Prelude−4
先に使わせてもらったバスルームから出て、僕と入れ替わりに彼が入ったバスルームの扉を眺めつつ、僕は首を傾げていた。 今夜は、サクモさんとカカシ君の親子関係が立証されたおめでたい日だ。 カカシ君は、彼が父親かどうかを調査する事を望んだし、サクモさんも同様の事を望んだ。 二人の望みは『親子関係が立証される』事だったはずだ。(他人であることを証明したかったわけじゃなかろう) そして僕は、彼らが親子であればいい、と思っていた。 つまり、三人共に『良い結果』が出たのだ。 僕的には、これを祝わずして何とする―――なんだけど。 肝心のサクモさんの様子が、どうもおかしい。 夕食の時にもワインで乾杯してみたが、サクモさんの表情はあまり冴えなかった。 昼間、DNA鑑定の結果がわかった時の、彼の喜びは本物だったはずだ。 思わず僕に抱きついてしまうくらいのテンションの高さが、研究所を出てタクシーに乗った辺りから急激に下降線を辿ったような気がする。 カカシ君が実子だったことが、彼の憂いの原因とも思えないが。 彼は素直に、ご自分に子供が存在していたことを喜んだ………と、僕には見えた。 それも、最愛の女性が産んでくれていたのだ。嬉しくないはずが―――……… と、ここまで考えて、僕は彼の胸中に忍び込んだ憂いの正体に、何となくだが気づいたような気がした。 あの人は、物事全部をご自分の都合のいいように解釈など出来ない性格のようだ。 もしろ、逆のタイプかもしれない。 僕は少しだけ考え、内線電話に手を伸ばした。 バスローブを纏って出てきたサクモさんは、ほんの少し眼を瞠った。 まだ濡れている白銀の髪が首筋や肩にかかっているのが、そこはかとなく艶っぽい。 カカシ君も、髪を伸ばしたらこの人みたいな雰囲気になるんだろうか。………何か、ちょっと違うな。造作は似ているけど、そこはやはり別の人間だから。 カカシ君の持つ色気は、この人のものとはタイプが違うよね。 「………ミナト?」 彼の短い問い掛けに、僕は微笑む事で答えた。 そして、シャンパンクーラーからよく冷えたシャンパンを一本抜き出してみせる。 「………今夜はね、何度乾杯しても足りないくらいの特別な夜なんです。どうぞ、座って」 乾杯なんぞする気分ではなくても、こう言われたらたぶん彼は断れない。 この際、人の厚意を無碍には出来ない(であろう)この人の性格を利用させてもらおう。 サクモさんはバスローブのまま、素直に僕の向かい側のソファに腰をおろした。 よく磨かれたシャンパングラスに、淡い黄金色の液体を注ぐ。 グラスの中ではじける細かい泡が、光を弾いて美しい。 「どうぞ」 グラスを渡すと、彼は遠慮がちに手を伸ばして受け取った。 僕は自分もグラスを持ち、眼の高さに掲げる。 「記念すべき夜に、乾杯」 「………………乾杯」 乾杯、と言ったからにはグラスは空けねばなるまい。彼はシャンパンを咽喉に流し込み、苦笑寸前の微妙な表情で礼を言った。 「………ありがとう」 「お口に合いませんでした?」 「とんでもない。…こんないいシャンパンが不味いわけがないでしょう。美味しいですよ」 クス、と僕は笑った。 「でも、苦そうな顔をなさっていますよ?」 彼は咄嗟に、ご自分の口元を手で覆った。―――自覚はあるのか。 「いや、本当に………」 「美味しいシャンパンが苦く感じられるのは、貴方の心に憂いがある所為ですね」 サクモさんは、黙って眉根を寄せた。 「貴方が今夜お独りではないのは、その方が良いと天が言っているのでしょう。………その憂いをお独りで抱えたままでは、いけませんよ。………僕で良ければ、お話しください。お力になれるかどうかはわかりませんが、他人に話す事で貴方の中で整理がつくかもしれないし、言葉にするだけでもスッキリするかもしれない」 サクモさんは、僕の言葉を吟味するかのように数拍眼を伏せた。 「………どうやら、貴方にご心配をおかけしているようですね。…すみません。人間が出来ていないので、感情の揺れを上手く制御出来なくて………」 「それが完璧に出来ちゃったら貴方、芸術家ではなくなってしまいますよ?」 僕のあっけらかんとした物言いに、サクモさんは一瞬眼を見開き―――そして、微笑った。 「………………なるほど? そういう見方もありますか」 僕は、お互いのグラスに二杯目のシャンパンを注いだ。 