紫陽花変化−2

 

「おー、祭りを開催するだけのことはありますね。紫陽花だらけ」
イルカの腕にぶら下がったまま歩いているカカシはご機嫌だ。
「カカシ先生、花を見るの結構好きですよね」
「好きですよー。綺麗だもん。綺麗なものに惹かれるのは、人間の本能みたいなものでし
ょ? …それに、普段が殺伐としているんだから、たまには綺麗なものでも見てちゃんと
『ああ、綺麗だな』って思える感覚を養っておかないと……ココロがギスギスしちゃいそ
うで、怖いんですよね。オレってば偏っているし」
「カカシ先生は、ご自分で危惧なさるほど偏ってもいないし、まともな神経を持っている
と思いますよ」
カカシは一瞬目を伏せた。
「……それは……」
非情に徹しようと思えば、何の苦もなくただの殺人機械になれる自分の姿をイルカは見て
いないから。見て欲しくも無いけれど。
言いよどんだカカシの額に、軽いキスの感触。
変化で少し背が低くなっているカカシの額は、イルカが少し下を向けば唇が当たる、丁度
いい位置にあった。
更にイルカは屈み、カカシの耳元で低く囁く。
小さな、カカシにしか聞こえない声で。
「貴方はちゃんと切り替えが出来る。それでいいでしょう? ……人間…ましてや忍…幾
つもの顔を持っていて、当然です。貴方がご自分で忌まわしく思う面があるのなら、それ
こそまともな精神を持っている証拠…違いますか?」
傍目には男が彼女に愛の言葉を囁いているように見えただろう。
カカシにはそれ以上の言葉だったけれど。
言われるまでも無く承知している事だった。
だが。
自分でそう思い込もうとしているのと、他の口からそう言ってもらえるのでは、天と地ほ
ども意味が違う。
「……ありがと……」
きゅうっとイルカの腕を抱き締めたカカシの額に、もう一度イルカが唇を落とす。
「さ、行きましょう。せっかく神社へ来たんだから、お参りくらいしませんか?」
神社の境内は盆の縁日さながらな賑わいだった。
様々な食べ物を売る屋台、子供向けの玩具、簡単な射的場。
「あれ?」
カカシが首を傾げる。
「ねえ、イルカ先生…あそこの…イカ焼いている親父、見覚えありません…?」
屋台で景気よく客引きしながら香ばしい焼きイカを売っている中年の男性を、カカシは顎
で差した。
「……あ…手裏剣押し売り親父……」
「やっぱ、そうですよね。うわ、逞しい…ちゃんと転職して日銭稼いでんだー」
カカシが妙に感心している間に、イルカはそのイカ売りに近づいて行った。
「じゃ、手裏剣の代わりにイカ焼き買いますか。カカシ先生、ひとつ全部食べられますか? 
それとも半分こします?」
「…半分こ」
本当の事を言えばイカ焼き一つくらい一人で食べられるが、恋人と半分こ、というシチュ
エーションがいい。
まして、今現在カカシは可愛らしい女性の姿だ。
「了解。……おやっさん、イカ焼きひとつちょうだい」
「らっしゃい! お、いいねえ兄ちゃん、別嬪さん連れて。一個でいいの?」
「うん、美味そうだけど、彼女ひとつ全部は食べられないから」
細くて繊細な風情の『彼女』の姿に、イカ売りも納得する。
「あいよ。彼女にも食べやすいように、縦に切ってやろうか?」
これにはカカシが答えた。
「おじさん、親切ね。でも、いいの。彼とかじりっこしたいの」
あーハイハイ、ごちそうさん、と茶化しながら、イカ売りは大きめのイカを選んでカカシ
に渡した。
当然の如く、代金を要求する手はイルカに向けられる。
イルカが代金を払い、その場を後にしようとした二人の背中に、イカ売りの声が掛かる。
「可愛いねえ、彼女、大事にしてやんなよ、兄ちゃん!」
イルカは肩越しに振り返り、微笑む。
「もちろん」

