Mortal−1  諸手・包ム・モノ

 

 

掌の上に守り袋。
深い紫色のそれは、縫い取りが所々切れ、袋自体の生地も角が毛羽立っていて結構古いも
のだと見て取れる。
彼にはこれがあるから、『生年月日』も『本名』もわかるのだ。
それは意味のある事の様にも思え、またまるで無意味な事の様にも思えた。
まだ少年のような繊細な面立ちの青年は、金色にけぶる長い睫を伏せる。
実際彼は、ようやく『青年』と呼べるかどうかと言う年齢である。
ただ、大人びた表情や落ち着いた雰囲気が彼を『少年』ではなく『青年』に見せているの
だ。
その両肩に負った重責は、彼に『少年』でいる事を許さなかった。
彼はその『重責』を己の使命として受け入れた。―――毅然として。
「…つまるところ、私は私だ」
それ以上でもそれ以下でもない。
青年は掌の小さな守り袋に目を落とす。
後生大事にこんな物を取っておいた事自体、己がこんな小さな守り袋を心の拠り所に……
つまり、『自らの存在の根』にしていた証拠だと悟った青年は自嘲に唇を歪める。
「私が私である為に、必要なものではないな」
青年の呟きが虚空に消え失せる前に、青白い炎が守り袋を包み込んだ。
と、次の瞬間その炎は掻き消される。
青年は視線を上げた。
「………何故?」
何故、火を消す?
問われた相手はのそりと姿を現わした。
「何でってなァ…お前、何も燃やす事はあるまいよ? 別にそれほど邪魔なモノでもある
まいに」
青年は目を細めて火を消した相手を見た。
青年の起こした炎を―――『火影』の名を継ぐに誰よりもふさわしく『火の性』を生まれ
ながらに持つこの青年の炎を簡単に消す事の出来る男。
「……ああ…何だか急に邪魔なもののように思えたので…」
青年の掌の守り袋は所々煤けてしまっていたが、何とか元の形は保っていた。
そのゴミのようになってしまった守り袋を「はい」と彼は男に渡す。
「燃やすなと言うなら貴方が持っていて下さい。…私は要りません」
「お前なァ……」
不承不承、といった風に焦げた守り袋を受け取った男はため息をついた。
仕方なしに懐から懐紙を出して包み、また懐に仕舞う。
その様子を見ていた青年は不思議そうに首を傾げた。その仕草に首に掛けられた金の飾り
がシャラ、と胸元で金属音を奏でる。
「そんな物、どうするんです?」
男―――自来也はさてね、と肩を竦めた。
「それよりもな、四代目。…黙って行方をくらますな」
「あれ……言ってませんでしたか? 和尚様の命日はこの寺にお参りに行くと」
寺、と言ってももう守る者も絶えた山中の廃寺である。
彼ら二人の他、人の気配は無かった。
「わしには言ったな。確かに。……だが、三代目にも側近の者にも言っていなかっただろ
うが?」
青年も肩を竦めてみせた。
「…貴方に言っておけばいいかと思ってたんですよ。…あまり大声で行き先をふれ回りた
くもないし」
本堂の外縁に腰を下ろしたまま彼はそっと微笑う。
こういう表情の彼は、消えそうに儚く見えて自来也を時々不安にさせた。
「………幼かったお前を三年間大事に面倒を見てくれた御仁の命日をだな、忘れぬ律義さ
は良いがのぉ……いかんせんこの山寺は遠いだろが…正確な場所はワシしか知らぬし」
「だから、貴方に言っておけば充分なんですよ。……私がいなければどうにもならない事
態など、里には起こりません。少なくとも今のところはね。……三代目もまだご健勝でい
らっしゃるし、ご意見番も健在。加えて貴方もいる」
はあ、と自来也はまたため息をつき、青年の金髪をくしゃ、とかきまぜた。
「阿呆。それでも四代目火影が黙って行方不明になっていいと言う事はないわ」
「…すみません。では、これからは一筆書き置きを」
「……のんきな火影サマだ」
青年は細い眉を不快げに顰めて見せた。
「…そういう呼び方、しないで下さいますか? お師匠様」
「火影様は火影様だろうが? ん? 木ノ葉忍軍の頭領を敬って何が悪い?」
拗ねたように青年は横を向き、自来也の手を頭の上から払った。
「…ご冗談を。…敬ってなどいないくせに」
自来也はククッと笑った。
「……そうさな、まあ敬うというか…凄いヤツだとは思っておるがのぉ……だからお前を
火影と認めたってぇわけだが」
青年が視線を戻すと、自来也が微笑んでいた。
こういう皮肉の欠片も無い優しい笑みを自来也が向けるのは、彼にだけなのだとい言う事
を青年は知らない。
微かに頬を染め、フイ、と視線を外す。
「またそんな…どうせ、火影になるなんて面倒だとか思っているのでしょう? 単純に力
だけで量れば、私よりもお師匠様方三忍のどなたかが襲名するのがスジでしょうに」
「わしら三忍は、アクというか…クセがあり過ぎるのよ。……今のこの現在、お前が一番
ふさわしい。『四代目』を名乗るのは、な。……でなきゃジジイがお前を自分の後釜に据え
るかっての」
これは青年が『火影』の名を継いでから何度も交わされた会話だ。
それでも尚それを忘れたかのようにお互いに同じ言葉を繰り返す。おそらくはこれからも。
「だからと言って……」
青年はまだ拗ねたような顔で自来也を見上げた。
「貴方まで私を火影様、だなんて呼ばないでください。……四代目…もあまり嬉しくない」
「阿呆、けじめじゃ。…何を甘えておる」
突き放すような科白とは逆に、自来也の手は青年の柔らかな淡い金の髪を撫で、その頭を
引き寄せる。
青年は素直に自来也に引き寄せられるまま上半身の体重を預けた。
「……だって…火影は甘えてはいけないでしょう…? だから、貴方と二人きりの時は…
こんな時くらいは『火影』でいたくないんですよ」
暗に「貴方には甘えたいんだ」と訴えて立ったままの自来也の腹に頭を擦りつけてくる。
まるで赤ん坊か子犬のような甘え方をする『木ノ葉忍軍の頭領』に、自来也は苦笑を禁じ
えない。
が、そんな仕草が可愛くて、愛しくて自来也はつい彼を『甘やかして』しまう。
「仕方ねえガキだのお」
わしゃわしゃ、と指で髪をかき回してやると、青年は心地好さげに目を細めた。
そしてそのまましばらく、元師匠に寄りかかっていた青年はぽそりと呟く。
「………貴方だけは………」
「うん?」
自来也は柔らかな髪の感触を楽しんでいた手を止め、言葉の先を促した。
「……………貴方…だけは…私を……ねば……いけない…」
自来也は手を滑らせ、青年の顎に指をかけて軽く上向かせた。俯いて発せられた言葉がよ
く聞き取れなかったのだ。
「……なんじゃ?」
青年の声はおどけた風もなく、静かに続く。
「………貴方だけは……私の弱音を…聞いてくれなくては………」
「…おい……」
「………貴方だけは……私が泣く事を…許してくれなくては………」
「………………」
「貴方…だけは……――――」
青年の空色の瞳は嫣然とした艶を放って自来也を捕らえる。

