珠にキズ

 

「はい、確かに受理しました。…すごいね、君の歳で中忍っていうのもすごいけど、単独
任務だなんて。ちゃんと報告書も書けているし。…あ、でもちょっと字とか違う所もあっ
たかな。それはこっちで直しておくか……ら…」
小さな忍者から報告書を受け取った中忍は、周りの空気に気づいて言葉を途切らせた。

受付所に流れる何とも言えない気まずい雰囲気……

彼にとって不幸だったのは受付所勤務を始めたのがつい最近で、あまり多くの書類に接し
ていなかった事だろう。
彼は、手にしている報告書はてっきり目の前の子供が一生懸命書いた物だと思って褒めた
のだ。
噂で聞いていた早熟の天才という子供に興味があった彼は、噂の子供を実際眼にして少し
興奮していた。
想像していたよりその子は小さくて、口布で顔の半分を覆っていても充分可愛くて。
天才といえどやはり子供なのだから『よく出来ました』は言ってあげなくては、と思って
いた。
実際、初めてのおつかい…いや、単独任務をこなしたカカシは少々緊張していたから、普
段よりは『子供らしく』見えていたので無理もない。
もちろん、まだ小さなカカシを本当にたった一人で任務に赴かせたわけではない。
『保護者』がちゃんと、カカシに気づかれぬように陰から見守っていた。
手助けをする気はなかったが、命に関わるような危険に陥ったら助けるつもりで。
そして、報告書の作成はまだ『保護者』の仕事だった。
たった六つのカカシに、忍独特の難しい言い回しの文章を書けと言う方が酷である。
従って。
彼が手にしている報告書を書いたのは、子供の後ろにいる『保護者』。
次代火影に目されている青年だった。
青年は茹蛸のように真っ赤になって、おずおずと子供の頭越しに書面を覗いた。
「…ごめん…どっか、間違ってた…?」

