女性の友人同士の『デート』なら、洋服や可愛らしい小物、靴やアクセサリーのウィンドウショッピング、歩き疲れたら甘いものでも食べて、と昼食から夕食まであっという間に時間が経ってしまうだろう。
だが男二人、しかも初対面での『デート』はいささか趣きが異なる。
本屋で結構時間をとってしまったが、それでも夕食までは結構あった。
「さて、どこか見たい店でもありますか?」
イルカはこりこりと頭をかいた。
「いや〜…買って帰ろうかと思っている物は、日常品ばかりでして。わざわざお付き合いして頂くようなものでもないから、今はいいです」
「石鹸とか歯磨き粉とかトイレットペーパーとか…?」
「そう、そういった物です。今買うと、かさばるし」
「んじゃ、後にしますか。あー、そうだ。それじゃあ花でも愛でに行きますかー」
青年の提案に、イルカは何も考えず頷いた。この近くに植物園か公園でもあるのだろうと思いながら。
「……『花』って…こういう事ですか…」
イルカはアイスコーヒーのストローを咥えながら、横目で青年を見た。
「……ストリップ小屋の方が良かったですか? それじゃアナタがまずかろうと思ったんですが。ねえ、先生」
イルカは真っ赤になって首を横に振った。
二人は目抜き通りに面した路上喫茶で、道行く華やかな女性達を『見物』していた。
「あー、あの二人連れ。貴方ならどっちがいいですか?」
赤くなりながらも、イルカは青年の言葉につられて女性の方を見てしまう。
「……どっちかって言うと…右の…髪の長い方が好み……かも」
「清楚な感じが好きなんですね。ハデな女、苦手でしょ」
「はあ……」
青年は、女性達に勝手な採点をしている。
「あれは嘘胸だなー…全体のバランス考えて上げ底しなけりゃかえっておかしいだけなのにねえ。顔はまずまずなのに惜しいな。八十点ですね。……うっわー、あれすごい。元の顔がよくわからん程の厚化粧。マイナス二十点」
「……もったいないですね。若い子は素のままが一番綺麗なんでしょうに…」
ぽそっと呟いたイルカを、青年は面白そうに見る。
「もしかして、そういう色気づいた生徒もいるんですか?」
イルカは苦笑した。
「いやあ…俺の受け持ちはまだ子供って感じで…俺が見てすぐわかるような化粧をしている子なんていませんよ。…おませな子はいますけどね」
「大変でしょうねー…冗談抜きで尊敬しますよ。オレ、自分がまだ生徒だった頃、周り見回して思いましたもん。大きくなっても絶対先生にはなりたくないって。だって、すごい大変そうに見えましたから」
イルカは笑うしかなかった。
「そりゃもー…大変ですけどね。…時々キレますよ。悪ガキもたくさんいますしねー…悪戯が日課みたいなのもいたりして……」
「キレます? 貴方、温厚そうなのに」
「キレますとも」
「ブチっと?」
「ええ、ブチっと」
青年とイルカは顔を見合わせて笑った。
「そりゃー息抜きも必要ですねえ」
そこへ、妙齢の女性二人組みがイルカ達に声を掛けてきた。
「ねえ、貴方達、二人でしょう? あたし達と一緒しない?」
女性の視線はイルカではなく、サングラスの青年に注がれている。青年は唇の端で笑った。
「そりゃ光栄だね。でも、ダメ」
青年はテーブルの上の、イルカの手首を掴んだ。
「この人はオレがナンパしたんだから。君達にはあげない」
青年の言葉に、女性達はキャーッと悲鳴をあげる。
「ち、ちょっと! そんな言い方……」
慌てるイルカに、青年は平然と返す。
「本当の事でしょう?」
女性達はキャーだのイヤーだのと悲鳴をあげながらも、きゃらきゃら笑いながら逃げていく。
その背中を、イルカは呆然と見送っていた。青年は人の悪い笑みを口元に浮かべている。
「…勝手に断ってしまって悪かったですね。女の子と行きたかったですか?」
「い…いえ……そんな…だって、あの娘達は貴方がお目当てに見えましたから…貴方こそ、俺に遠慮しなくても良かったのに」
