時間が止まっていた。
外界の時間は緩やかに彼の側を通り抜けていく。
彼の周りの時間だけが冷たく凝固していた。
彼の魂と共に。
「ちょっとー、せんせー…この任務ホントーにDランクぅ?」
サクラは額の汗を手の甲で拭いながら口を尖らせる。
「う〜〜ん、一応ね……」
カカシは頭を岩天井にぶつけないようにいつもの猫背を更に丸くして首も竦め、ついでに傾げる。
「……任務内容くらい、確かめろよな、上忍……」
小さく口の中で呟くサスケ。
普段は任務に文句を言わない彼も、長時間ろくに休まずに狭い洞窟を歩き回って少々参っているようだ。
「任務ついでに修行だってばよ! サクラちゃん!!」
ナルトは一人元気がいい。
さすが、スタミナでは一人勝ちしているだけの事はある。
「……あんたってば…元気よね…」
サクラはカカシの横で洞窟の詳細な地図を書きとめながら、うんざりとナルトを見遣った。
「任務はねえ…その疲労度じゃなくって、危険性とかぁ、機密性とかぁ、その難度で決まるわけよ……別に他の里の忍とお宝の争奪戦やるわけじゃなし、特に高度な知識や技術も要求されてないしぃ……洞窟の調査じゃやっぱ立派なDランクだね! ま、頑張りましょ」
カカシは退屈そうに小さく欠伸をしつつ子供達を激励する。
が、ちっとも励まされた気がしない子供達であった。
「足場に気をつけろよ〜〜…」
カカシは子供達を先に行かせ、後ろからのんびりと監督している。
歩いた時間、距離から判断して、もうこの洞窟も終わりだと彼にはわかっていた。
「イワクありげな洞窟だからさあ、こーなんつーの? お宝の一つもめっからねーかと思ってたけど〜…ぜんっぜん無いってばよ」
ぶつぶつと呟きながらナルトは進む。
「…頭にも気をつけろよ〜〜…」
「カカシ先生、緊張感ないってばよって…ッ…いってえ、ぶつけた〜〜」
ナルトは痛そうに頭を擦っている。
「ばっかねえ。今、先生が気をつけろって言ったばっかじゃない」
「…注意力がたらんからだ」
すかさず左右から言われ、ナルトがむくれる。
「あーもォ! カカシ先生の言い方じゃ全然気をつけられねーってば!」
ふんっと鼻息を荒くしたナルトはずんずん先に歩き出す。
「あ、バカ。危ないわよぉ、ナルト」
「へーきだってば、サクラちゃ………」
ナルトの言葉は途中で途切れた。
「ぎゃ――――っ…!!」
ガラガラ、と足場が崩れる音がして、ナルトの姿が消える。
「ナルト!」
「あンのドベッ…!」
サクラが悲鳴をあげ、サスケが舌打ちをする。
ナルトは人が一人通れるかどうかという、岩と岩の間に出来た隙間から転がり落ちたようだった。
岩の向こうは今カカシ達がいるのと同じ様な洞窟のようである。
「あー…落ちたか…」
一人冷静なカカシはポン、とサスケの肩を叩く。
「ナルト、懐中電灯置いてっちゃったみたいだから、持ってってやってくれる? サスケ。
ついでにあっち側見てきて」
暗がりでも、この上忍が少しも慌てず、猫のように目を細めて笑っているのがわかる。
「……了解」
サスケはため息をついて足元に転がるナルトの懐中電灯を拾い上げた。
「だいじょーぶかなあ…サスケ君」
落ちたナルトではなく、後から降りていったサスケを気遣うサクラに、さすがのカカシもナルトが気の毒で苦笑した。
「大丈夫じゃない? ナルトの転げてった音からして、そう深い所まで落ちたとは思えんから。アレは何だか結構頑丈だし、サスケもホラ優秀だし?」
サクラはうんっと頷いた。
「そーよねっ! サスケ君なら千尋の谷でも楽勝よねっ」
「せ…千尋の谷は…どーかなあ……」
ちなみに一尋は約1・8メートルである。
その数え方でいけば五尋も落ちてはいないだろうが、何せ暗くてよく見えないし、下の状態もわからない。
呑気に構えているようで、内心カカシは心配していた。
その時、サスケが降りていった岩と岩の間の暗闇の中で光が点滅した。
「サスケ君の合図だわっ」
