紫陽花変化−1
「ねえ、デートしましょうよ」 アカデミーの敷地内にある職員用の食堂で。 カカシは両手で湯呑を玩びながら、いきなりそんな事を言う。 「……デート?」 今更そんな単語でどぎまぎしない程度にはカカシの言動に慣れてきたイルカも、思わず箸 を止めた。 わざわざデートなんぞしなくても、カカシに長期任務が入らない限り、毎日のように逢っ ているのだ。 言わば社内恋愛のようなものなのだから。 「どこか行きたい所でもあるんですか?」 「まあね」 「まさか、また温泉?」 カカシはポン、と手を打った。 「あ! それもいいですねえ。…やだなあ、イルカ先生のえっち」 ごほん、とイルカの軽い咳払い。 「誰がえっち…じゃなくてですね、それもって事は、違う所に行きたかったんでしょう? どこですか?」 カカシはにっこり笑って頷いた。 「…貴方とオレの出会いの地」 (…何も、ここまで再現しなくっても……) カカシとイルカが、互いの素性を知らないまま出会った街。 イルカはあの時と同じように髪を結わえる位置を下げ、普通の服装で一人でほてほて歩い ていた。 カカシは里から一緒に来るのではなく、ここで落ち合おうと言うのだ。 (カカシ先生…どこかな…? まさか、あの手裏剣売りつけようとしていたオヤジの所に いるんじゃ……) 十分考えられた。 イルカは場所を思い出して辻を曲がり、見覚えのある通りに出る。 (そうそう、確かここ……) そこで、所在なげに立っているカカシを発見する。 「見つけた! やっぱりここ……」 イルカはふと、カカシの後ろに視線を移す。 「あれ……?」 カカシはサングラスを指で押し上げ、後ろを振り返ってため息をついた。 「そーなんですよ。…潰れちゃったみたい。…あの親父の店」 何だかカカシはしょんぼりしている。 「……カカシ先生が手裏剣買わなかった所為で潰れたわけじゃないんですから……あ、今 度は何か買ってあげようと思っていたんですか…?」 うん、とカカシは素直に頷く。 「だって、一応貴方と出会うきっかけをくれた店だから…お礼に何か買おうかなって……」 「まあ、潰れたのは自業自得じゃないですか? 木の葉に手裏剣を卸しているなんて、嘘 ついてましたしねえ…」 カカシは「え?」と振り返った。 「嘘?」 「嘘ですよ。里にも鍛冶屋くらいあります。自分で好きな刀とかを余所で調達する人もい ますが、とかく消耗する手裏剣やクナイは里で大量生産しているんですよ。こんな、小さ な店から買うわけが無い…」 カカシは「それもそうか」、と看板が掛かっていた跡を見上げる。 「でも、貴方との思い出が一個消えちゃったみたいで寂しいな…」 「仕方ないですよ。こんな大きな街ですから…店が変わっていくのは。メシ食った店だっ て、看板が変わっていても不思議じゃないですよ?」 カカシははっとしてイルカの腕を掴んだ。 「確かめましょう!」 幸い、昼食をとった店は健在だった。 ただ、少々今日はカカシにとって運が悪いらしく――― 「………臨時休業ぉ?」 カカシは茫然と張り紙を凝視していた。 「ここで、食べる気でした……?」 イルカが恐る恐る訊くと、カカシは握りこぶしを作って頷いた。 「あったりまえでしょう! あの記念すべき日をなぞって、楽しく今日一日デートしよう と思ってたのに〜!」 「………まあ、ここ、美味かったですしね……あの、また今度来ましょう…ね?」 「…まあ、閉まっているものは仕方ない……他の店で食いましょう。何がいいですか?」 イルカはちょっと考えて、鼻の傷をかいた。 「……ラーメン以外でしたら何でもいいです」 「はっはっは…またナルトにたかられましたね?」 「いい加減違うもん食わないかって訊いたんですがねえ…ま、あいつなりにもしかしたら 気を遣っているのかもしれませんがね。俺の懐具合を心配するんならたかるなっつうのに」 ふふふ、とカカシは笑った。 「今日はオレの奢りね、イルカ先生。いっつも貴方んちでご飯食べているお礼がしたいん です。前にこの街で食べた時も割り勘だったでしょう」 「いや、それは…会ったばかりの人にご馳走してもらうわけにも…」 「だ・か・ら! 今日はいいですよね? オレの気持ち、ちゃんと受け取って下さいよ。 ね?」 イルカは困ったように微笑む。 