青年は真面目な顔で首を振った。
「遠慮なんかしていませんよ。…女の子に気を遣う気分でもないんで。それに……自分から男に声を掛けて来るような積極的なご婦人を相手にしてたら、貴方休養になりませんよ。子供の相手をするより疲れてしまう」
たぶん、この青年の言う通りだとイルカは思った。
イルカはああいうタイプの娘とは普段あまり口をきいた事もない。付き合っても、振り回されて疲れるだけだろう。
青年は本の包みを手に立ち上がった。
「…貴方の心を癒してくれる、本物の寡黙な花を見に行った方がいいですね。…春なら桜とか咲いてい
るんでしょうが…さて、今頃だと何かなあ…」
青年の差し出した手を、イルカは自然に掴んでいた。よいしょっとおどけた掛け声と共に、青年はイルカを引っ張って椅子から立たせる。
「心を癒すって…そんなに疲れて見えますか?」
青年はサングラスをちょっとだけずらして、右目でウィンクして見せた。
(―――海の、青……)
青年の目の色。イルカは深い、紺碧の海を連想した。
「貴方がご自分で言ったんでしょう? …息抜きに来たって」
息抜きが必要なのは、主に心が疲れている人なんですよ、と青年はイルカの肩を叩いた。
植物といえば薬草(薬か、毒か)。もしくは食用(食えるか、食えないか)。
イルカの関心はまずそこへ向かう。
従って、ピンクの可憐な花の群れを前にした彼の第一声は。
「すっごいですねえ。…これ、食えるんですかね」
青年は腹を抱えて爆笑した。
「しっ…失礼……ど、どうでしょうねえ…あまり秋桜食ったって話は聞きませんが……」
イルカはしごく残念そうに頷いた。
「やはりそうですか。…惜しいなあ、こんなに咲いているのに食えないとは」
白に近いピンクから、濃い目のピンクまで様々なピンクの競演。公園の一角は秋桜に埋め尽くされていた。ピンクの花の波を眺めているうち、イルカは『心を癒す』という青年の言葉を思い出した。
確かに…無言で咲き誇る花々の美しさには、心を潤す作用があるような気がする。
「……花にとっては、ただ花の美しさを見てもらったら、それでいいんでしょうね…」
「美しいと、思いますか?」
イルカははにかんだ笑みを浮かべた。
「はい。…綺麗だと思います」
「それは良かった。きっと、花も機嫌を直すでしょう。貴方ときたら、いきなり花食っちゃうんだもんな」
イルカはまた赤面した。
「くっ…食っていませんよ!」
「秋桜が食い物に見えるのは腹が減ってきた証拠ですね。ちょっと早いけど、メシ食いに行きましょう。今ならどの店もそんなに混んでいませんよ」
青年は、イルカが生活用品を買う、と言っていたのも忘れず、食事の前に雑貨屋に立ち寄ってくれた。
イルカは青年の気遣いに甘えて、洗剤と、昨日割ってしまったコップの補充をする。
それから居酒屋で適当に飲み食いして、青年とイルカは帰途についた。
「今日は楽しかったですよ。…縁があったらまたお会いするでしょう。その時はまたメシでも食いましょうね」
青年の差し出した手を、イルカは丁寧に握った。
「ええ、こちらこそ、思わぬいい休日になりました。…それじゃあ、さようなら」
子供のようにバイバイ、と手を振って青年は背を向けた。それをしばらく見送って、イルカも踵を返す。そして、とうとう自分も青年も名前を名乗らなかった事に気づいた。
(―――まあ、いいか……どうせ、もう会う事もないだろう…)
青年は、サングラスをきちんと取って、素顔を見せる事もしなかった。つまりは、イルカとは本当に今日だけの付き合いにするつもりだったという事だ。
そう思い至ったイルカの胸は、ちくんと痛む。
その痛みの正体が『寂しさ』だという事に、イルカは気づかない振りをした―――
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