「無理に話せとは申しませんけど。…僕の方も、まだ貴方にお話していないことがありますので、先にこちらから話しましょう。カカシ君のことについての詳しい話は、DNA鑑定の結果が出てから話そうと思っていたものですから。………僕も、昔からあの子を知っているわけではありませんので、そう詳しくはないんですけどね。…今回の件があったので、多少彼から話を聞いてきています」 サクモさんは、僅かに身を乗り出した。 「…どうぞ、聞かせてください」 「はい。………チドリさんは、留学から戻られ、ご実家でカカシ君を出産なさったわけですが。カカシ君の父親…つまり、貴方のことですね。…について、誰にも、何一つ言わなかったのだそうです。周囲も随分問い質したらしいですが、頑としてお話しにならなかった。………生まれたカカシ君が日本人離れした容姿をしていたので、留学先の国の男性が父親だろうと推察出来たようですが」 彼は黙って、僕の話をじっと聞いている。 「………そして彼女は、カカシ君がまだ小学校に上がる前にご病気で亡くなりました。癌、だったそうです。お若かったからでしょうね。進行が早くて、入院なさった時はもう手遅れで。入院して、三ヶ月もたなかったと―――大丈夫ですか? サクモさん」 サクモさんは手で口元を覆い、悲痛な眼をしていた。これが彼にとって辛い話だというのはわかっていたが、カカシ君の生まれやチドリさんの死に関して、僕が知っているのに彼が知らない事があってはいけない。 「………大丈夫、です。…どうぞ、続けてください」 「…はい。…それからは、チドリさんのお姉さん夫婦が、カカシ君を引き取って育てたとか。…カカシ君は今、その伯母さん夫婦の家は出て、大学のあるところで幼馴染みの友人とルームシェアして暮らしています。…あ、もちろん女の子じゃないですよ」 「友人と………ですか」 「ええ。イルカ君っていう、すごくいい子ですよ。真面目で、面倒見のいいタイプで。…僕の見る限り、とてもいい関係で同居しているようです。…そうだ。これもまだ言ってませんでしたね。実は僕、カカシ君と同じアパートなんです。偶然なんですけど」 サクモさんは、少しだけ納得した顔になった。 「…それで、同居人のこともよく知っているのですね」 「ええ。………カカシ君とは、偶々大学の構内で出会いまして。…彼がアルバイトを捜しているようだったので、声を掛けて僕の手伝いを頼んだんです。………カカシ君も、真面目な子ですよ。貴方にソックリな銀髪でね、背が高いから黒髪の多い日本では結構目立つ子ですけど、ハデな職種や怪しげなバイトには興味ないってキッパリ言ってました」 「…彼は、大学では何を勉強しているんですか?」 「カカシ君は法学部の学生です。法学部法律学科。…日本国内ではランクの高い大学ですから、頭の方も優秀ですよ」 サクモさんは、嬉しいのか、辛いのか判然としない表情を浮かべた。 「………十九歳…というのは、もう子供ではありませんよね。………彼は、私が会いに行っても迷惑に思わないでしょうか………」 あー………やっぱりか。 彼は、カカシ君がご自分ほどこの結果を喜ぶかどうか、自信がないのかもしれないな。カカシ君が全くの子供ならともかく、既に親などあまり必要の無い年齢になっているから、余計に。 「親子関係を調べて欲しいと、カカシ君は自分でそう望んだんですよ?」 「………………その理由が、会いたいから、とは限らないのでは…? 彼が、私を恨みに思っている可能性も、ゼロではないのでは………?」 僕は、絶句した。 彼がそんなことを考えていたなんて。 カカシ君が父親の存在を歓迎しないどころか、恨む? 僕はそんな事、思いもしなかった。 ああでも、サクモさんはカカシ君を『知らない』のだから。そこまで考えてしまっても、仕方ないのかもしれないな。 サクモさんは、頭を振って俯いた。長い銀の髪が揺れて、彼の白い面にかかる。 「…親子だと…その子が、私の子だったことは、嬉しいのです。本当に、嬉しかった。………でも、かえってわからなくなってしまったんですよ。いっそ、私の子ではなかったという方が、納得できたかもしれません」 「サクモさん………」 「私の子を身籠っているのに…何故彼女は、私の前からいなくなったのでしょう。………お腹に子供がいたことを、その時の彼女は知っていたのでしょうか………」 ………そうか。