吉凶籤も紙一重
(注:カカシさんが バリバリのくノ一『Nightmare』設定です)
―――昔っから苦手なんだ。あの人は。 決して、嫌いなわけではない。 それどころか、同業者として尊敬もしている。 だからこれは、親父に抱いている苦手意識に近いかもしれない。 彼は、俺にとって『痛い』ところを的確に遠慮なく突いてくるから。 そういう人物が苦手になるのは、人間として当然―――というか、仕方ないだろう? だが最近、『もしかしたら』と気づいた事がある。 彼は、俺に牽制をかけてきていたのかもしれない。 彼には、目に入れても痛くない可愛い娘がいるから。 その娘と俺が、年頃も階級も近いことに、父親として危険を感じていたのかもしれない、と。 ………だとしたら、とんだお門違いだ。 確かに、彼女は―――カカシは、美人だ。いい女だと思う。 性格だって、見かけの割りにサバサバとしていて、時には男よりも男らしい。同僚として好ましく、信頼出来る奴だ。だから、好意は持っている。 が、あくまでも好意だ。恋じゃない。 第一、あんなおっかねえ親父が背後で眼を光らせている女になんか、手が出せるか。面倒くせえ。 彼は四六時中彼女を見守っているワケではなく、普段はむしろ放任主義としか思えないくらい、娘をほったらかしている男だが。 仕事を優先して、里にも滅多に帰らない。 それでも、ヘタにカカシに手を出したりして―――そして、それが彼のお気に召さない展開だった場合。 その『手を出した野郎』の命の保障なんか無い。 娘の事となると、見境がなくなる親父がついているとわかっている女にちょっかいかけるほど、俺も物好きじゃねえものな。 ま、ちょっかいかけたところで、肝心のカカシが靡きはしねえだろうがな。 あれも、ナリの割にはカタイ女だから。 そのカタイ女が、どうやら自分からアプローチをして恋人をつくったと聞いた時は驚いたもんだ。 その相手が、格下で年下の中忍だと言うから、余計に。 だが、それがかの変わり者のアカデミー教師、イルカだと知って―――まあ、何となく納得したんだな。 カカシは、アイツに興味を持っていたし。 興味っていうのは、恋愛の第一歩となり得る。 後はアレだ。イルカの持ち味が、カカシのツボに入れば―――そして、イルカに元暗部の雌豹を受け入れる度胸があれば、OKだろう。 幸か不幸か、イルカにはそれだけの度胸があったわけだな。彼女の恋人でいたかったら、そのクソ度胸でカカシの親父殿『白い牙』にも立ち向かうしかねえぞ、イルカ。 他人事ながら俺は、胸の中でヤツにエールを送っていた。 まあでも、それは当分先の話だろうと俺は思っていたんだ。 何しろ彼は滅多に里に帰らないし、帰ってきてもすぐに出て行ってしまうような御仁だから。 しかし、それは甘かった。 彼はつい最近いきなり帰還して―――そして、何故か知らんが今度は出て行く気配を見せないのだ。 俺はなるべく、彼の視界に入らないように行動していた。 情けない話だが、仕方ない。 カカシに恋人が出来ていようがなんだろうが、俺にとってあの人が『苦手』なことに変わりはなかったから。 俺は報告書を手に、そーっと受付の中を窺った。 ………よし、いないな。 そそくさと中に入って、受付カウンターに報告書を置く。 その報告書を受け取りながら、イルカが営業用スマイルを浮かべた。 「お疲れ様です、アスマ先生。…どうかなさったんですか?」 「や、別に何でもねえよ。報告書、不備はねえな? 受理したな? じゃ」 こんな危険な場所、とっととオサラバしたいんだよ、俺は。 噂じゃ、ここら辺りによく出没するらしいから。―――彼が。 「…申し訳ありませんが、まだ確認が済んでおりません。しばし、お待ちを」 イルカは丁寧に報告書をチェックしている。