良い人

by JIN 様

 


意識が浮上するように、自然に目が覚めた。
隣りで眠る人の安らかな寝息に微笑んで、イルカはそっと鳴る前の目覚ましに手を伸ばす。
鏡開きも済み、忙しい日々の中では正月なんて随分昔のことのようだ。
起きる度に朝の冷え込みがきつくなっているような気がするのは、二月が一年で一番寒いという思いこみによる錯覚だろうか?
アラームを止めてそっとベッドから降り、改めて大切な人の寝顔を眺めた。
ろくな手入れをしないくせに、まるで絹糸のような光彩を放つ銀色の髪。
あどけない子供のようにうっすらと緩んだ口元は、常には左目と共に覆われている。
昨夜はずいぶん遅くに転がり込んできて、明け方近くまで睦み合っていたから当分目を覚まさないだろう。
起こすのに手こずりそうだが、お互い休日という訳ではない。
彼を待つ子供たちの為にも、自分が出勤する時には一緒に家を出られるようにしてやらないと。

手早く身支度して寝室を出る前に、イルカはもう一度、くーくーと寝息を立てる安らかなカカシの寝顔を振り返った。
骨張った、それでも不思議に綺麗な手が布団からはみ出しているのに気付いてそっと仕舞ってやる。
白くて長い指の先はヒンヤリと冷たくて、触れた肌を焦がすような昨夜の熱さが嘘のようだった。 


何故カカシとこんな関係になったのか、未だにイルカにはよく分からない。
ナルト達を指導する上忍として彼を知り、受付で会えば会釈くらいは交わすようになり。
飲みに誘ってきたのはカカシの方だ。
上忍と中忍という格の差に気後れしながらも、ナルト達の様子を聞きたくて何度かつき合ううちに、二人の関係は『知り合い』から『友人』に変わって行った…と、そう思っていた。
「写輪眼のカカシ」に対する仄かな憧れや、尊敬の念も確かにあったと思う。
なぜカカシが、一介の教師に過ぎない中忍の自分を足繁く誘いに来るのか、深く考えずに、心地良い『友人関係』を楽しんでいたら、ある日突然、酒の勢いで『抱かされて』しまった。
イルカがカカシを「抱いた」と言うより、カカシにのし掛かられたと言う方が近いだろう。


「初めての時のことを、思い出しちゃいましたよ」
二ヶ月も後になって、ようやく笑って話す余裕の出てきたイルカが感想を述べると、カカシはイルカの初体験を知りたがった。
同じ忍びであるからには、初体験に大した違いがあるとも思えなかったが、要は二人の閨事が初体験の何を思い出させたのか知りたいと言うことなのだろう。
「俺は、色事には向かないと言われましてね」
イルカは苦笑しながら、卓袱台に身を乗り出して聞く体勢に入っているカカシに、茶を煎れてやったものだ。
カカシがイルカの部屋を訪れるようになってしばらくは、何かの景品でもらったマグカップを使っていたのだが、その二日前にカカシ用の湯飲みを新調して。
銘柄もないような安物の湯飲みなのに、カカシは自分専用と知って殊の外嬉しそうだった。


くの一になる者はもちろんだが、忍びという生き方を選んだ子供は、男女問わず閨に関する手ほどきも上の者から教えられる。
専門の教師が適当な時期を見計らって個人指導をし、その道での才を認めれば専科の受講を指示することもある。
同世代の少年達の間には、専科を指示される事が男としてのステータスであるという暗黙の了解があり、個人指導の日を待ち望む者が多かったが、イルカにはそれは、気の進まない、逃れることの出来ない災厄のように感じられた。

授業の後で指導員の所へ行くようにと言われ、悪友達の囃し立てる声に平静を装って。アカデミーの別棟にある特別室に入る時は、足が震えていた。
優しそうな指導員に名を確認されただけで、顔が火を噴きそうに熱くなって、後はよく覚えていない。
言われた事を言われたままこなそうと必死になって。
無我夢中で。
いつの間にか、仰臥したイルカに指導員が覆い被さって抱く形になっていた。
まどろっこしい相手に焦れて早く済ませるため、というのではなく(指導員もプロだ。
何人もの筆おろしにつき合っているのだから、気長に待ってやる余裕も体力も持っている)性に対する興味や本能より理性が優先される、他人との接触そのものに慣れていない、幼い男をいとおしむように。

事が済んだ後、指導員は汗で湿ったイルカの髪を掻き上げて、熱を計るように額に手の甲を当てた。
「君は、専科には行かない方がいいみたいねぇ」              
困ったように言われて、ほっとしたのを覚えている。           