紫陽花が良く見える一角で休憩も兼ねて立ち止まり、二人は交互にイカを齧った。
「結構美味いですね、これ」
「イルカ先生、ひとつ全部食べたかったんじゃありません?」
「屋台はイカ焼きだけじゃないですから」
「あはは、夕飯入んなくなっちゃいそう。でも、たまにはいいですねー。屋台のハシゴで
メシすますのも」
最後の一口をイルカの口に放り込み、カカシは微笑った。
「こういう所、オ…私、あんまり来たことないんです。お祭りなんて一緒に来る人いなか
ったし、人がたくさんいる所も苦手だった。でも、今日は楽しい。人とぶつかりそうにな
ったらイルカ先生庇ってくれるし、堂々とくっついていられるし」
「今なら綺麗な花もたくさん咲いていますしね。…じゃあ、夏の祭りも来ましょうね」
「夏って、すぐですよね。わあ、約束ね、イルカ先生」
カカシは嬉しそうにイルカの小指に自分の小指を絡める。
指きり。
カカシの幼い行動は、普通に送れなかった子供時代をも取り戻そうとしているかのように
イルカには思えて、時々切なくなる。
「ええ、約束です。二人きりで来ましょう」


とにかく多い人の波をくぐり抜けて、イルカとカカシは参拝を済ませ、また屋台を冷やか
し始める。
イルカが身を屈め、カカシの耳元で囁く。
「カカシ先生、変化…まだ大丈夫ですか?」
カカシも顔を上げてイルカの耳に囁き返した。
「このくらいの時間ならヘーキ。アカデミーの生徒にも出来る術を継続させるなんて、朝
飯前です。チャクラもそんなに使っていません。…貴方とえっちでもしない限り、大丈夫」
言ってからカカシは悪戯っぽく笑う。
「イルカせんせ、私、ノド渇いたわ」
わざと女言葉で甘えてくるカカシに、イルカは苦笑しながら冷えたソーダ水を買って渡す。
それを選んだのは、単に一番近くにあった飲み物だったからだが。
「ソーダ水……?」
「その格好でビールなんか飲まんで下さい。似合いませんから」
「いえ、そーじゃなくて…これ、飲むの初めてだから…」
カカシはプラスチックのコップを掲げて陽差しに透かす。
その安っぽい緑色の液体の中に泡がはじける様子を嬉しそうに見て微笑んだ。
「綺麗だね、これ」
そして一口のみ、「甘い」と言ってまた笑った。
「初めて?」
「ん。だって、こういうのって、売っている所限られているでしょう? 何だか、このト
シで駄菓子屋に入るのもねえ…」
人前で平気で十八禁小説を読むくせに、駄菓子屋でソーダ水を買うのは気恥ずかしいのか。
「もしかしたら、駄菓子も食べた事…」
「ないです。木の根っこ齧った事ならありますけど」
親から僅かな小遣いをもらって、他愛も無い安物の駄菓子を頬張った記憶。
それは、イルカの胸の中に郷愁と共に存在する。
その甘酸っぱい記憶を、カカシは持たないのだ。
イルカはカカシに囁いた。
「じゃ、子供に返りますか。祭りですもの、大人がソーダ水飲もうと、あんず飴食おうと
気にする人はいません」
イルカは心密かに、今度駄菓子の山でもカカシに差し入れしてやろうと画策した。
イルカには人前で十八禁小説を読む度胸は無いが、駄菓子屋で両手にあふれるほど買い物
をするのは平気なのである。


カカシが珍しがるものを中心に、屋台で買っては半分こして食べる。
「半分ずつだから、何だか色々と食べられますねえ」
カカシはチョコバナナを半分まで齧り、残りをはい、とイルカに渡した。
「これは家でも作れそう。あ、でも面倒か」
「気に入ったんなら、作ってあげますよ。チョコを溶かして、バナナ突っ込んで冷やせば
出来るんじゃないかな」
ん〜ん、とカカシは首を振る。
「甘いもん結構好きだけど、バナナはねえ…そのままの方が美味しいかな? でもそれも
美味しかったけど」
「俺が子供の頃はこういうのは無かったかな…俺も初めて食いました。…ちょっと甘いで
すね」
イルカは残りをもぐもぐ食べて、手近なごみ箱に割り箸の串を放る。
「後、何か食べますか?」
「……ん…結構お腹いっぱいになりました。帰りに焼きソバでも買ってって、どっちかの
家で食べませんか? このままじゃ夜に小腹減るだろうし」
「了解。ビールも、ですね」
カカシは笑ってイルカの腕にじゃれついた。
「だから好き♪ イルカ先生ってば」
結局、祭りで飲み食いした代金は全部イルカが払った。
男の腕に縋るようにくっついている女の子に代金を要求する者はなく、皆イルカに向かっ
て手を出したので。
イルカにしても、女性に変化しているカカシに払わせるわけにはいかない。それこそ外聞
が悪い。
「散財させちゃいましたね。…今日は全部オレが持とうと思ってたのにな」
「散財だなんて、そんな…一つ一つは大した金額でもないし、大丈夫ですよ」
カカシは笑って首を振った。
「いいえ。ちゃんと埋め合わせはしますから。…そろそろ、公園の方へ行きましょうか。
変化、解いてきます」
「…はい」
イルカは目立つ位置を上手に避けて、カカシを待った。
別に任務中ではないのだから姿を隠す必要はないのだが、離れていった女性が男性になっ
て戻って来るのを目撃されるのは少々まずい。