その作業は通常のものなのだろう。ことさらゆっくりと行なっているわけではない………とは思うんだが、今の俺には一秒が十倍に感じられるわけで。 俺は、無意識に指でカウンターを叩いていたらしい。 それに気づいたイルカは、訝しげな表情を浮かべる。 「………すみません、この項目ですが………」 「どれ」 と、カウンターの上に身を乗り出した時。 俺の目の前から、報告書は魔法のように消えていた。 「数字は曖昧に書いちゃいけないねえ、アスマ坊ちゃま? 報告の意味を為さないよ」 その声に、俺の肩はガクーンと落ちてしまった。 ―――出たよ。 「………書き直します。………それから、その呼び方はご勘弁ください………サクモ様」 彼は手にした報告書でポン、と軽く俺の肩を叩く。 「キミも、かたくなにオレを様付けで呼ぶだろうが」 俺はぎこちない動作(だっただろう、たぶん)で振り返った。 「それは……まあ、当然でしょう? …先任の上忍に敬意を払うのは」 俺は間違ったコトを言っているワケじゃねえ。 そこには幾分か嫌がらせ成分が混入しているかもしれんが、先輩に礼儀を尽くしているだけなんだからな。世間一般的に見て正しい行為だ。 このガタイでヒゲ面でいいトシした俺を『坊ちゃま』呼ばわりする彼の方が嫌味だし! 「ふうん? それだけかなあ………もしかしてキミ、オレが嫌いだろ」 うわ、ハッキリ訊くなあ、とその時受付所内にいた誰しもが同じく思っただろう。 ああもう、だから苦手なんだよ、この人は! 俺は何とか笑みを浮かべてみせる。多少引きつっていたかもしれんが。 「いえ、とんでもない。貴方のことは尊敬していますよ。嫌いな人を尊敬するほど、俺は人間が出来ていませんから」 「………でも、『ああ、会いたくなかったのに』って顔に書いてあるし」 嘘だ。 仮にも上忍、腹芸の一つや二つ出来なくてどうする。………が、相手は一枚も二枚も上手の上忍だ。………バレバレかもなあ……いや、ココはバックレよう。それしかない。 「気のせいです」 俺は彼の手から報告書を抜き取ってカウンターに屈みこみ、数字を書き直す。 ………ううっ…背中に彼の視線を感じる。 どうせ、ヒトをからかうような眼で見てやがるんだろう。 「………あのねえ、アスマ君。キミがオレを疎ましく思うのは勝手だけど。…オレはもうあの事でキミにお説教する気は無いし、例の件を押し付けようとは思っていない。安心していいよ」 俺は思わずペンを止め、振り返っていた。 「………は?」 サクモさんは微笑み、俺に頷いて見せる。 元々、造作はおそろしく端整な男だ。その笑顔は一種の凶器だな、とオレは改めて思ってしまった。凶器と言うか………武器? 老若男女に通用しそうなトコロが恐ろしい。 「オレもね、もう逃げないよ。…そう、キミに言っておきたかったのに、キミときたらオレから逃げ回るんだもの」 やっぱ、バレていたか。俺は思わず薄っすらと赤面した。 「………申し訳、ありません」 「わかってくれればいいんだよ。…あ、イルカ君。これ、報告書」 反射的に「はい」と書類を受け取ったイルカは、眼を丸くする。 「………サ、サクモさんがこの任務を? これ、Dランクじゃないですか!」 俺も、その報告書を覗いてみた。 ………イルカが驚くのも無理はねえ。 DランクもDランク。そこに記されていた『任務』は、普通ならアカデミーを出たての新米下忍がやるような、任務とも言えない雑用だった。 「ん? 上忍がDランクやっちゃいけないって規則は無いよね」 そんな規則は無いが………この人は分相応とか役不足って言葉を知っているんだろうか。 いや、知っててもやるよな。そういう人だ。 「下忍の子達は出払ってたし、中忍達も忙しそうだったし。