HOLIDAY−1

 

彼はいつも、額当てを固定する布を縛ってある結び目の上で髪を結っている。
だが今は額当てを外し、髪も項で結っている為、彼―――中忍のイルカの印象はだいぶ違うものだった。
木ノ葉の里の忍装束を着ていない所為もある。
彼の、どちらかというと地味な顔立ちにアクセントをつけている鼻の上の横一文字の傷痕がなければ、知り合いでもすぐには彼だと気づかないかもしれない。
彼の職業はもちろん忍者だが、忍者を育成するアカデミーの教師でもある。
忍術を駆使する為のチャクラもまだろくに練れない子供に、忍者としての知識を教え、体術を教え、初歩の忍術を教え。
下忍になる為の最低限の技を身につけさせる。
それは、口で言う程容易い事ではない。
基礎的な力、潜在能力もバラバラな大勢の子供達を相手に、日常的な孤軍奮闘を強いられる。
何も言わなくてもすいすいと課題をこなしていく子、口をすっぱくして何度も問題点を注意しても出来ない子。
それでも、受け持ったクラスの全員をある一定のラインまで持っていかなくてはならない。
疲れる仕事だった。
中忍として、何か任務をこなしている方が余程楽である。
おまけに、今回受け持ったクラスには『問題児』がいる。イルカに、時として心理的葛藤を強いる子供が。
イルカはぷるん、と首を一振りして子供達の顔を頭から追い出した。
今日は休養日なのだ。
教師でも、忍でもなく(忍として見過ごせない事件に遭遇しない限りは、であるが)ただの一人の若い男として、休みの日を楽しみたい。
その為にわざわざ忍の里を離れ、いつもと違う出で立ちで歩いているのだ。
特に何をするという目的は無い。自分の事を知っている人間のいない街をのんびり歩きたいだけだった。
「兄さん、いい手裏剣あるよ。刀も業物が揃っている。見ていかないかね?」
イルカは内心ぎくりとした。額当てをしていなくても、立ち居振舞いで忍者だとわかってしまうものだろうか。
いやいやそんな。仮にも中忍。素人さんに見破られるようなヘマはしていないはずだ。
イルカはさりげなく声のした方に視線を向けた。ほっとする。
客引きをしている男は、イルカの方を見ていなかった。
割と背は高いが、ほっそりとした若い男をしつこく誘っている。
「…いやあ、いいよ。オレ、今そういうの買う気ないし」
「木の葉の忍の里にも卸している手裏剣だよ。いい土産物になるよ。ホラ、かさばらないし」
男は、相手がその手裏剣やら刀を必需品とする職業であるかどうかはお構いなしに売りつけようとしているらしい。
(しつこい奴だなあ。いらないって言っているのに。可哀想に、無下に断れない性格なのかな、あの人)
イルカは、困ったように応対している青年に同情した。イルカ自身、要領が悪くてああいう手合いを上手くあしらえない所為かもしれない。そのイルカの視線に気づいたのか、青年がこちらを向いた。
目許がサングラスで覆われているが、イルカを見ているのがわかる。
「あ! そんな所にいたのかー! 嫌な奴だなあ、見ていないで声をかけてくれればいいのに。じゃ、親父さん、オレ友達来たから、行くわ。それじゃあね」
そしてあっという間にイルカの側まで来ると、腕を掴んで歩き出す。
「あ…あのう……」
青年は小さな声でしーっとイルカを制した。
「すみません。ちょっと付き合って下さい。…助けると思って」
「はあ……」
イルカは、青年に引きずられるようにして道の角を曲がった。そこでやっと青年はイルカの腕を放す。
「どーも、すいませんでした。あの親父さん、しつこくてね。逃げるきっかけが無くて困ってたんですよ。助かりました」
「いいえ。べ、別に俺は…特に急ぐ用事もないし。気にしないで下さい。…大変でしたねえ、あちらも商売でしょうけど、しつこいと困りますよね」
イルカがにっこり微笑むと、青年もほっとしたように微笑った。サングラス越しでも、青年が整った容貌をしているのがわかる。優男、と言われるタイプだ。
(―――…女の子にもてそうな感じの人だなあ…)
イルカはのんびりと青年の容姿を眺めていた。
背は最初に思ったほど高くはない。イルカとそう目線は変わらなかった。ほっそりしていて、頭が小さめに見える所為で背が高く見えるのだ。
イルカ自身結構背が高い方だから、青年も長身に変わりはなかったが。
青年は青年で、イルカをあらためて眺めてから再び微笑む。
「あ…、貴方今、特に用事ないって言いましたよね」
「ええ…まあ、暇つぶしにぶらついていただけですから…」
「じゃあ、もうちょっとオレに付き合ってくれませんか? オレ、昼飯まだなんですよ。この近くに名物を食わせてくれる店があるんですが、一人では入りにくい店で」
イルカも昼食はまだだった。特に断る理由も無い。
「いいですよ、ご一緒します。俺も何か食おうかと思っていたところでして。これから店を捜すところだったんです」 
イルカの返事に、青年は嬉しそうににこにこする。
「じゃ、決まりですね。行きましょう」


