夕食は、ホテルの近くの湯葉料理の店で取った。
やっぱ、せっかく日光に来てるんだから、とオレが提案したのだ。
食後は、腹ごなしの散歩を兼ねてぶらぶらと歩いて、ホテルに戻る。
「ユバ料理って、健康的でしたねえ。………サクモさん、大丈夫でした?」
「ええ、大丈夫です。日本的なああいう味付けに、だんだん慣れてきました。慣れると、脂っこい料理よりあっさりしていて食べやすいです」
前を歩く教授とサクモさん…いや、父さんとの会話を聞きつつ、オレはそっとイルカに訊いた。
「………風呂、どうだった? 先生と二人でって、問題なかった?」
イルカは苦笑して首を振った。
「無いよ。…ってか問題って何だよ。教授は日本の公衆浴場は初めてみたいだったから、入り方のレクチャーはしたけど。理解の早い人だから、ああいう所でのマナーはちゃんと守っていたし、変な事もしなかったよ」
「………何か、話、した?」
「んー……俺の田舎の事とか、ガキの頃の話とか。少しだけな。…俺と話してたら、青森の方から来ているとか言うオッサン達が、外人さん日本語上手いねー、とか話しかけてきてさ。そこから教授はオッサン達と露天風呂で歓談してたから」
「ふうん」
―――きっと先生は、何処の国に行ってもその伝で周囲と溶け込んで、上手くやっていけちゃうんだろうな。
逞しい人だよ、本当に。
「………お前の方は、上手く話が出来たみたいだな」
「え?」
「…お前と、サクモさんの間の空気だよ。少し、変わってる。…いい感じにな」
えへ、とオレは笑った。
「後で詳しく話すよ」
………で。
ホテルの部屋でビリヤードの事とか、コーヒーラウンジでの話をイルカにして。キスと女の子達の「きゃー」まで話をしたら、爆笑された後、「ばか」と言われてしまった。
「だからお前、サクモさんと一緒にいると異様に目立つんだから気をつけろって、言ったじゃないか。迂闊すぎだ」
うう。何も言い返せない………
イルカは笑って、オレ肩を叩いた。
「でもま、一歩前進だな。………お前が、あのお父さんに自分から歩み寄るって決めたんだ。…俺は、それを応援するよ」
「うん………ありがとう」
さて、明けて日光三日目。
今日はいよいよ東照宮だ。
やっぱ、日光の観光のメインと言えば、日光東照宮だよな?
………たとえ、ココへ来る最初の動機がカレーだったとしても。ここを見ずして帰れまいよ。
この旅行が『修学旅行』(笑)なら余計にな。
教授は、神馬を繋ぐ馬屋(という話)の建物を見上げた。
「おぉ、コレが有名な三猿だね! 『見ざる言わざる聞かざる』! 可愛いね」
うん、意外とちっこいですね、お猿。
イルカがパラ、とガイドブックをめくった。
「分別のつかない子供のうちは、悪いモノを見るな言うな聞くな、という事…らしいです。ちなみに、重要文化財」
じゃあ、大人になったらいいのかよ、と突っ込みたくなるけど。大人になれば、悪いことは悪い、と判断が出来るだろうってコトかね?
オレは今まで、『悪いこと』じゃなくて『余計なこと』だと思ってたけど。余計なものを見るな(見て見ぬフリをしろ)、余計な事は言うな、余計な言葉は聞くな(聞かなかったことにしろ)っていう年齢に関係ない教訓かと。
教授はニッと笑った。
「意味深だよね。……僕この三猿、ギリシャの土産物屋でも見たなあ。…っていうか、結構あちこちにあるよね」
「ここが三猿の発祥地ではないってことですか?」
「ん、日本においてはほぼココが元だと思うけど。日本語では『猿』にうまいこと引っ掛けられているから、発祥っぽく思えるだろうけどね。…この三つの戒めは、昔から世界各地にあるんだよ」
ふーん、そっか。………まあ、文字自体、輸入モンだものな。そういう教えも、海を渡って伝えられているものはたくさんあるか。
ガイドブックを持ったイルカさんは、コホン、と咳払いをして名所案内を続ける。
「えーと、それからアレが想像の象です」
父さんはぽそっと呟いた。
「ユニークなデザインですね………」
うん。確かにユニークで、ユーモラスですね。特に眼が秀逸。
「………象の実物を見た事が無い人が、伝聞だけで作ったんでしょう」
なら逆にすげえよ。ちゃんとゾウさんっぽく見えるもん。
それから、取りあえず有名なモンは押さえて回った。
眠り猫(これも結構小さい。んでもって、可愛い)に、陽明門に唐門に、鳴龍。
………これだけでもナンと言うか、お腹いっぱいな感じ。
東照宮って、思ってたよりも濃いわ〜………ハデハデ極彩色? で。
父さんに、日本の神社はみんなこうだ、と思われるとマズイなあ。
そうだ、今度は父さんを京都に連れて行ってあげよう。
あっちの方がワビサビって感じで、日光より『和』な気がするから。
……あ、金閣寺はキンキラキンか。でも色数少ない分、東照宮よりも落ち着いていない?
それにしても、やっぱり結構な賑わいだな。人が多い。
「父さん、疲れてません? ちゃんと水分補給してくださいね」
「ええ、大丈夫ですよ」
父さんは、来たばかりの時よりも心なしか体調も良さそうだし、表情も明るく見える。ひょっとして昨日のオレの『告白』、効いてんのかな?