カカシとの最初の性交は、イルカに、あの時指導員から感じた、存在そのものを許されているような安堵感を思い出させた。
もちろん気恥ずかしくて、カカシにそこまで説明する勇気はなかったが。
それでもイルカの話を聞いて満足したのか、カカシは手を暖めるように両手で握った湯飲みから、もう温くなってしまったお茶を一口啜り、 「見る目のある指導員に当たって、良かったですねぇ」と言ってけぶるように優しく笑った。
「あなたは専科を受けたんですか?」 
思わず見とれてしまったイルカが、軽く咳払いをして世間話のように聞いてみると、カカシは驚いたように目を見張り、一瞬後にニィッと眼を細めて、さっきとは別人のような、キツネの面みたいな笑顔を見せた。
「ないしょです」
じゃあ、やっぱりカカシは専科を受けたのだ、とイルカは思う。     
必要とあらば気取られることもなく、完璧にイルカを騙せるのだろうに、カカシは他愛のない質問でイルカに嘘を吐けず、誤魔化そうとすることがあった。


専科に向く素質で言えば、カカシよりもイルカの方が上だろう。
見るからに女受けが良くて周囲の誰もが遊び人と思うような男は、無論持って生まれた才能を活かす教育を施されるが、忍びとして、より実戦にその能力を期待されるのは、一見堅物にさえ見える誠実そうな男なのだ。
 
指導員はイルカの性格が、専科には向かないと思ったのだろう。
女を使い捨ての道具として利用する仕事は、犯して当然とも云える指導員の肌に触れるのにも、労りを込めて優しく遠慮がちなイルカには向いていない、と。
カカシも、イルカが専科向きな外見を持つからこそ、あえて専科から外した指導員を『見る目がある』と評したのだろうが。

自分の内面を思うと、あの時の指導員は、実は見る目がなかったのではないかと思えてくる。
確かに、女を閨で繋ぐような任務を受ける可能性がなくなってほっとしてはいるが、教育を受けて、それが仕事だと言われれば、自分は淡々とそれをこなしただろう。
仕事なのだから。
罪悪感もなく。
それが、世間がイルカに持つイメージとは著しく乖離することも知っているけれど、事実だから仕方がない。
 
 
いつ頃から自分に対する世間の評価が『良い人』になったのか、イルカは覚えていなかった。
子供の頃はそこそこイタズラで、当たり前の悪ガキだったのに、いつのまにか『良い人』ということになっていた。
良い人。
良い先生。

それは『良い忍者』という言葉とは、決して重ならない。

忍者等という因果な商売をしているのに、『良い人』だなんて評価をもらってしまうのは、非情であるべき任務も受ける中忍としては、失格だろう。
イルカにはイルカなりの矜持があったから、『良い人』だと言われることに抵抗を感じないわけでも無かった。
どうして『良い人』なんて言われてしまうのだろう。
誰だってやることを、あたりまえにやっているだけなのに。

自分は『良い人』なんかじゃないのに。



ずいぶんと長いこと、イルカは自分を偽善者だと思っていた。
自分が無意識に演じる偽善を、周囲の人は素直に受け取って『良い人』だと感違いするのだろうと。
でも今では違うことを知っている。「偽善」ではなく、それは多少いびつに育った「性格」が勘違いされているだけだ。 
そうしていれば楽だから、自分がそうしたいから。
おざなりに、周囲との摩擦を避けて流している日々が、他人から見た時たまたま『良い人』に見えるだけのこと。
確かに弱者を守ることに吝かではないが、それだって「弱い者いじめを見過ごすなんて格好悪い」とか、「卑怯な奴は許せない」とか。
敵対する加害者や庇われる被害者にとっての、自分の行動の意味よりも、自分自身の正義感や気分だけが問題だとしたら。
それは『良い人』ではなく、すでに「偽善」ですらなく。
単に我が儘なだけじゃないだろうか?