 

目の前の料理に、イルカはなるほど、と内心頷いた。確かにこういう鍋料理は普通一人では食いに来ないだろう。
「ビールかなんか、飲みますか?」
青年の問いかけに、イルカは慌てて首を振った。
店内に貼られている品書きをしげしげと眺めていたりしたので、青年に気を遣わせたのだと思ったのだ。
「い、いえいえ。昼間っからそんな」
おや、と青年は首を軽く傾げた。
「おカタいんですねえ。酒には強そうに見えるのに」
「酒は好きですが…昼間は飲みません」
「……もしかして、酒癖悪いとか?」
青年のからかうような口調に、イルカは苦笑した。
「実は、これでも教師でして。…一応、素行には気をつけるようにしています。あ、貴方は俺なんか気にしないで、お好きなもの飲んで下さい」
青年はぽんと手を打った。
「あー、なるほどね。先生ですかー! うんうん、どこか真面目っぽい感じの人だなーって思っていたんです。ホントはね、格闘技の選手か何かと思ったんですけど」
イルカは不思議そうな顔をした。
特に逞しい体格をしているわけでもないのに、どうしてそう思ったのだろう、と。
イルカの表情を読み取って、青年は卓越しに手を伸ばし、イルカの手首の上辺りを握った。
「さっき、腕を掴んだでしょう。…きちんと鍛えられた筋肉がついているな、と思ったんです。…肉体労働や、単なるウェイトトレーニングでついたものではない」
青年はイルカの腕を放し、その手を自分の顎に当てて、にっと笑った。
「……戦う者の腕です」
イルカは返事に窮した。同時に、目の前の優男は何者だろうという疑問が急に湧いてくる。
そのイルカの心中も読み取ったかのように、青年はアハハ、と笑った。
「なんてね。すいませんねー、職業病です。人間の体の造りについつい目が行ってしまうんですよ。気にしないで下さい。あ、そうだ。なら烏龍茶でも頼みましょうかね」
青年はイルカに口を出す暇を与えず、ウエイターを呼んでさっさと二人分注文してしまう。
それは何の職業なんだ、という質問を口にするタイミングを逸らされたイルカは、仕方なしに曖昧に微笑み、食べ物を口に入れる作業の方に専念する事にした。
どうせ、今一緒に飯を食うだけの、行きずりの相手の事をあれこれ詮索しても仕方ないと思ったのだ。
イルカが口に入れた物を見て、青年は箸を止めた。
「それ、何でした?」
「? …む…んー…貝ですね。貝の剥き身。結構美味いですよ」
それを聞いて、青年は同じ物を鍋から取った。
「あ、ホントだ。うん、美味い。…いや、笑わないで下さいね。さっきからコレなんだろうなーって思ってたんですけど、口に入れる勇気がなくて。動物の臓物系って、オレ苦手なんですよー。見た目、似てません?」
「…似ていますね」
二人は同時にわはは、と笑った。
「やっぱ、誰かとメシ食うのっていいですねー。一人じゃこういう会話、出来ませんもんね」
イルカは頷いた。
「…わかりますよ。俺、一人暮らしですから…大抵メシって、一人なんですよね。実は、こういう鍋物も久し振りです」
「お一人? ご家族とは離れているんですか」
イルカは出来るだけさりげなく返した。
「家族はいません。…親は子供の頃になくしましてね」
青年は形のいい眉を少し顰めた。
「すみません。立ち入った事を……」
イルカはぱたぱた手を振った。
「あ、いや、俺こそ余計な事を言っちゃって…あー、これも美味いっすよ。珍しい茸」
もぐもぐと美味しそうに頬張るイルカに、青年は破顔した。
「やっぱり、貴方をお誘いして良かったなあ…」
イルカは照れたように笑った。
「貴方なら、俺みたいな無骨な男じゃなくって、素敵な女の子を誘えるんじゃないんですか?」
青年はわざとむ〜ん、と唸った。
「いやあ…女の子はねえ……ホラ、下心あるんじゃないかって警戒されちゃうでしょー。かと言って、ナンパじゃなくって、単にメシ食う相手が欲しかったなんて、バカにするなってかえって怒られちゃいそうだしー…」
「あ、そういうもんですかー。…まあ、初めてのデートに女の子とメシ食う店じゃないかもしれませんよね、ここ」
壁に貼られた、地酒の銘柄のお品書き。メインは鍋料理という色気のなさ。
「そういう事です。こういう店は男と来る方が気が楽」
それからは、他愛のない男同士の話に花が咲いた。おそらく、ほぼ同年代の青年は結構博識で、イルカが何を話題にしてもちゃんと会話を繋げてくれる。話しやすい人だなー、とイルカは相手に好感を持った。


