ひょろりとした長身の青年が、きょろきょろと辺りを見回していた。
どうやら『捜し物』をしているようだ。
「カカシ〜〜カカシく〜〜ん……出ておいで〜〜」
植え込みの下や狭い壁の隙間を覗いてみたり、果ては下水のふたまで持ち上げている。
その姿はどう見ても猫の仔でも捜しているように見えたが―――
下水の蓋をばたんと閉じ、ミナトはため息をつく。
「………ああ、変な人に攫われてたらどうしよう…カカシ君、可愛いから………」
自分でそう呟いてから、さぁ、とミナトは蒼褪めた。
「そ、そんな事になってたら………サクモさんに顔向け出来ないどころじゃない………」
「………何を捜しておるのじゃ?」
声を掛けられた青年はがばっと顔を上げた。
「ああっ! 三代目!! ウチの子お見掛けになりませんでしたかっっ」
「おぬしの子……?」
三代目は首をひねる。
目の前の青年は確か独身で、子供などいないはずだが。
「あの子ですよ! カカシ君ッ!」
三代目はポンと手を打った。
「ああ、サクモの息子か。………あれはいつからお前の子になったんじゃ」
「サクモさんの息子ですけど、ウチの子でもあるのです! あの子のおしめを替えた回数では誰にも負けませんからね、私は! それより、カカシ君です。
朝御飯の後からずっと姿が見えないんですよっ」
青年は必死の形相で訴える。
「…落ち着けい、ミナト。…アレだとて、忍者の端くれ。そうそう…」
「だってあの子はまだよっつなんですよおおお〜〜〜〜!!!」
三代目の言葉を遮り、ミナトは吼えた。
四つの幼児を忍者にする方が間違っている。
「安心せい、もうすぐ五つじゃ。何でも、もうアカデミーで教える事もないそうではないか」
「そう言う問題じゃないでしょおおっっ! あの子に何かあったら、サクモさんに顔向けが出来ませんっ」
四つも五つも幼児に変わりは無い。
まだまだ大人の保護が必要で、目を離してはいけない年齢なのである。
―――世間一般常識では。
今ミナトが捜している幼児は、天才と名高い父親の血を受け継いだ神童だった。
忍の常識から見ても、幼児とは思えないほどの逸脱した能力を有している為、世間とは違った理由で大人の保護が必要なのである。
その保護者も、単に大人なだけでは務まらない。
幼児の能力を凌駕した『力』が必要だった。
だからこそ、父であるサクモは自分の留守中、我が子をミナトに預けているのだ。
「あの子は能力だけはありますけどね! まだ判断力に欠けるんです。経験値が足りなさ過ぎるんですよ。まだしていい事と悪い事がよくわかっていない。なんたって、人間の言葉が喋れるようになってまだ二年とちょっとなんですからねっ」
「……だからお前が面倒を見ておるのだろうが?」
「だから目を離せないのです! ああもう、こんな事している場合じゃない! 失礼します!」
ミナトは律儀に老人に断わってから印を結び、姿を消す。
「忙しないヤツじゃな……あれで次代火影の候補なのだから……」
里の中で四代目最有力候補と囁かれているのは、白い牙ことはたけサクモであったが、当のサクモが自分よりもミナトの方が火影の器だと言って譲らない。
三代目もまた、能力的には誰よりも優れているサクモが、性格的に火影には向いてないことはわかっていた。彼には、黒いものも白いと言ってそれを押し通す図太さが無いのだ。
その点、ミナトには外見の爽やかさからは想像もつかない腹芸をやってのける強かさがあった。サクモは、それを見抜いているのだろう。
里長という立場には、そういう図太さが求められることを身に沁みて知っているのは当の三代目である。
四代目火影になるかもしれない青年の残存チャクラを胡散臭そうに手で霧散させ、三代目火影はため息をついた。
実の所を言うと、ミナトはそれほど子供好きというわけではなかった。
内緒の話だが、カカシ以外の幼い子供を見ていると、時々鬱陶しく思ってしまうこともあるくらいである。
まだ『弱い存在』の彼らを守ってやるのはいいのだ。
また、守るべきだと思っているし、そうしたいと心から思う。
ただ、自分自身が聞き分けのよい大人しい子供だった所為か、聞き分けが無くてうるさい子供を見ると、どうしてあんなに我がままなのだろう、とつい苛立ちが頭を擡げてしまうのだ。
そんな彼がカカシの身を案じるのは、カカシがまだ子供だから、だけではない。
『サクモから預かった子だから』という理由だけでもなかった。
ミナト自身があの幼子を愛しているからだ。
彼にとって、カカシは特別な存在なのである。