「はあ…」 本当なら、とカカシは胸の中で呟いた。 さっきの潰れていた店で何か気の利いたものを買って、後でさりげなく渡すつもりだった。 カカシにとっては、半年も無事壊れずに恋愛継続中の大事な相手。 記念に何か贈り物でもしたい気分だったのだ。 イルカが女性だったら指輪かネックレスでも贈りたい所だが(女は大抵光り物が好きだか ら)そうもいかない。 だから普段使う物か、彼の身を護る物を贈りたかったのに。 「それじゃあ、あそこ…釜飯にしましょうか。如何です?」 「ええ、いいですよ」 通りの斜向かいに感じのいい店構えの釜飯屋があった。 カカシとイルカはその葡萄茶色に白い文字で店名を抜いてある暖簾をくぐり、小一時間を そこで過ごした。 イルカは素直にカカシにご馳走してもらって、「ご馳走様でした」と軽く頭を下げる。 「この店も美味かったですね」 「うん、結構アタリで良かったです」 「本当に前の通り行動するんですか? だとすると確か…次は本屋ですよ」 「イルカ先生もよく覚えているじゃないですか。ええ、そうでしたよ。…でも、イルカ先 生がお嫌でしたらパスしてもいいですが」 そう言いながらも足は件の本屋に向かっていた。 「別に嫌じゃないですよ? あそこ、巻物も置いてありましたよね」 「……よく見ていますねえ…目敏いと言うか商売熱心と言うか…ああ、あの時は貴方、自 分が忍者だって事バックレてたから、手に取らなかったんですね? ええ、ここは下手な 忍具屋より品揃えがいいって話ですよ」 「貴方だってバックレてたでしょうが」 カラカラ、と木枠に窓ガラスが入った扉を開ける。 書物特有の匂いが店内に満ちていた。 「これこれ。この匂い、好きなんですよね、結構」 「そんなジジ臭い事言っているから三代目にこき使われるんですよ、イルカ先生」 「…ジジ臭いかなあ……」 カカシは平積みになっている新刊の山を見て、「あ」と声を上げる。 「イチャパラの番外編だ。へー、出てたんだ」 「……カカシ先生、好きですねえ、それ…」 カカシは嬉しそうに本を手に取る。 「えー、だってこれ、面白いんですよ。今度イルカ先生も息抜きだと思って読んでごらん なさいよ。笑えますよー。もーね、ヒロインは『こんな女いるかよ』ってくらい男に都合 がいい女だし、また相手の野郎がね、本当にこんな奴いたら後ろから蹴り倒してやりたい って感じの笑える男で…恋愛カリカチュアとしては出色のB級小説ですよ」 「……誉めているんですよね…それ」 「もちろん誉めているんですよ。大衆娯楽ってのは、少々品が無くてもウケりゃあ勝ち、 ですからね。この作品はそこんとこ徹底してて、いっそ脱帽って感じ。もちろん文章も上 手いし、時々人生の悲哀やら含蓄も感じられてねえ…まあ、上出来の仮想世界ですね」 その言葉を聞いてイルカはほんの少し安心した。 誇張された恋愛劇を、カカシが『世間一般常識』だと思い込んでいたらまずい、と少々不 安を感じていたのだ。 そう疑いたくなるような言動をするカカシにも問題はあるが。 「なるほどね…じゃあ、今度読んでみようかな…あ、俺ちょっと巻物見ていますから…」 「はあい。じゃあオレ、これ買ってきます」 カカシが会計しにレジへ向かうのを見送り、イルカは壁際の棚へ向かった。 巻物が種類別にきちんと分類され、わかりやすく積んである。 (…見習うべきだな、このわかりやすさは…あ、この積み方の方が効率よくしまえるじゃ ないか。ふうん…今度三代目に書庫整理頼まれたら、こうやってみよう。) イルカが巻物そのものより、その管理法に関心をよせて見ていると、カカシが戻ってきた。 「何かいいのありましたあ?」 「…あ、いえ…きれいに整理されているんで、そっちに眼が行っちゃって…今度書庫を片 付ける時の参考に、と…」 カカシはふう、とため息をついた。 「あんたねえ…ま、いいですけど…仕事熱心なんだから、本当に。何か買うんだったら、 ちゃんと領収書もらって、経費で落としなさいよ。忍具や巻物なら、経費出るんだから」 「カカシ先生も結構しっかりしているじゃないですか。良かった。もっと雑事には無頓着 かと思っていました」 イルカの言葉に、カカシはぷくんと頬を膨らませる。 「何ですかそれぇ。