのは、俺の同僚かもしれません」
カカシは素直に認めた。
イルカが知っているのなら、殊更隠す必要も無い。
「おそらくは、そうでしょう。内勤の中忍という話でした」
「…死因、わかりましたか」
カカシは首を振り、さっぱり、と肩を竦めた。
「写輪眼は万能アナライザーじゃないもんで。ま、わかったら儲けものって程度でオレに見せたみたいでしたけど。流石に不審死も三人目となると、三代目も頭が痛いでしょうね」
「三人目…俺の知らない人も亡くなっているんですね…」
「……他国の陰謀じゃないといいんですがねえ…そんなんだと、またこき使われっちゃう…」
その時、ちらりとカカシの胸を嫌な感触が通り過ぎた。
ここ十日のうちに不審な死を遂げた三人の忍の共通項。
あまり荒事の任務に就いていない、内勤の中忍。
性格は大人しめで穏やかで、どちらかというと目立たない男。
イルカがこの共通項に属さないタイプだとは、誰も言ってくれないだろう。
イルカは芯のしっかりした骨太の性格をしているので怒る時は怒るが、普段は人当たりが良くて、優しい。
穏やかで、おおらかな気を持っている。
だからこそ、カカシはイルカの側で寛げるのだが―――
カカシはがっしと恋人の手を掴んだ。
「イルカ先生! 気をつけて下さいね! 知らない人について行ったり、貰ったものを食べちゃだめですからねっ!」
イルカはカカシが冗談を言っているのだと思ったらしい。
ははは、と笑って、「はい、そうします」と軽く返してきた。
カカシは真剣だった。
イルカの周辺の人間がこの災厄に見舞われているのなら、放っては置けない。
いつ彼にそいつが飛び火するか、わかったものではないではないか。
ワケのわからないものにイルカを奪われるのは真っ平ご免だ。
カカシは密かに原因究明に尽力する事を誓う。

正義感や義務感からではなく、どこまでも私的な動機で動く男であった――

 



木の葉の里連続殺人事件。
イルカせんせーの運命や如何に。

………何てほざいているうちは大丈夫ですんで、ご心配なく。(笑) 痛い話になる予定はナシ。

 

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