ミナトは、カカシが赤ん坊の頃からずっと面倒を見てきた。
我が子同然、というにはカカシと歳が近いので、強いて言うなら弟同然、だろう。
その弟のようなカカシが、幼い子供にとっては負担にしかならない能力を持っている。
彼が危惧を抱くのも当然だった。
子供が己で御し得ないほどの力を持つ事の危険性は、誰よりもミナトがよく知っていたからだ。
彼自身が、幼かった頃に己の力を御しきれず、自らを滅ぼしかけたのである。
カカシに同じ轍を踏ませるわけにはいかない。
守ってやらなければ。
カカシ自身の力から。
そして、あの子を害する総てのものから。
「かかしく〜ん、おへんじしなさ〜い」
相変わらず、家出した子猫を捜しているかのような調子の声で子供の名を呼びながら、ミナトはあちらこちらを覗き回っていた。
「うう〜〜…やっぱ、どっかで眠っちゃってんのかなあ………」
カカシもやはり子供だ。
妙な時に妙な所で眠り込むことがしばしばある。
「前は屋根の上で眠っちゃってたコトあるものな〜〜……カカシ君………」
あの子供の所在が確かめられないだけで、こんなにも不安になる。
ミナトは自嘲しながらも、子供を捜し続けた。
そして、カカシの行動範囲とは思えない場所まで彼は足を伸ばす。
「…いっくらカカシくんでも、用も無いのにこんなトコまで来るかなあ…」
もう、木ノ葉隠れの温泉地が目と鼻の先だ。
「……ああ…今度、みんなで温泉とか……いいかも………」
自来也とサクモはいつも任務任務で、生傷が絶えないし。ほんの僅かな休暇でもいいから、温泉にでも浸かって皆で静養できたらいいのに、と思う。
そういえばカカシは、普通の銭湯も知らないはずだ。
広い風呂、たっぷりのお湯。
もしかしたら普通に子供らしく、喜ぶかもしれない。
(広い浴槽ではしゃいで泳いだりして……ああ、可愛かろうなあ………)
青年は緩みかけた頬をぺちっと自分で叩く。
「妄想の前に、実物を確保せにゃ…」
そして更に捜す事小一時間。
本来青年が短気だと知る親しい者が見たら、驚くべき忍耐強さで彼はカカシを捜していた。
ふと、彼の眼に見知った後姿が映る。
「あれ? お師様お帰りだったのか………まだ任務中かと思ってた………」
公園の木陰に座り込み、本でも読んでいるようだ。
その遊び人風の風貌に似合わず、自来也が読書好きな事をミナトは知っている。
「ああいうのを濫読っていうのかな。…読んでいるジャンルが目茶目茶広いものね………」
堅苦しい古文書から、ペーパーバックのポルノまで。
その守備範囲は把握出来ないほど広く多岐に渡っていた。
ミナトはその背に声を掛ける。
「お師様〜、カカシ君が何処にいるか知りませんか〜?」
その問い掛けに、のんびりとした応えが返ってきた。
「知ってるぞー」
ひょいと弟子の方を振り返った彼は、指で自分の股間辺りを示す。
「ココにおる」
ミナトの思考は一瞬停止した。
次の瞬間、青年は自来也の前に飛び込むように移動していた。
「カカシくんっっ!!」
カカシは突如現れたミナトに驚きながらもにこっと小さく笑う。
「せんせえ」
「な、何してるのかな…? 先生、カカシくんがいないから捜したんだよ? いっぱい」
カカシはきょとんと首を傾げる。
「………せんせえ、おこってる…? オレ、ごめんなさい?」
ミナトは慌てて首を振る。
「お、怒ってないよ。…でも、先生に黙ってこんなに遠くまで来たらダメだよ」
「…ごめんなさい……」
胡座の中にカカシを抱えた自来也が、まあまあ、と手を振る。
「叱ってやるなよ、ミナト」
ミナトは思わず半眼で自来也を見据えた。
「叱っているわけじゃありません。………それより、どーしてココにカカシ君がいるのか、説明して下さいますか? お師様」
自来也はぽりぽり、とボサボサの頭をかいた。
そして、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「………いやあ、コイツを連れておるとな、若いおなごが『か〜わいい〜』とか言うて寄ってくるもんでのぉ。…ちっと借りたわ」
「…………それでこんな遠いところ………温泉地の手前まで連れてきたのですか…ッ! …私がこの子を捜しているのではないかということくらい、おわかりだったでしょうに!」
ぷるぷるぷる、とミナトの拳が震えているのに気づいた自来也は、そーっと腰を浮かせた。
この弟子は、見かけによらず短気なのだ。
「カカシ君を、ナンパに使わんでくださいッッ!!!」