イルカは待っていた場所を離れ、まだ神社の方へ流れを作っている人々の間をゆっくりと
抜けて道路の方へ移動した。
歩いているイルカに、ごく自然にカカシが合流してくる。
「どうも」
カカシはイルカに持たせていた本の包みを受け取る為に手を出した。
イルカも当然のようにそれを返す。
「公園、あっちでしたよね」
街はゆっくりと黄昏の時間に向かっている。
穏やかなぬるい風が頬を撫でていくのを、イルカは幸せな気分で味わっていた。


「ああ、この植え込み、紫陽花だったんだ。やあ、この公園も結構咲いていますね」
カカシは西日に眩しげに手をかざしながら、辺りを見回した。
サングラスをしていても眩しいらしい。
「…紫陽花は、花の色が移り変わっていくんでしたよね。…心変わりに例えられるのって、
この花でしたっけ?」
イルカは首を捻った。
「ええと…だったかな? すいません、そういう事には疎くて。…でも、言われればそう
かなって感じですね。…どんな色になっても綺麗なのに、なんだか浮気者みたいな例えに
使われるのって可哀想ですねえ」
「そうそう。人間の心変わりなんて、こんな綺麗なモンじゃないのにね。…花になぞらえ
て粋な表現にしてみたところで、それは何がしかの裏切りを含んでいるのに……紫陽花に
はいい迷惑ってとこですか」
薄い青紫の花びらに見える萼を、カカシはそっと指先で撫でた。
そしてポケットに突っ込んでいた手を出して、イルカに突き出す。
「これ、気休めですけど…」
薄い紙の袋。一目でお守りなのだと知れた。
「さっき、お参りした時…横にあったんで……ええと、矢弾避けになるんですって。災難
避けって事ですよね」
お参りをした時、人込みに巻き込まれてほんの少しの間離れ離れになった。その時買った
らしい。
イルカは少し驚いた顔をして、次いで微笑んだ。
自分もポケットから同じ紙袋を引っ張り出す。
「…俺も、気休めに過ぎないと思ったんですが……貴方の身を守る助けになればいい、と
……」
カカシはしばし、イルカの手に乗っているお守りを眺めていた。
「………しまった…変化、解くんじゃなかった…」
今すごくキスしたいのに、とカカシは苦笑する。

二人はお守りを贈りあう。
カカシの手には彼の右目によく似た海の青。
イルカの手には新緑を映したような葉の緑。
色違いのお守り。
カカシは突然おかしそうに笑い出した。
「……お、オレ達ってば…『イチャパラ』よりクサイ事しているかも…っ…」
イルカはきょとんとして、それから大真面目に頷いた。
「いいんです。クサかろうが何だろうが。俺は本気ですから。人間本気で大真面目にやっ
ている事は時として滑稽に見えるものです」
「うーん、いいなあ。イルカ先生ってもう…」
カカシはイルカに貰ったお守りを大事そうにしまう。
「大事にします、これ。…イルカ先生とお揃いだし」
「はい。俺もいつも持ってますね」



帰りは二人一緒に。
里に入る頃にはとっぷりと日は暮れていた。
木立に挟まれた狭い路地にはもう人の影も無い。
「あのね、イルカ先生」
「はい?」
「……いえ、何でもありません」
カカシはサングラスを取ると、イルカにくちづけた。
「誰も見てないですもん…いいですよね」
イルカは頷き、片手でカカシの腰を引き寄せてそっとお返しのキスを贈る。
「さあて、焼きソバでも買いに行きますかー」


――― オレは、紫陽花に例えられるような恋を貴方としたくない。

傍から滑稽に見えたってかまうものか。

出会いの地で贈りあったお守りを、カカシはそっと大切そうに握り込んだ。
 
 



 

いっちばん最初のイルカカSS『HOLYDAY』にて、イルカとカカシが運命的出会い(笑)を果たした街での思い出デートv
あの時イルカは単に息抜きしに来てたんだけど、ここでカカシが何をしてたのかは未だにナゾ。
いい男ナンパ出来て良かったですねv オトメ思考の受け上忍。

03/6/1

 

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