魔法のコトバ−2

 

「…………なんてコトが昔あったんだけどね、カカシ。覚えてないかな」
「三歳児の記憶なんて断片的で夢と現実がごっちゃでいい加減なものなんです。覚えていません」
ああ、クールだ。
こころなしか、カカシから冷気が漂ってくるような錯覚さえ覚える。
小さい頃はあんなに可愛かったのに。
大好き、大好きって、毎日のように抱きついてきて、頬といわず唇といわずキスしてきたのになあ。
―――もっとも、今ソレをやってたら色々とアブナイ気がするけれど。
ぷにぷにのまぁるいほっぺは幼さを残しながらも少年らしく引き締まって、柔らかな手足もすんなりと若木のように伸び、可愛い幼児はいまや立派な美少年。
この子、見た目はすっごくサクモさんに似ているのに、彼とでは纏っている空気というか、雰囲気がまるで違う。
任務中は丸っきりの別人になってしまうのだけど、普段のサクモさんは春のひだまりみたいに穏やかでぽややんな人だった。
なのにカカシったら、常時表情からして冷ややかなクールビューティさん。滅多に笑ってもくれない。
まあ、それでも私から見れば、可愛い事に変わりは無いのだけどね。
ハ、とカカシは小さく息を吐く。
「火影様を足で踏むなんて畏れ多い。………何で普通に肩揉みとかじゃいけないんです?」
「ん、それでもいいんだけど、カカシが背中から足の裏までふみふみしてくれたアレが忘れられないと言うか思い出してしまったと言うか。…とにかく、すっごく良かったんだよね。………ね、少しだけ。頼めないかな〜?」
「今のオレが乗ったら重くて痛いだけじゃないですか?」
「じゃ、変化して」
「…………………………」
あ、カカシの眼が更に冷たくなった。
「火影様命令ですか? なら仕方ないですけど」
そう言ってしまえれば簡単なんだろうけど。それはどこか違うんだ。
『命令』で『仕方なく』なんて、寂しいこと言わないで欲しい。
「めいれい………じゃなくてお願いしてるんだけどな」
必殺上目遣いおねだり攻撃。―――どうだ?
やだなあ、そんなに盛大にため息つかなくても。
「………四代目。………いえ、先生。胴着を脱いでそこに寝てください」
あ、ナルホド? 火影じゃなくて、先生ならいいわけ?
んー、まあいいや。カカシにもカカシの考えがあるんだろうし。
いそいそと胴着を脱いで、長椅子に寝そべる。
「よろしく、カカシ」
カカシ君はサッと印を組む。
ぽん、とそこに現われたのは懐かしい幼児の姿だった。
やっぱりかーわいいなー。思わず抱っこしてちゅうしたくなってしまうね。
「のりますよ、せんせい」
へえ、声もちっちゃい頃に戻ってる。少し舌足らずで、たどたどしいしゃべり方が萌えツボなんだよね………って、いや、だから私は幼児趣味というわけでは………ゴホン。
………………………………。
―――ええい、可愛いものは可愛いのだ! 火影たるもの、現実から目を背けてはいけない。(三代目が聞いたら、鋭いツッコミが入るだろうけど)
カカシは裸足になると、そっと私の背中に乗った。
ふむ、やっぱり遠慮も無く思いっきり飛び乗ってきた昔とは違うね。
ああ、コレコレ。
この土踏まずもろくに形成されていない、大判焼きみたいな軟らかい足の裏! ちっちゃい足指! 微妙な体重!(すごいな、カカシは。体重も見た目に合わせてあるよ)
………覚えていない、なんて嘘でしょう、カカシ。
昔、私が気持ちいい、と言った場所を確実に踏んでくれているじゃない。
いや、あの頃よりも更にテクニックは向上しているな。
「いたくないですか?」
「ん、全然。…すっごく気持ちいい」
「あしのうら、いきますよ」
「ん〜、待ってました」
小さなカカトで土踏まずをぐいぐいとやられると、もー天国。
「…あぁ、イイ。すっごく、イイ………」
―――恍惚。
「………へんなこえ、ださないでください、せんせい」
「………すみません」
ん〜、昔だったらなー。
『いいの? じゃあもっとしたげる』なーんて、無邪気に言ってくれただろうに。
カカシはしばらく無言で私の身体をあちこち踏む。
いや、ホントにツボを心得ているね、この子は。
「………ずいぶん、おつかれなんですね。…あまり、むりしないでください」
―――あ………そうか。
乗った場所と、私の反応で今のカカシにはわかってしまうのだろう。
内臓のどこが弱っているとか、疲労しているとか、そういう事が。
「………大丈夫、だよ。………まだ若いし」
「じぶんがわかいとかたいりょくあるとか、かしんするのはよくないって、いったのはせんせいです」
―――はい、そう言いました。
実は、お師様や君の父上にも、ムカシ同じコトを言われたんですが。
思わず、笑いがこぼれる。
「ん、そうだね、カカシ君の言う通りです」
カカシの動きが止まった。
「…………せんせいは、がんばりすぎて………おれたりしないでください………」
カカシの声は消えそうに小さくて、『倒れたり』と言ったのか、『折れたり』と言ったのかは、よくわからなかった。
でも、私を案じてくれる気持ちは十分過ぎるほど伝わってくる。
カカシは、幼過ぎる歳で忍者になって。
本当に無邪気でいられた期間がほんの僅かしかなくて。
その幼い瞳で人の生き死にを間近で見、普通の子供ならずっと後で知る哀しみを早くから体験させられてきて。
じっと独りで黙って心と身体の痛みに耐えることを覚え、それに慣れてしまった悲しい子だ。
それでも他人に対する優しさや思いやりを失う事はなかった。