膨れ上がる怒気とチャクラ。
ヤバイ、と判断した自来也は弟子が爆発する前に即行でカカシを彼の胸に押し付け、ドロンと姿を消す。
「ああもう油断のならないっ」
ミナトはカカシをしっかりと抱きしめた。
「カカシ君、カカシ君。…大丈夫だった? 自来也おじさんに、何か変なことさせられなかった?」
青年はおろおろと子供の顔を覗き込む。
「…なにかって?」
「ええと、じゃあ自来也おじさんと、何してたのかな?」
えっとね、と首を傾げる四歳児。
「ごほん、よんでくれた」
「ご本…?」
ナンパのダシにしていたというのは冗談で、もしかしたら単に一人でいたカカシを保護して、遊んでくれていただけだったのだろうか。なら、怒ったりして悪かったかな、とミナトは足元に落ちていた『ご本』に目をやる。
「…………」
ぷち。
青年の頭の中で、何かが切れる音がした。
「おしさまあああああ――――――ッッ」
咆哮。
突如殺気を漲らせたミナトに、カカシは怯える。
「せんせ…」
「隠れてないで出てきなさ――――――いッ!!!」
殺気全開で怒りを露わにする四代目候補の前に、ハイハイと出て行く人間はおるまい。
自来也はとっくの昔にその場から遁走していた。
「せんせ、せんせ…おこってる…?」
先生の殺気が怖いのだが、当の先生がしっかと抱き締めているのでカカシは彼にしがみついている他無い。
獰猛に唸るミナトの足元には、あられもないポーズでお色気を振りまく全裸の美女の写真がこれでもかと掲載されている十八禁の『ご本』が転がっていた―――
その晩。
弟子の遠慮会釈もない鉄拳を受けた顎をさすりながら、自来也はブチブチと言い訳をした。
「………ワシはのぅ、お前をちょいとお綺麗に育て過ぎた気がしてのー。やっぱり、男はキレイなお姐さん達とヤルことやってナンボ! だろーがよ。ちっこい頃から免疫をつけておくのも大事なことだと思ってのー。サクモさんを見ろ。あの天然記念物的オクテを。女に免疫が無いから、騙されてエライ目にあっとる」
「………サクモさんが、お師様のように手当たり次第に女性に声をかけるような人だったら、もっと大変なことになっていますよ」
ミナトの声は、相変わらず地を這うように低い。
「………………まあ、そうかもしれんがの。だが、どんなにおなごに色目を使われても、全然気づかないってのもまた問題が………」
「サクモさんは、あれでいいんです。問題をすり替えないでくださいますか、お師様。…十八禁の意味は、ご存知でしょう? 今後一切、カカシ君にあんなモノ見せないでください!」
アイスブルーの瞳に冷たい怒りの焔が宿っているのは、なかなかの迫力だった。
さすがの自来也も、とうとう頭を下げる。
「すまんかった! ワシが悪かった!」
師匠に頭を下げさせた弟子は、「フン」と鼻を鳴らした。
「おわかりくださればよろしいのです。…ああ、今夜から二週間はこの家で晩酌など出来ないとお思い下さいね?」
そんな殺生な〜…という師匠の声を背中で聞きながら、ミナトはカカシを抱いて風呂場に向かった。
ぽちゃん、と天井から滴が落ちる。
ミナトは、湯の中で更に軽くなったカカシをふわんと膝に抱き寄せた。
カカシはくすぐったそうな、嬉しそうな顔で大人しく彼に抱かれている。
「………ったくもう………カカシ君に変な教育をしてくれちゃ困るんだって………本当にサクモさんに顔向けできないよ」
ブツブツと呟いているミナトを、きょとんとカカシは見上げた。
「せんせ?」
「………カカシ君」
「はい、せんせえ」
「……あのね、もう先生に黙って遠くに行ったらダメだよ?」
「…はい、せんせえ」
ミナトはパシャ、と湯から手を上げてカカシの髪を撫でる。
「カカシ君」
「はい?」
「………自来也おじさんには、気をつけるんだよ……一緒に遊ぼうとか、ご本を読んであげようとか、忍術を教えてあげようって言われたら、先ずお父さんか先生を呼びなさい。…いいね? お約束」
カカシはきょとんとしたが、こっくりと頷いた。
自来也おじさんも好きだけど、お父さんと先生の方がもっと好きだ。
「おやくそく、します」
ミナトは、きゅうっとカカシの頭を抱く。
「いい子だねっ! カカシくんは!」
後年、いい大人になったカカシが、自来也おじさんの著作(十八禁)を常時携帯して愛読するようになってしまうとは―――その時の四代目には知る由も無かった。
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