任務に要るもん全部自腹切ってたら、オレ生活出来なくなりますよ。 …ま、自分の趣味であつらえたモンまで経費で落とすほど図々しくはないですけどね」 「失礼しました。その通りですね」 本屋の次は…、とカカシは記憶を辿った。 「……確か、オープンカフェで通りを行く女の子達を鑑賞……」 「しますか?」 イルカが微笑うと、カカシはしかめっ面をした。 「また女の子に声かけられても面倒ですよねえ…」 「まだ、喉も渇きませんしね」 そこでふと、イルカは思い出してカカシの顔を覗き込んだ。 「……そういやあ、俺って、カカシ先生にナンパされたんでしたっけね」 カカシはすまして頷いた。 「そーですよ。オレが貴方をナンパしたんです。ちゃんと引っ掛かってくれてありがとう。 …実際、こんなに長く付き合えるとは思いませんでしたよ、あの時は」 イルカはぐっと拳を握り込んで、慌てて視線をそらした。 「…どうしました?」 「……いえ、何だか唐突に貴方にキスしたくなったんで堪えているんです。まさか往来で するわけにもいきませんから」 カカシは残念そうに周りを見回した。 昼下がりの目抜き通りは、行き交う人々で混雑していた。 「じゃ、後でね」 カカシはそっとイルカの耳元で囁き、常人では決して視認出来ない速さでその耳朶にキス して離れた。 イルカはほんのり目元を染めて肩を竦める。 「…ええ、後で……」 では前に秋桜を見た公園へ行こう、という事になって、二人はそちらの方角へ足を向けた。 「あ」 ふと、カカシが足を止める。 「どうしました?」 あれ、とカカシが指差す先にはポスターがある。 「……へえ、紫陽花祭りですかー。そういや、そういう季節ですよね。この近くの神社み たいですねえ。…時間もあるし、覗いてみましょうか」 「そーですね。お祭りかあ…夏祭りみたいな屋台とか出てんのかなあ…」 二人は軽い気持ちで紫陽花を見に、神社へ向かう。 神社に近づくにつれ、だんだん人が多くなってきた。 「うわ、結構混んでる…」 「へええ、知らなかったなあ…盛況ですね。何だか元旦並みだなあ…はぐれちゃいそう…」 カカシはイルカを鳥居の下に引っ張って行き、ここで待っていてくれ、と言って何処かへ 消えた。 「…どうしたんだろ……」 仕方なくイルカが鳥居の下で佇んでいると、いきなり腕に細い指が絡みついてきた。 「お待たせっ!」 「………カカシ…先生…」 「えへへ、これなら腕組んで歩いても白い眼で見られないでしょ?」 これで人込みでもはぐれない、とカカシはイルカの腕にしがみつく。 「…そ、そうですね…」 イルカは引き攣った笑いを浮かべた. 腕にふっくらとした胸が当たって、何とも落ち着かない。 そう、カカシは衆目の中で堂々と腕を組んで歩く為に女性に変化してきたのだ。 確かに男同士で手をつないだり腕を組んで歩けば奇異な目で見られてしまうだろうし、そ れはイルカも歓迎しない。 先程と着ている服は同じで、いかにも彼氏の服を拝借しています、といった風情でだぶだ ぶとシャツの肩は落ちているし、ズボンはウェストをベルトで不自然に搾っている。 だがそれがかえって可愛らしい。 サングラスをイルカの方へよこし、長くした髪を指で背中に流すその仕草にイルカは一瞬 見惚れた。 「オレ、こういう時は自分が忍者で良かったと思いますよ。さ、行きましょ」 カカシのサングラスをシャツの胸ポケットに差し、イルカは苦笑した。 「先生、女の子が『オレ』ってのはおかしいですよ?」 「んじゃあ、アタシ?」 「…あのね、貴方だって改まった場では『私』って言っているじゃないですか。あれでい いんです」 イルカはさりげなく手を出した。 「何?」 「本、邪魔でしょう。持ってあげますよ」 「うわ、イルカさんたらフェミニスト…つうかアンタ、女の子扱い慣れてません?」 カカシが持っていた包みを取り上げ、イルカは小脇に挟んだ。 「こういう時、男が手ぶらってのは外聞悪いんで。それだけですよ」 「ふうん。そういうもんか……ま、いいや。じゃ、甘えちゃお」 カカシは満更でも無さそうな顔で再びイルカの腕にしがみつく。 どうやら今回のデートは、紫陽花祭りがメインになりそうだ。 |
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