いいじゃないか、行ける人間が行けばいいんだよ。オレはヒマだったんだから。……でも、なかなか面白かったよ? とうもろこしの収穫。こういうのもたまにはいいねえ、初心に帰って」 ハハハ、と笑う白い牙。 受付所内の空気は凍り付いていた。 その中には、農家の手伝いなんてDランク任務、誰が行くかよバカらしい、と依頼を蹴ったヤツもいたのかもしれない。 気の毒に、てっきり下忍の子供が来ると思っていた農家の人は、来たのがこーんないかにも腕が立ちそうな上忍でさぞかし驚いたことだろう。 俺はため息をついた。 「初心って………貴方、Dランクなんて殆どやったこと無いでしょうに」 「んー? まあ、実はそうなんだけど。………でもねえ、やってみて思ったな。何かね、AランクやSランクで敵と戦って命のやり取りをするより、Dランクでも野菜の収穫の方が、他人様の役に立っている気がするものだね。笑顔で助かりました、ありがとうって言われると嬉しいし」 「あ、そうですね。それはわかります」 ぽんぽん、と承認の判を捺しながら、イルカは苦笑した。 「…はい、確かに報告書は受理致しました。………でも、出来ればこういうご酔狂は、程々に願います。理由は、申し上げるまでも無いですが」 サクモさんはニッと笑った。 「了解、イルカ先生」 イルカは彼に向けて丁寧に頭を下げた。 「お疲れ様でした」 それに応えるようにヒラリと手を振り、彼は受付所から出て行く。 数拍後、あちらこちらで一斉に大きく息が吐き出された。皆、無意識に息を詰めていたらしい。 俺はペンと一緒に報告書をイルカに手渡した。 「……ったく、相変わらず時々突飛なコトをする人だなあ。………ほい、修正終わり」 イルカは書類を確認して判を捺す。 「…はい、結構です。アスマ先生もお疲れ様でした」 イルカは、少し躊躇った後、俺を見上げる。 「………あの。………ご都合が悪くなければ………この後、少しお時間頂けますか?」 確か、カカシは今任務で外だったな。 「別に構わんが? んじゃ、久しぶりに飲みにでも行くか。仕事が終わったら、待機所に来いや」 イルカとは、以前から時々飲みに行くことがあったから、それ自体は珍しいことではないが。 あっちから俺を誘ってくるのは珍しい。 行きつけの居酒屋で焼き鳥とビールを注文してから、何か訊きたそうな顔をしているイルカに水を向けてやった。 「…で? 何だい。話があるんだろ? いや、訊きたいこと、かな」 イルカは恐縮した様子で頭を下げた。 「………すみません、その通りです。…あの、もしご不快に思われる質問だったら、お答えにならなくても結構なんですが」 「………言ってみろや」 「ありがとうございます。………あの、つかぬ事をお伺いしますが。もしかしてアスマ先生、サクモさんと何かあったんですか?」 俺はぐふ、とお冷を噴きそうになる。 「…昼間、受付所にいらした貴方の態度、最初から変でした。………彼と顔を合わせたくなかったんですね」 イルカにしてみれば、カカシの親父であるサクモさんに関する事には無関心ではいられない………んだろうが。コイツもストレートな奴だなあ、相変わらず。 「…あー…そっか。………お前は、プライベートであの人に会う機会があるんだな」 イルカは肩を竦める。 「………たまに、ですが」 「そっか。…ヘタすりゃあの人は、お前の義理の親父になるかもしれねえんだもんなぁ。…気になるわな、そりゃ」 イルカは薄っすらと赤面した。 「い、いえ…その………そう言う訳では………」 「でも、気になるんだろ?」 「………………はい」 俺は煙草を取り出して、火をつけた。 「………別にな。何か特別な事があったワケじゃねえ。………一時期な。…俺は、猿飛の名前が重くてよ。