カカシとのつき合いは、訳も分からぬまま肉体関係に進んでしまった。
上忍のカカシが、中忍の、しかもアカデミーの教師なんて実戦から退いた立場の自分に抱かれようとする理由が分からずに、遊びなのだろうかと、まずイルカは疑った。遊びと言って拙ければ、性欲処理。
まだ身体を重ねる前に、「写輪眼のカカシ」の無節操とも言える性生活の噂はイルカの耳にも入っていたから、カカシにとって、自分とのSEXもそんなものの一つなのだろうと思ったのだ。
イルカ自身は恋愛や、まして肉体関係を軽々に考えられる性格ではなかったけれど、男同士というのは初めてだったから、そういう物なのかと、深みにはまるまいと、身構えていた気がする。
変に期待してはいけないのだと、カカシも割り切ったつき合いのつもりなのだろうと己に言い聞かせていたのに。
カカシが時々見せる、まるでアカデミーの生徒達がイルカに向けるような無防備な信頼の眼差しに胸が高鳴り、共に過ごす時間の中で、思いがけず子供のような素の部分をさらされて狼狽えた。
好きになっちゃダメ。好きになっちゃダメだ。カカシは上忍で、住む世界が違う人で、自分なんかが思いを寄せてるって気付いたら、きっと呆れて二度と会ってくれないだろう。
そんなこと考えてる時点で、もうとっくに好きになってしまっているのに、ジタバタと足掻くこと一ヶ月余。

どうやらカカシは本気で自分のことを好きらしいと気付いた時は、まさしく青天の霹靂だった。

「俺、イルカ先生のこと愛しちゃってますから〜」
何かの拍子に言われた言葉に「またまたー、カカシ先生そんなこと言っても何も出ませんよー」
と笑って返したら、嬉しそうだったカカシの顔から一瞬表情が消えて、イルカから視線を外す瞬間の眼が「傷ついた」と訴えてきた。

最初は騙されたような気がした。
別に言葉に出して確認した訳じゃないけれど、男同士なんだし、遊びだと思っていたのに、そんな目で見るなんて。
遊びと割り切ろうとしていた自分が汚いもののように思えるじゃないか、と。
それでも「あのカカシがどうやら一人に絞ったらしい」とか「今の相手に岡惚れらしくて、つき合いが悪くなった」なんて噂がイルカの耳にも入って来るに及んで、「つき合ってる相手」が自分以外にいそうもないと自覚せざるを得なくて。

おずおずと胸の内を打ち明けたら、満面の笑顔で、眼を潤ませたりして、綺麗な綺麗なカカシが、イルカの胸に飛び込んできてくれたのだ。




そして、やっぱり自分は『良い人』なんかではないのだと、イルカは再確認した。

『良い人』だなんて人はイルカのことを勘違いしているけど、本当に『良い人』なのはカカシだと思う。
誠実で、開けっぴろげで、素の自分を見せてくれる人。
嘘を吐くよりも、誤魔化して返事をしない人。
イルカの為なら、平気でイルカを騙す人。
 
イルカはカカシにだって、素の自分を見られるなんて恥ずかしくて出来ないし気分良く過ごすためなら、その場限りのおざなりな嘘を、嘘とも思わないのに。
カカシの為にカカシを騙すことは出来るけど、自分の為にだって平気でカカシを騙しそうで、今ひとつ自分が信用ならない。
考えれば考えるほど自分の汚さが気になって、どうしてカカシのような人が自分を好きになってくれたのだろうと不思議に思うのだ。

それでも、こんな自分を好きだと言ってくれるなら。

カカシと一緒にいれば、カカシを大切にしていれば、なんだか自分も本当の意味で『良い人』になれそうな気がして。
そう思った瞬間から、カカシはイルカにとって一番大切な人になった。



こんがりと焼き目の付いた卵焼きを綺麗に切り分けて皿に盛る。
みそ汁も出来上がったし、ご飯は炊きあがって蒸らしているところだ。
 
程良く暖まった部屋から襖一枚隔てて、ヒンヤリと冷たい空気のまま止まっているカカシのいる世界。
イルカは濡れた手を拭って、カカシを起こすために襖を開けた。
カカシの眠るベッドに近付くだけで、イルカの心には幸せが満ちてくる。
ベッドのすぐ横に立って、イルカは口元まで布団に潜ったカカシの銀髪に、そっと口づけを落とした。
「カカシ先生、起きて下さい。朝ですよ」
任地ならともかく、イルカの部屋で眠るカカシが、そんな穏やかな声で起きた試しはないのだけれど。
大事な大事なカカシの、安らかな眠りを壊したくなくて、イルカはそっとカカシの名を呼ぶ。
「カカシ先生?」 

大切な人。
 
イルカにとって、誰よりも大切な。

誰よりも『良い人』。

 

 
 



 

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JINさまに『お年玉』として頂きました。
このサイトに初めて頂いた記念すべきSS。
イルカカイルカカ〜〜v
景品でもらったマグカップ使っているイルカ先生が「らしくて」イイですね!!
そしてカカシが可愛いです〜〜vはう。
JINさま、活動は別ジャンルなのにスゴイ。
ありがとうございました!!