だとしたら、恥かいた甲斐もあるってものだ。
なんか………実の親相手に、恋愛の駆け引きしているみたいで、こそばゆいけど。
『見ざる言わざる聞かざる』をやってる場合じゃない時もある。
人間やっぱり、どんなにこっ恥ずかしくても言わなきゃイカン時もあるってコトだよ。
それに、オレも迂闊だった。無意識にとはいえ、何か連絡する時、オレは父さんじゃなくて教授の方に電話したりメールしたりしていた事を、イルカに指摘されるまで気づかなかったのだ。
そんな些細な事で、父さんを寂しい気持ちにさせていたり、不安な気持ちにさせていたのかと思うと、申し訳なくなる。
何だかんだ言っても、人間関係は接触の度合いと、つきあった時間の積み重ねで構築されていくのだ。
あんなに女王様で気の強い紅姉ちゃんでさえ、遠距離恋愛の不安からは逃れられなかったんだから。遠く距離を隔て、たまにしか逢えない恋人の気持ちが見えなくなって、あんなに揺れた。
オレ達は恋人じゃなくて親子だから、姉ちゃん達とは違うのはわかってる。
だけど、普通の親子でも無い。
その関係は物凄く微妙で。
おまけにオレの父親は繊細かつ、少々不安定な人みたいだから。
オレの方も、ちゃんと意思表示しないといけない。
顔が見れて嬉しいと伝え、好きですと、愛していますと言葉にする。
そんな親子ヘンだ、と言われても構うものか。
だってオレ達、普通の親子じゃないんだからさ。二十年近い時の溝を埋めていかなきゃいけないんだ。
それって大変だよ? きっと。
もちろん、親しき仲にも礼儀あり、と言うからな。
ある程度は気を遣う事も大事だよ。でも今はお互い、マジ気ィ遣い過ぎ。
うみのさんちの親子関係…とまではいかなくてもいいけど、せめてもう少しお互いに肩の力を抜いてつきあっていけるようにならなくっちゃ。
………その為には、やっぱ語学だよなー………(結局ココに戻るのね)
今現在のオレの英会話能力では、細かいニュアンスがまったく伝えられていない気がする。
ドイツ語は未だにハードル高いし。
いや、くじけるな。頑張るのだ、オレ。
だって、父さんが頑張って日本語勉強しているんだ!
オレが頑張らなくてどーする。
教授が日本にいるうちに、教えてもらえるだけ教えてもら…………って、あれ?
……………今まで考えた事なかったけど、教授っていつまで日本にいるんだろう。
教授は学者さんだが、ファイアライト財団の後継者でもある。
いつまでも日本にいるわけにはいかないんじゃ………?
思わず教授の方を振り返ると、ちょうどこちらを見た彼と眼が合った。
「…何? カカシ君」
ここでイキナリ「先生、いつまで日本にいる予定なんですか」って訊くのはおかしいよな。
オレは咄嗟に誤魔化した。
「あ、あの………今日は東照宮見たでしょう? 明日以降はどうするおつもりなのかな、と思って」
すると教授はふっふっふ、と笑った。
「明日かい? 明日はね……ニャンまげに会いに行く!」
………へ? ニャンまげ………?
イルカが黙ってガイドブックのあるページを開いて見せてくれた。
「………日光江戸村………?」
教授は眼をキラキラさせて頷いた。
「EDO WONDERLAND。江戸時代のテーマパークだなんて、面白そうじゃないか! 侍に忍者、花魁。リアル時代劇の世界!」
そ………っ…それは何とも教授の好きそうなテーマパークだ。…オレも嫌いじゃないけど。
「東照宮の近くから江戸村行きの無料送迎バスが出ているんだって。三十分くらいで着くみたいだよ」
「へー、結構近いんですねー」
無料送迎バスかあ。………利用出来るものはちゃんと利用するんですね。教授のことだから、タクシー呼ぶかと思ってしまいました。
「で、今日は二荒山の方まで見たら、ホテルに戻ろう。………カカシ君、昨日サクモさんとビリヤードやったんだって? 部屋で少し休憩したら、夕食までみんなでビリヤードやろうよ。…僕も、結構好きなんだ」
父さんの方を振り向くと、彼は微笑って頷いた。
そっか。父さん、オレとビリヤードしたの、教授に話したんだ。
「イルカはやった事ある?」
イルカは首を捻った。
「ビリヤードか? うーん、前に付き合いで二、三回程度」
え? 経験者かよ。
「…じゃあ、オレが一番の初心者…?」
「二、三回でそんなに上手くなるわけないだろう? レベルはお前と似たようなもんだよ」
そーかぁ? イルカってさ、全然勉強出来なかったよ〜、とか言いながら、テストでいい点取るタイプなんじゃね?
教授は笑ってオレの肩に手を置いた。
「ま、遊びでやるんだからレベルなんてどうでもいいじゃない。…ねえ、サクモさん」
「そうですね。皆で楽しめることが大切です」
父さんの、言う通りだ。
あまり先のことまで心配していても仕方が無い。
今は旅行中なんだから、皆で楽しむことだけを考えよう。
歩きながら、教授がそっとオレの耳元で囁く。
「…昨日のビリヤード、サクモさん凄く嬉しかったみたいだよ。…良かったね」
ええ、とオレは頷いた。
「ちょっとだけ、親子らしいコトが出来たかなって感じで、オレも嬉しかったです」
教授は、ニッコリと笑った。
「ん、本当に良かった」
教授は、父さんのビリヤードの腕がプロ級(たぶん)だってこと、知っているのかな。
彼もああいうの、得意そうだものな。
ふふふ。どれほどの腕前か、楽しみにしていよう。
「よし、じゃあお昼食べたら二荒山だね」
「はい」
教授の大雑把なホテル予約のおかげで、まだたっぷりと時間はある。
四人だけの遅めの修学旅行は、これからだ。
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