「―――…本当の『私』を…見てくれなくては……―――」

これは、と自来也は思う。
これはどういう『生き物』なのだろう。
呼吸をするように自在に焔のチャクラを扱う、不思議な生き物。
柔らかな春の陽射しのような髪を、澄んだ水のような瞳を、雪のような肌を持つくせにそ
の『本性』は焔。
遠い昔にこの荒れ寺で出逢い、拾った。
その時から自来也はこのしなやかな生き物に惹かれてやまない。
『本当』の彼の事等、理解ろうとしたって理解るものではないだろう。
だが、虚像ではない彼をただ見守る事なら出来よう。

自来也は黙って青年の顎にかけた指にほんの少し力を入れた。
青年は心得たように目を閉じ、自ら男の方に顔を仰け反らせる。
自来也の乾いた唇が、女のようにしっとりと柔らかい青年の唇を吸う。
ただそれだけの接触だったが、青年はミルクを飲んだ仔猫のように満足げな笑みを浮かべ
た。
「……自来也……」
お師匠様、ではなく、『自来也』と。
自来也を求めてするりと首に絡みつく腕はまるで性質の悪い魔性のもののようで。
確かにこんな『彼』を知っているのは自分だけだろうな、と自来也は唇を苦笑に歪めた。
「……不謹慎、とは思わんのか?」
恩人の命日にその墓のある場所で。
「……別に?」
ふう、とため息をついて自来也は青年の身体を乱暴に引き寄せる。
性質の悪い生き物は、男に身体を預けながらその耳元でくすくす笑った。
「自来也……」
「…なんじゃ」
「………私は…やっぱり………」
その先の言葉を、青年は己の内に呑み込んだ。

―――『貴方』が在れば…それでいい………―――

古い守り袋の中にあった木片に書かれていた名前よりも。
もっと大事なもの。
顔も知らぬ親が付けてくれた名前よりも、もっと確かなもの。

この、彼の手。―――存在。温もり。鼓動。声。

『四代目』であらねばならない青年は淡く微笑んだ。

 
―――私が…私で……ある為に…―――
 

 

2003/10/11

 



 

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