…親父の存在と、眼から逃げたんだ。…それを、あの人に諌められた。彼の言う事は正論だったけど。正論過ぎて、俺には耳に痛くてな。それから彼に苦手意識を持っちまっていたかもしれん」 「それだけ………ですか?」 俺は首を振った。 「…だけ、じゃねえけどな。………でもま、詳しいアレやコレやは勘弁しろや。…どうやら、もう問題は解決しつつあるようだし」 ―――彼は、『オレも、もう逃げない』と言った。 それだけで、わかっちまった。 いつもなら逃げるように里から出て行ってしまう彼が、今回は腰を落ち着けている理由が。 あの人は、三代目の息子である俺に、その座を継ぐように促してきていた。 もっと自分の血に対する自覚を持てと、事あるごとに説教されたし、親に逆らうような子供じみた真似はよせと、何度も諌められた。 俺などより、彼の方がずっと火影にふさわしいのに。 そう言い返すと、決まって彼は暗い表情で、自分にはそんな資格はない、と言うのだ。 力を持つ者の責任から逃れているのは、彼の方だ。 ―――と、思っていたんだがな。 どういう心境の変化か、彼はようやく覚悟を決めたようだ。五代目を襲名する、覚悟を。 イルカは少し首を傾げたが、「わかりました」と微笑んだ。 「貴方とサクモさんが、不仲ではないのならいいんです。…何か、深刻な事情でもあったら、それなりの気遣いが必要かと思っただけですので。…ありがとうございました」 イルカは、運ばれてきたビールを俺のグラスに注ぐ。 それに口をつけながら、俺も俺の好奇心に従って質問することにした。 「で。…カカシのヤツ、お前を彼氏として紹介したのか………? あの人に」 イルカは薄っすら赤面する。 「は。………まあ、一応………」 「…で、どうだった?」 「どうだった、とは?」 「いやホラ、相手は普通の親父じゃねえだろ。白い牙だ。生きながらにして伝説になっているような男じゃないか」 「あ…ええ、そりゃもちろん、緊張しましたよ。…実は、ご紹介頂くまで、カカシさんのお父上が白い牙だって、俺知らなかったんですけど」 あ、なるほど。………それで、か。 「実際会ってみて、彼をどう思った?」 「忍として、人として、尊敬に値する方だと思いました。…本当に、素晴しい方です」 コイツのことだ。こりゃお世辞抜き。掛け値なしの本気だな。 俺は腕を伸ばし、ポン、とイルカの肩を叩いた。 「うん、まあその通りかもしれんが。…でもま、気をつけろよ。何だかんだ言っても、あの人は娘が一番だからな」 イルカは首をかしげる。 「…? いや、そりゃあそうでしょう。普通、お父さんは娘さんが大事なものなのでは…?」 ……もしかして、コイツはあの騒動を知らんのだろうか。 「………お前、カカシの昔の婚約者のこと、知っているか?」 イルカの表情は、心なしか硬くなった。 「あ、はい。………四代目火影、ミナト様ですよね」 「そのミナト様が、白い牙に殺されかけた事があるってのも知っているか?」 はあ? とイルカは眼を丸くする。…やっぱ、知らなかったか。 「………ってのは大袈裟な言い方だが。………カカシの、コレさ」 俺は自分の左眼の上を指でスッとなぞる。 「四代目が、まだカカシの上忍師だった頃。…任務で、カカシが左眼を失った。そして、顔には大きな傷痕が残ってしまった。………それを知ったサクモさんは、怒り心頭。お前がついていながら、何てザマだ! と、問答無用で四代目をブチのめしにかかった、と」 「………………………そ、それは……………あんなに娘さんを愛しているお父さんが、その娘の顔に惨い傷がついたのを見て逆上しない方がおかしい………と言うか………」 その通りだ。 傷だけじゃねえからな。元の眼球が潰れた上、写輪眼なんて面倒なモンが可愛い娘に埋め込まれたと知った、彼の怒りは凄まじかった。 