他人の痛みに鈍感になれないこの子は、だからこそ強くもなれるのだろう。
「ん、わかった。程々に頑張ることにします。………私が倒れると、カカシが泣くからね」
「………なっ………なきませんよっ!」
えー、泣かないんだ〜、と私は軽く言って笑った。
「そーだねー、カカシは強いからねえ」
「………おれは、つよくなんか………」
カカシはボソボソと呟く。
「でも、せめて私が死んだら泣いてよね………って、痛い痛い痛いッ……マジ痛い! カンベンして! ホント死ぬからっ…うぁ…ッ!」
マッサージのツボを心得ているカカシは、当然『ヒトが痛がるツボ』も心得ていた。『痛い』と書いてある棒でもグリグリと刺し込まれた様な激痛に、情けないことに本気で涙が出る。
悲鳴をあげて身を捩ると、カカシの攻撃はピタッと止んだ。
「………じょうだん………っでも………っ…そんな、こと………っ…」
あ。
………私としたことが。
「…ごめんなさい。失言でした」
本当に、迂闊だった。
目の前で、父親や仲間を失って、どうしようもない悲しみや喪失感に独りで耐えてきた子に、何て事を言ったんだろう。
「………せんせい………」
するりとカカシは私の背中から降りた。
私は長椅子の上に起き上がり、カカシを抱き寄せる。
「ごめんね。…許して、カカシ。もう、絶対に言わないから」
カカシはコクンと小さく頷いた。
ああ、温かな柔らかい身体。変わらぬ愛しい存在。
私は君を、赤ちゃんの頃から知っている。ずっと、見てきた。
君の存在そのものを愛している。
サクモさんが亡くなってからは、余計に君を護りたいという気持ちが強くなって。
この子を守る為に、私は火影にまでなったのだ。
この子の為なら、私は何でも出来る。
「大好きだよ」
まだ変化を解いていない小さな身体を抱きしめ、唇に軽くキスをする。
「せ、せんせい…っ!」
カカシが慌てたような声を上げる。
「あ、ゴメン。でもカカシがこれくらいの頃は、しょっちゅうしてたから、つい」
カカシがまぁるいほっぺをピンク色に染めた。
「それも忘れちゃった? カカシからもよく、ちゅーってしてくれたのに」
「そ、それは………」
「うん?」
「たんに、こどもだったからです!」
ふぅん? キスの意味なんか知らない、子供だったからって? だから平気でお口にちゅうが出来たんだって?
「それは、違うなあ、カカシ」
ぽん、とカカシは変化を解いた。
「何がです」
「あの頃も君は、ちゃんと知っていたよ。……ちゅう、は大好きな人にするものだって」
カカシは、無垢だったが誰にでも懐くような子でもなかった。
この子の『大好き』は、父親であるサクモさんと、赤ん坊の頃から傍にいた私くらいにしか向けられず。かろうじて私のお師様と三忍の残りの方々、そして先代様に『好き』という感情を持っていたように思える。
だから、カカシのキスの相手は主にサクモさんと私だったんだ。
カカシは言葉に詰まって赤くなった。やっぱり可愛いなあ。
「最近は好きとも言ってくれなくなってしまって。寂しいな。………ね、私の事好きじゃなくなってしまったの?」
途端にカカシは不愉快そうな渋面になった。相変わらず眼の下は赤いけど。
「どうしてそうなるんです。………分別と言うものがついただけです。今の貴方に子供の時みたいに、何も考えずに大好き、大好きって抱きついてちゅうちゅう吸いつけますか。そんな、四代目火影様に対して………不敬な」
不敬、だって。カカシったら………いつの間にそんな言葉遣い覚えたんだろうか。
私の知らないうちに大人になっていっているようで、ちょっぴり寂しい。
「…ん? 今、好きだってところは否定しなかったよね?」
「………しませんよ。………貴方を嫌いになる理由なんて、無い」
あ、今何だかすっごくホッとした。
「…じゃあ、好き?」
カカシはすごく言いにくそうに口を開いた。
「………好きです」
「ありがと! 私も好きだよ、カカシ。…大好きだ」
カカシはますます面食らったように私を見た。
自分でも、自分が今すっごくニコニコしてるんだろうなーってのがわかる。
「………先生ったら………恥ずかしい」
「何で。…別に恥ずかしくなんかないでしょう? 本当のことだし」
私から眼を逸らしてしまったカカシの手首を、そっと握る。
「ねえ、カカシ。………これは、大事な言葉なんだから。誰にでも言える言葉じゃ、ないんだから」
カカシはハッとしたように私に視線を戻した。
「………忍ならば、言霊の持つ意味がどれだけ大事か、わかるでしょう?」
カカシはコクンと頷いた。
「………はい」
「これは、忍術じゃないけどね。………でも、まじないだよ。………人を幸せにする、呪文なんだ」
とは言っても、本当に好きな人にしか発動しない呪文だと思うけど。
「カカシ」
「はい」
「………大好きだよ」
「………………オレ、も。………大好き、です。………先生」
軽く、唇が合わさった。
これは、おそらくサクモさんが愛情込めて息子と交わしていたものと変わらない、親愛のキスだ。
でも、大切なキス。
愛を確認する儀式。
『大好き』と告げて、唇で確かめる。

こうして儀式を重ねるごとに、心の中に想いが刻まれていく。
深く、深く。


『大好き』
―――ああ、これは本当に呪文なのだ。
魔法の言葉。
人を幸せにする呪文。


刻まれた想いは、きっと死ぬまで消えはしないだろう。

 

 



 

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