ほっとカカシは息をつく。
「…無事下に着いたようだな。……ナルトも無事、と。…ふむ、こりゃ瓢箪からコマというか…脇の坑道かもな」
「…私達も降りる? 先生」
そうだなあ、とカカシはサスケの腰に結び付けておいた命綱を玩ぶ。
「全員降りちゃまずいかなあ…下、結構広そうだから調査はしなきゃなんないけどね」
カカシがどーしよーかねー、と迷っていたその時。
ナルトの叫び声が下の坑道で反響しているのが聞こえた。
「ぎゃああああ〜〜〜〜〜〜ッ!! イルカせんせーが死んでるってばよ――――ッ!!」
「何ですってえ?!」
サクラが叫んだ時にはカカシの姿はもうそこには無かった。
冷やりとした空気が坑道内を満たしている。
時に置き去りにされた男は、静かに目を閉じて氷塊に閉じ込められていた。
カカシ達は半ば茫然とその男を見上げていた。
坑道の闇の中で、たった3つの懐中電灯は頼りない光しか生み出せない。
その光が暗い岩壁に嵌め込まれたような氷塊を浮かび上がらせていた。
「…まるで…琥珀の中の…虫だ…」
サスケがぽつんと呟いた。
氷塊はカカシ達の目線より結構上に位置している為、暗さも手伝って全体像を視認する事は困難であったが、それでも男が同じ木の葉の忍なのだという事がわかる。
先刻ナルトが見間違ったのも頷けるほど、アカデミーの教師、うみのイルカに顔立ちがよく似ていた。
結わずに流した髪はイルカより長く、また年齢もイルカよりは上に見える。
二十代の後半から、三十代の前半くらいだろう。
「……いつの…忍だろう…」
サスケがまた呟いた。
木の葉の忍であろう事は彼がつけている額当てで知れたが、装備、服装が今のカカシ達と少し違う。
「…だいぶ…前だな……胴衣の形が今と違うから…いつから…こんな所に…」
カカシはスッと両手を合わせ、おそらくは任務中に命を落とした忍に敬意と哀悼の意を示した。
子供達も慌ててそれに倣う。
「…火影様に報告しよう…もしかしたら、この人について何かご存知かもしれない」
カカシの報告を受けた火影は、自ら洞窟に赴いてきた。
氷塊を簡単に外に持ち出せない以上、確認の為には仕方ない。
「火影様……」
明かり持ちについて来たイルカは、複雑な表情で氷塊に閉じ込められて絶命している男を見上げた。
ナルトの言う通り、男の顔は自分に似ているとイルカは思った。
火影はじっと氷塊を見つめている。
やがて、火影の唇からしわがれた声が漏れた。
「………しゅう…すい……」
イルカとカカシは顔を見合わせ、そして里長に目を向ける。
「…ご存知で…? 火影様」
火影はうん、と頷き、深い吐息を吐き出した。
「こんな…所におったのか…こんな…闇の中に一人で……閉じ込められて……還って来られなんだ…はずじゃ…」
そして火影は傍らのイルカに切なげな微笑を向けた。
「イルカ。……この男は秋水という。…お前の、母方の祖母の父親…つまり、お前にとっては曽祖父にあたる」
イルカは目を見開いた。
自分の血筋だったとは。似ているのも道理である。
「そっ…それでは…俺の、ひい爺さんですかっ??」
「そうじゃ。…ある任務の折にな…行方がわからなくなって、それきりになった。まさか、こんな…里に近い所にずっとおったとは……」
火影の声に、沈痛な悲しみが滲む。
「秋水…帰りたかったであろうな…おぬしには可愛い娘がおった……」
イルカはふらりと足を踏み出す。
「俺の…ひい爺さん……」
イルカの祖母は、まだ彼が赤ん坊の頃にこの世を去っていて、彼の記憶には無い。
その祖母の父親。
自分の容姿は、うみのの血筋の方には似ていなかったのだと知ったイルカはそっと微笑んだ。
亡くなった父親にはあまり似ていないと自分でも思っていたのだ。
ゆっくりとイルカは氷塊に手を伸ばす。
その行為が何を引き起こすのかも知らず。
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