娘ももう一人前の上忍なんだから、とか。任務で負った傷は自己責任、とか。 そういう『忍の常識』などその時の彼の頭からは綺麗に除外されていたに違いない。 「……四代目は、本能的に身体が動いて初っ端応戦しちまったんだが、ソレがマズかったな。火に油ってヤツだ。…ヤバイと気づいて、それから逃げの一手。………凄かったぜー。里中、恐ろしいスピードで追っかけっこだ。速さではおそらく忍界一、黄色い閃光とまで謳われた四代目が、必死の形相で逃げていた。サクモさんがまた速いのなんの。やっぱり怒りっていうのはパワーの源になるんだと、しみじみ思ったわ」 想像してみたんだろう。イルカは、胃の辺りを手で押さえた。 木ノ葉きって―――いや、忍の世界でも一、二を争う上忍達が、本気で追っかけあいだ。 それは、近隣住人の恐怖の度合いから言って、大型台風と竜巻と地震が一度に来たようなもんだからな。 四代目はなるべく人家の無い場所に逃げてはいたが。 「…黄色い閃光と白い牙のケンカなんか、誰も仲裁できっこない。ヘタにちょっかい出せばタダじゃすまねえ。…とばっちりはゴメンだと、三代目も知らん振りしやがった。…あ、正しくはケンカじゃねえな。白い牙が一方的に怒ってたんだから」 「……そ…それは、その追いかけあいの途中で、サクモさんが冷静になってくださるのを待つしかない……というか。もしくは疲れてくださるのを待つしかないというか……」 俺は指を立てて見せた。 「正解。………四代目もそう思ったんだろうな。とにかく、ただひたすら逃げて逃げて逃げまくった。…四代目の方が若い分、体力の点で有利は有利なんだが。…まあ、相手もフツーの親父じゃないからな。よくもまあ、あのスピードを維持して丸一日走れたもんさ。二人ともバケモンだと思ったよ、俺は」 イルカは、恐る恐るといった態で俺を見た。 「…で、どうなったんですか………?」 「………さあな。どういう風にコトが収まったのかは、当事者だけが知っている話だ。…四代目は何とか、白い牙の怒りを鎮めるのに成功したんじゃないか? カカシとの婚約も解消にならなかったところを見ると。………それからしばらくの間、サクモさんの前じゃビクビクしていたようだけど」 俺は焼き鳥の串を振った。 「よーするに、あれだけサクモさんのお気に入りだった四代目すら、カカシを守りきれなかった所為であやうく半殺しにされるところだったっつーコトだ。…気をつけろよ」 イルカは蒼褪めた顔で頷いた。 「ご忠告、ありがとうございます」 「あれは、最初にミナトが大人しく一発殴られていれば、そこで終わる話だったんだよ」 ふいに頭上から降って聞こえた声に、一瞬身体が固まる。 ―――………出たよ。 「……何でこんなトコにいるんですか………サクモさん」 ニッコリ微笑む白い牙。 「何でとはご挨拶だね、アスマ君。…この店には、キミが生まれる前からよく来ているんだよ、オレは」 ………左様ですか。 「今日はカカシがいないからね。晩飯にイルカ君を誘おうかと思ったら、アスマ君と飲みに行ったというじゃないか。…キミ達が一緒に飲みに行くほど仲がいいとは知らなかったよ」 イルカは愛想よく彼に椅子を勧める。 「それは失礼しました。よろしければ、お掛けになりませんか?」 彼はチラリと俺に視線を流す。 俺は諦めて、手で空いている席を指し示した。 彼は、「じゃあお邪魔しようかな」と言いながら、俺の向かいに腰を下ろした。 「よくココがわかりましたね」 「ん? …いや、キミ達を捜したわけじゃない。偶然だよ。昔馴染みの店の味が懐かしくなったから、来たんだ。……一人だとメシ作るのも面倒だしね。でも、会えて良かった。