サクモさんの前から消えた時、彼女が自分で妊娠に気づいていたかどうかっていうのは、結構重要かもしれない。お腹に子供がいるのに、その父親である男に何も告げずに去り、そして堕ろしもせずに産む。………謎な話だ。 「………当時、私は…私が何か彼女を怒らせるような………愛想をつかされるようなことをしてしまったのだろうか、と思いました。…忙しくて逢えない時も多かったのに、私ときたら気の利いたフォローをして埋め合わせることも出来ずにいた。……そんな私を、彼女は見限ったのだろう……そう思っていたんです。私は、嫌われてしまったのだと。………でも、彼女は私の子供を産んでいた。私の元から去って、私に黙って。………何故? 何故、彼女はそんな行動を取ったのでしょう。………わからなくて………怖いんです」 彼女の行動の謎は、その理由を推測しようにも情報が足りなさ過ぎる。 サクモさんの方には具体的な心当たりが無いみたいだし、カカシ君は本当に何も知らない風だったし。 でも、チドリさんは、もう亡くなった人だ。彼女からは、何も聞くことは出来ない。 愛の言葉も、呪いの言葉も。 「………サクモさん」 僕は、そうっと手を伸ばして彼の肩に触れた。 「僕には、無責任な保証の言葉は言えませんが。………カカシ君は、貴方を恨んでいるようには見えませんでした」 僕の手の中で、彼の肩がビクンと揺れた。 「………チドリさんが、どんな考えを持って行動なさったのかは、わかりません。…けれど、彼女は本当に何も言わなかったんですよ。…何も、です。わかりますか? 後悔も、恨みも、何ひとつ。………そうして、生まれてきた貴方の分身みたいな男の子を、彼女は亡くなるまでずっと愛し続けていたんです」 サクモさんは、伏せていた眼を僅かにあげた。 「子供は、敏感です。自分に向けられている母親の感情を、敏感に感じ取ります。…カカシ君は、自分がお母さんに愛されていた記憶をきちんと持っている、と言っていました」 「彼女は………子供を…私の子を、疎まなかったと………?」 ああ、そうか。 カカシ君が、ご自分によく似ているからこそ。 サクモさんは、あるひとつの可能性に思い至って、悩んでいたのか。 彼女が何らかの理由でサクモさんを嫌い、逃げたのだと仮定して。 そして、仕方なく彼の子を産んでいたのだとしたら―――嫌った男によく似た子供を、彼女が疎んじていてもおかしくない。 母親に愛されなかった子供は、悲惨だ。 その原因となった父親を、子供が恨みに思うのは―――これまた、おかしくない話であって。 ………なるほど、サクモさんが憂鬱になるはずだな。………こんな事をぐるぐる考えていたんじゃ。 「はい。彼女は、貴方との間に生まれたカカシ君を愛していらっしゃった。それだけは、確かです」 僕は立ち上がってテーブルを回り、彼の隣に腰を下ろした。 「………日本に行きましょう、サクモさん」 「ミナト………」 彼の眼を、すくいあげるように覗き込む。 「カカシ君に、会いたいのでしょう?」 サクモさんは、小さな子供のようにコクンと頷いた。 「………会いたい、です………」 「…では、カカシ君に会いに行きましょう、サクモさん。…あの子に会わなきゃ、何も始まりません」 僕は彼の髪を指で梳き、そっとその頭を抱いて囁いた。 「どうか、心配なさらないで。………きっと、大丈夫。大丈夫ですから………」 彼は震えるように息を吸い込み、やがてゆっくりと吐き出しながら、黙って何度も頷いた。 その後、サクモさんは大急ぎでスケジュールを調整し、日本へ戻る僕と同じ飛行機に乗る事が出来た。
(09/12/5) |
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と、いうわけで『九月の奇跡』に続きます。 あのサクモさんの自信なさげな態度の理由はこういう事だったということで。 ………教授がカカシ君に何も言わずにお父さんを連れてきたのは、サプラ〜イズ! もありますが、カカシ君の素直な反応を見たかったからかも。 結果オーライでしたが。 ここら辺の話を、サクモさん視点で書いたら、も〜グチャグチャになりそう。(笑) 何はともあれ、こうして無事に親子初の対面となりました。
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END