 

「はあ、美味かった。…ところで貴方、これからのご予定は?」
青年の言葉に、イルカははっと顔を上げた。
「…別に…ぶらぶらと街の見物でもしたら、家に帰って寝ようかな、なんて。…単に、息抜きに外に出ただけなもんで」
青年はイルカの手をしっかと両手で握った。
「じゃあ、これからオレとデートしましょう! 貴方と飯を食うのはとても楽しかった。腹ごなしにどっか歩いて、夕飯も一緒にってのはどうでしょうか。オレも一人暮らしなもので、帰っても誰もいませんし」
唐突な青年の行動に、イルカは狼狽する。
「……ご迷惑ですか?」
ちょっと悲しげに問われて、『デート』という単語に一瞬思考が停止してしまっていたイルカは我に返った。
「い、いいえっ…迷惑だなんてそんなっ…」
(―――単なるウィット的言い回しにうろたえてどーするんだ。しっかりしろ、イルカ。)
自分を励まして、イルカは微笑って頷く。
「いいですよ。じゃ、夕飯までどこかに行きましょうか」


昼飯の代金を持とうとした青年とひとしきり押し問答をして、やっとのことでイルカは割り勘でその店を出た。
「誘ったのはオレなんだから、いいのに…」
青年はまだぶつぶつ言っている。
「そういうわけにはいきませんって」
イルカは苦笑しながら財布をしまった。
「それより俺、この辺りはあまり詳しくないんですよ。貴方は地元の方ですか?」
「いいえ。オレも遊びに来たクチです。…あ、本屋。…すいません、ちょっと寄っていいですか」
「いいですよ。俺、本屋って好きですから」
「アハハ、さすが先生」
青年が目当ての本を探している間、イルカも書架の背表紙を色々と眺める。
(そういえば最近、実用書ばっかりで…読んでいて楽しい本って読んでないなあ…あ、これなんか面白そう…)
『東西ラーメン奇譚』
(…なんか…ナルトを思い出す……)
美味いものはラーメンしか知らないのか、何かというとラーメンを食べたがる教え子。クラスの問題児。
(…休みの日まであいつの事を考えたくないな…)
イルカは、本を手に取ろうと浮かせた腕を下ろした。あの子供が憎いわけではない。
ただ、時々…両親の仇をその身に宿す子供を目の前にして、感情が理性を超えないように努力しなければならないのがたまらないのだ。わかっているのに、複雑な気分に陥る自分への嫌悪。
(―――あの子は何も知らないのに……罪など、ないのに…)

「お待たせしましたー。あ、どうしました? 気分でも悪いですか?」
心配そうに自分の顔を覗き込む青年に、イルカはいいえ、と微笑った。
自分でもあまり出来のいい笑い方じゃなかったな、と思いながら。
 

 





 

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