やっぱり、一人で食べるのってつまらないものねえ」 この人となら、一緒に食事をしたいという人間(特に女)は、幾らでもいそうなもんだがな。 浮名を流しまくっていてもおかしくない容貌をしているのに、この人のそういった噂はあまり聞かない。 それにしても、面妖な組み合わせだ。 居酒屋のテーブルに、イルカと俺と、白い牙。 ここにカカシがいたら、何とかバランスは取れる気がするんだが………いないモンは仕方ねえ。 イルカはメニューを彼に見せる。 「何、召し上がります?」 サクモさんは、ざっと品書きに眼を走らせた。 彼の分の水を運んできた店員が、抜かりなくペンを構えて待機している。 「そうだねえ。…ええと、揚げだし豆腐と、ホッケと…焼きソラマメ。…手羽先と、トマトサラダ。後はお茶漬けにしようかな。………キミ達、まだ焼き鳥しか頼んでないの? いいから、好きなもの頼みなさい。ここはまあ、先輩として奢ってあげるから、遠慮しないで」 そんな…と、イルカは遠慮しかけたが、俺は「そりゃどうも」と先に礼を言う。 先輩がメシを奢ると言ってくれた時は、素直にご馳走になるもんだ。 イルカが何か注文するわけねえから、俺が勝手にヤツの分(と、サクモさんの分も)注文してやろう。 「すみませんね。じゃあ、お言葉に甘えます。兄ちゃん、串カツ三人前。それと、イカ刺しとマグロの盛り合わせ。肉豆腐も三人前。…あ、サクモさん。飲み物はビールでいいスか?」 「いや。オレ、ビールは好きじゃないから。ウーロン茶でいい。…キミ達は飲んでいいよ。人が飲むのは何とも思わないし」 「…そうですか? じゃあ、中ジョッキ二つ追加。取り合えず、以上」 店員は、注文を復唱してから「少々お待ちください」と引っ込んでいった。 「………酒を飲む気が無いのに、居酒屋に来たんですか?」 「うん。居酒屋のメニューって、たまに食べたくなるんだ。最近まで任務でいた所、こういう店無くてね。つまらなかったな」 普通、任務に関することは訊かないものだが。 「…居酒屋が無い? ドコの国ですか、それ」 サクモさんは、水で唇を湿らせる。 「………国、とも呼べない西の果てだ。………食べ物自体が、貴重でね。綺麗な水は、値千金」 俺は一瞬、言葉に詰まった。イルカも、眉根を寄せて微妙な表情になっている。 「………それは、本当にお疲れ様ってヤツですね。………でも貴方、そんな所にばかり行ってませんか?」 彼は、クス、と笑った。 「仕方ないだろう? そういう所に用事があったんだから。…ま、何とか片がついたから、帰ってこれたんだけど。……火の国は、いいね。ここのところ、国を巻き込んだ戦争も無いし。………きちんと、作物の収穫があって……食べるものも、水も豊富にある。………四代目のおかげだな。…九尾をきちんと封じて、里への被害を抑えてくれたから。あの封印が失敗していたら、火の国も今頃は食べるものにすら困る、荒れ果てた国になっていたかもしれない」 そうか。…それで彼は、とうもろこしの収穫などというDランク任務をわざわざ請けたんだな。…久し振りに帰還した故郷の、大地の実りをその眼で確認したかったのかもしれない。 ―――この国は、大丈夫だ、と。 この大地は、生きている、と。 イルカも同じ事を考えたようだ。膝の上で、ぎゅっと拳を握り、何とも言えない表情で唇を引き結んでいる。 「………そう、ですな。おそらくは、里は焦土と化し、九尾の撒き散らした毒素で火の国の大地自体が侵されて、復興には数十年単位の時間が必要になったはずですから。場合によっては、百年かかっても麦一つ育たない土地に成り果て、人々は里を、国を捨てるほか無くなったでしょうね」 サクモさんは、うん、と頷いた。 「そうなった時、この国を捨てた人々は何処へ向かう?」 