書類を受け取った係りの男は声も無く硬直し、『ああやっぱり…』という大勢のため息が受
付所内に流れた。



「そりゃあ、おぬしが悪いわ」
青年の師匠であった男はひとしきり大笑いした後、涙を拭きながら言い放った。
「…だって……」
青年は机の上に指でのの字を書いている。
「…ちゃんと書いてるつもりなのに……」
「六歳児の字と勘違いされるような字をか?」
意地の悪い物言いに、赤くなった青年はぷっとふくれた。
最強の三忍と謳われる師匠と比肩する実力の持ち主であり、容姿端麗にしてその若さに似
合わぬ包容力を備え、次代火影間違い無しと言われる青年の唯一の欠点。
それは、壊滅的な悪筆だった。
クセがあるだけならまだいいが、その字は彼に似合わぬほど稚拙なものだった。
文字はその為人(ひととなり)と教養の高さをを表す。
その観点からからだと、彼の評価は全く出来たものではない。
「…まったく、頭はいいのにどうして字だけがこんなにヘタクソなんじゃ、おぬしは。良
いか? 何度も言ったが、字と言うのは他の人間に読めなければ意味はないのだぞ」
「……暗号文字は書けるし…」
「それも一般的には読めん」
即座に却下された青年はあうあうと意味不明の呻き声を発して机に突っ伏した。
「…自来也のいじめっこ……」
「あほう」
自来也はため息をついて、青年の金髪をわしゃわしゃとかき回した。
「こら、ミナト。おぬしな、火影になったら大名方や他の忍大国の影達とも書簡のやり取
りがあるのだぞ。木ノ葉の里の権威が失墜するような書では困るだろうが! 今から
でもいいから練習せんか」
「…今からじゃ無理ですってば……書簡なら書記に清書してもらって、署名だけすればい
いじゃないですか。…第一、私が火影になりたいって言ったわけじゃないし。決まったわ
けでもないし」
どん、と自来也は机を叩く。
「ええい往生際の悪い! まだそんな事をぬかすか! 里長以外には洩らしてはならん内
容だったら自分で書くしかないじゃろう! それにな、署名だけと言ったが、その署名す
らおぬしはアヤシイではないかっ! 口寄せ契約書の署名が読めんとガマに文句を言われ
るなど前代未聞だわっこのあほうっ」
これは流石に胸にぐっさりと来たらしい。
返す言葉も無く青年は肩を震わせている。
と、音も無く飛んで来たクナイを自来也ははっしと受け止めた。
「坊、こういうモンをむやみに部屋の中で投げたらいかんぞ」
「せんせーを苛めるな」
クナイを天井裏から投げた子供は子供らしからぬドスのきいた声で自来也に宣告する。
「せんせーを苛めたら、オレが殴る。せんせーのせんせーでも殴る」
「そうか、そうか。麗しい師弟愛じゃのう」
呵呵と笑ってから自来也はフッと唇を嘲笑に歪める。
「…やれるもんならやってみい、ヒヨッコ」
「自来也っ! 子供相手に何挑発してるんですっ! カカシくんも、いいんだよ…あのね、
これは先生が悪いんだから…先生、ホントに何でか字が上手く書けないんだよぅ〜…」
未来の火影、半泣き。
「先生、泣かないで…」
天井からぽとん、と降りてきたカカシは小さな手で青年の金髪を撫でる。
「先生は、すっごい忍なんだから泣いちゃだめです」
「うん、ごめん…カカシくん…」
(…六歳児と立場逆転してどーすんだよ、コラ…)
心の中で突っ込んだ自来也は、ハッとある事に気づいた。
「こら、坊! おぬし、もしかしてもしかしないでも読み書きをコイツに教わったのでは
なかろうなっ」
カカシはうん、と頷く。
「教わった」
自来也は机の上の紙をカカシの前に置く。
「…名前、書いてみい」
カカシはよいしょ、と机と向かい合い、鉛筆を握って―――うんしょ、うんしょ、と署名
する。
「はい」
ほ〜っと自来也は安堵の息を吐いた。
字に見える。
子供らしくまだヘタな字だったが、ちゃんと読めた。
「自来也あ…あのね、いくら私でも、自分で書いた物をカカシくんのお手本にはしません
ってば」
「それもそうか」
「私は読み方を教えただけ。…カカシくんは賢いから、読めたら見よう見真似で書けるよ
うになったんです」
「ふんふん、それでか」
自来也はカカシの首根っこをつかんで、ひょいと宙に持ち上げると自分の胡座の上に座ら
せた。
「何?」
訝しげなカカシの小さな手にもう一度鉛筆を握らせ、その上から自分の手で包む。
「持ち方が違う。…鉛筆はの、こう持つ。ほら、もう一度書いてみ」
「………」
自来也に持ち方を直されたカカシは、しぶしぶ言う通りにした。
「あ」
この方がきちんと書ける、と即座にカカシは納得した。
「それから、筆で書く時は、もっと指の先の方だけで持って、こう立てる。中指はこっち
だ。…そうそう」
カカシは素直に言われたとおりに手を動かす。
「…坊は飲み込みが早いのお。ミナト、お前もやらんか」
「うわあ、今更ですか?」
「ああ、ワシは忍術やら体術の指導ばかりおぬしにして、こういった事に気を回すのが遅
かったわ。受け答えがしっかりしとったから、まさかこんな欠点があったなんて気づかな
かったんだがな」
小さなカカシは先生の袖をつかんで見上げる。
「…オレ、自来也に教えてもらうから、見てて下さい、せんせ」
子供なりに気を遣って、『一緒にやろう』とか言わない辺りけなげである。
「カカシくんっ」
金髪の青年が銀髪の子供をぎゅううと抱き締めるさまを、自来也はやれやれと見遣る。
青年が『先生』と呼ばないので、子供まで彼を呼び捨てだ。
だが、『おっさん』だの『ジジイ』だのと呼ばれるよりマシなのでそこは追求しないでおい
た。