「………そりゃあ、安住の地を求めて他の国へ―――」 俺は、ハッと顔を上げた。 その俺の表情に、サクモさんは微笑んだ。 「そう。………その土地で生きていかれなくなった人々は、故郷を捨てるしかない。…そして、実りの多い大地を求め、他国へ向かう。………国一つだ。難民、という数ではない。先住者との土地の奪い合い。戦争になる。…木ノ葉も、九尾の災厄からからくも逃れたと言って、安穏としているわけにはいかないよね。………自分達さえ助かればそれでいい、という考えでは、その先の本当の平穏な暮らしは望めない。………この、火の国を護る為には、他国に存在する災厄もある程度排除しておく必要がある」 なるほど。………彼が、滅多に里に戻らなかった最大の理由が、それか。そんな恐ろしくスペシャルな極秘任務、普通の忍に出来るはずが無い。………俺の手にも余る。 「そんな話、俺らになさっても良かったのですか?」 「キミらにだから、話したんだよ。オレは、キミ達を信用しているし、知っておくべき話だと思ったから。……それにねえ、封じてはあるけど、木ノ葉もまだ爆弾抱えたまんまだしね。…まあ、それについては心配ないと思うけど」 ………そんなヘヴィな話を、こんな居酒屋でホッケ食いながらにこやかに。 何か、敵わねえなあ。 やっぱ、この人の前に出ると、自分がまだまだケツに卵の殻をくっつけたままのヒヨッコ、単なる青二才に思えてくる。 こういうのも、俺が彼を苦手に思う理由の一つなのかもしれない。上忍として…つうか、男の器の差っていうのかね。そういうものを思い知らされちまって。自信が無くなるんだよな。 あー、良かった。俺、うっかりカカシとそういう仲にならなくて。この男が義理の親父だなんて、恐ろしくて考えたくもねえ。 四代目様はともかく、イルカのヤツは本当にクソ度胸があるな。ま、カカシを彼女にした時点で、度胸あるのはわかっていたが。 ―――と、イルカは感極まった顔で、眼を潤ませていた。 「……そんな大変な任務に就かれていたとは、存じあげず…っ………! …俺達が里の中で呑気にしている間、サクモさんはずっとご苦労なさってたんですね!」 「いや。……キミ達や、子供達が里の中で笑って暮らせていたなら、オレは本望だ。それですべてが報われる」 イルカはガシィッと、彼の手を握った。 「サクモさんっ! 俺、俺、微力ながら頑張りますっ! 里の未来の為、子供達の未来の為に!」 ………あ。コイツ、サクモさんにオトされたな。(恋愛という意味ではなく) サクモさんときたら、相変わらずのタラシだ。こんな具合に、『白い牙』に心酔してついていく野郎どものなんと多いことか。 前言撤回。こうなると、イルカに度胸があるとか無いとかいう問題じゃねえな。 まあ、義理の親父になる(だろ? たぶん)男に尊敬の念と好意を抱いているというのは、悪いことじゃねえだろう。家庭円満、いいこった。 しかし、カレシがこんなキラキラした眼で父親を見ているのを見たら、カカシが何と思うかね。 ソッチの方が俺は怖えぞ。 「うん、キミにはオレの力になってもらいたいと思っているんだ。…よろしくね」 「はいっ! 俺でお役に立てるならば、喜んで!」 ………うわあ。知らねーぞ、俺は。 イルカ、お前こき使われっぞ? きっと、三代目のジジイ以上に人使い荒いぞ、この人。 ちら、と次代の火影様は流し目で俺を見る。 「………何か言いたそうだね? アスマ君」 「いえ、別に」 面倒くさそうなコトにはなるべく近づかない、が俺の信条だ。 どこまで避けきれるかは、運次第だな。 (10/8/18 初出/『孔雀草の花言葉』) |
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