「わかった! 先生もカカシくんと一緒に頑張るよっ!」

金銀の頭が並んで真剣にお習字をしている。
その光景を前に、自来也は腕を組んで眉間に皺を寄せていた。
銀の小さな方はまだいい。
子供だからまだ達者に書けなくともいずれきちんとした物が書けるようになるだろう。
まだ人間として『生まれたて』に近いのだから、物事の吸収も早い。
だが、金のでかい方は。
この歳になってしまって、修正がきくだろうか。
「…カカシくん、上手になったね」
「………せんせいも」
「いいんだよ、気を遣わなくて…」
自来也はひょいと立ち上がって二人の後ろに回った。
「ミナト、おぬしも持ち方がおかしいの。…人差し指が余っておるではないか。こう…違う、
こうだ」
持ち方を直してもらっても、青年は尚やりにくそうに字を綴っている。
そうこう奮闘すること、小一時間。
「…休憩にするか」
カカシは「お茶をいれてきます」と立ち上がった。
と、青年がカカシをつかまえて、母親が子供の身じまいを直してやるように服をあちこち
引っ張ったり裾を入れたりと世話を焼いてやる。
「はい、いいよ」
カカシは少し恥ずかしそうに赤くなって頷くと、パタパタと台所に消えた。
その様子を何気なく見ていた自来也は、ふとある事に気づいて青年を呼ぶ。
「…ミナト」
「はい?」
「おぬしな……ちょいと、その筆左に持ち替えてみろ」
青年は「はあ」と曖昧に返事をしながら言われた通り持ち替える。
「それで書いてみ」
「はい」
青年がさら、と書いた字に、自来也だけでなく書いた本人が仰天する。
「えええええええええええええええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「…やっぱり……」
「自来也っ自来也っ!! こっちの方がマトモな字に見えますねっうわ、どうして?」
自来也はぽりぽりと頭を掻いた。
青年はクナイや手裏剣を両手で器用に扱う。
忍刀もどちらの手でも使える。
だが、左を使う必要のない時は右を主に使っていたので、彼も右利きなのだろうと自来也
は思っていた。
「…………もしかして、箸も左の方が上手いのではないか?」
青年は首を傾げる。
「そう…なんでしょうかね」
彼は左手で箸を持つように鉛筆を二本握ってみる。ちょいちょい、と先っぽを動かしてみ
て、また首を傾げる。
「これは特にどっちが使いやすいとか、ないですねえ…」
自来也は息をついた。
「…よーするにおぬし、文字を綴る時は左が利き手だったんだな…しかし、どうして利き
手で書こうとしなかったんだ」
青年は真面目な顔で答えた。
「だって、『鉛筆はお箸を持つ方、右手で持って』って最初に言われたんですもん」
「……………………」
自来也は軽い眩暈をこらえて苦笑するにとどめた。
「…何にせよ、今後は左で練習しなさい…」
青年は嬉しそうに頷いた。
「はい。へえ、やる事によって利き手って違うものだったんですねー…そーなんだー」
そこへカカシがお茶を持って戻って来る。
「あ、ご苦労様カカシくん。せんせーね、自来也先生のおかげで少し先に光が見えてきた
よ。カカシくんと一緒に頑張るねっ!」
カカシは嬉しそうな青年につられたようににこ、と笑う。
「はい、オレもがんばります」
そして、とことことお盆を持って自来也の前に来ると一番最初にお茶を置いた。
「はい」
どうやら子供はやっと『先生の先生』に敬意を払う気になったらしい。
自来也はますます苦笑した。
「おう、すまんの」
思えば青年に『先生』と敬称をつけられたのも久々である。
それにしても、十年以上も自分の利き手に気づかないものだろうか。
いや、それ以前にそんなに長いこと利き手以外の手で書いていたらそちらでマトモな字が
書けるようになるのが普通だろう。
もしかしてもしかしないでも、この目の前にいる教え子は『忍』としては天才的だがそれ
以外の事はもの凄く不器用なのでは―――

(……こんな天然大ボケ、四代目にして本当に大丈夫じゃろうか…)

自来也は胸に過ぎった一抹の不安に顔を顰めながら、茶を啜った。


その後四代目となった青年は自らの手できちんと書状をしたためたが、それが6歳児の字
に間違われる事はもうなかったという―――

 

 



 

 

だって読めなかったんだもん・・・ガマとの契約書。(笑)
あああ〜〜〜四代目のお名前〜〜〜がもし判明したらソッコー書き直しますが、それまで「シメちゃん(仮名)」です。
注連縄のシメ。それっきゃないっしょもー(TT)

(………と、書いたのでシメちゃんはミナトちゃんに変更致します。………あれでミナトって読むのか??? やっぱ、悪筆だ………ちなみに当時、サクモさんの存在 は原作で明かされておりませんでしたので、ここのカカシは四代目に育てられています)


あ、やる事によって利き手が違うって言うのはありますよね。友人に、ボールを投げる時だけ左っていうのがいるし。
私も他と比べれば少数派に入ってしまう場合もあります。
雑巾の絞り方向が大抵逆だし、食器洗いのスポンジ左でつかんでるし、蜜柑も左で剥きます。(笑)利き足も逆だったかな? あ、蜜柑って普通左で剥くものなのかしら。

そして自来也様の不安は的中。
四代目は最後の最後に大ボケかましてくれましたからね。
九尾封印はある意味「大ボケ」ですよう・・・他に何か方法なかったんかい、火影よ。

2003/1/1

 

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