24日の夕食は、おじさんの事を考えてトリ団子鍋にしたのだが。
何故だか、講習会から帰ってきたおじさんの手には、クリスマスケーキの箱が。
曰く、駅前で寒そうに出張販売していたケーキ屋のバイトの女子高生(に、見えたらしい)が可哀相になって、一箱買ってしまったのだそうだ。
「だってよ、改札から出て行くヤツ、誰も買わないんだよ。可哀相じゃねーか」
あー、皆さん地元のケーキ屋じゃなくって、都会(笑)の有名なところで買ってきちゃうのかもねえ。
クリスマスくらい、ちょっとお洒落で高いケーキ食べてみたいってのは、わかるもんなー。
イルカはホールのケーキが入っている箱を微妙な顔で眺めている。
「…ウチの方でも、駅前出張販売くらいしていたと思うけど………買ってきたこと、無いよな。親父、よっぽど好みだったのか? そのバイトの女の子」
「あほんだら。俺はいつも車で移動だ。地元じゃ滅多に電車は乗らんからな。駅前でケーキ売ってるのなんか、見たことないわ」
「そりゃ、そっか」
息子があまり甘いケーキなど食べないことを承知しているおじさんは、売っている中で一番小さいケーキを買ったみたいだけど………それでも、6号はあるだろう。
まあ、これくらいなら三人で二回に分ければ何とか消化出来そうな気がする。
「ホールのケーキなんて、久し振りですよ。ありがとうございます、おじさん」
おじさんは、オレの頭をガバッと抱いた。(…プロレス技寸前な気もしたが)
「おうっ! カカシ君は素直でいい子だなあっ!」
イルカは、親の所作を冷めた眼で見る。
「………カカシは気を遣ってんだよ。気づけ、親父」
おじさんのヘッドロックもどきから抜け出しながら、オレは笑ってみせた。
「い、いや………嬉しいのはホントですって。オレ、ケーキ好きだもん」
「そっか? なら、いいけど」
「イルカも、たまには甘いもの食った方がいいよー。ほら、甘いものって脳の栄養になるんだろ?」
なるほど、とおじさんは手を打った。
「お前、甘いもん食わないからバカなのか!」
すみません、おじさん…そういう意味じゃないです………(涙)ああ、余計なこと言ってしまった………
「だーれがバカだっての。…あー、そんな顔すんな、カカシ。お前がそんなつもりで言ったんじゃないって、わかってるから。そこの親父に、おとな気が無いだけだからな」
そこから、五十歩百歩の応酬を始めたうみの親子はもう放っておくことにして。
オレは黙ってトリ団子鍋の準備を始めたのだった。
鍋とケーキで変則的なクリスマス・イブの晩餐(笑)を終えたオレは、その晩も一人で教授の部屋に寝に行った。
パイプオルガンの演奏、朝の五時頃だっけ。
携帯の着信音で目は覚める………ハズだが。
万一、寝ぼけて切ってしまったらと思うと怖い。
んー………よし、決めた。やっぱ、寝ない。
オレ、朝は弱いがそれは寝てしまったらの話だ。
夜は強いぞ。
オレは英語の勉強を兼ねて、海外ドラマのDVDを観ることにした。これなら一人で朝五時まで起きていられる。
眠気覚ましに珈琲を淹れて。
リビングのテレビ観賞用のローソファに腰を落ち着け、携帯電話をガラステーブルに置いて、スタンバイ。
恥ずかしい事に、DVDを観ながらも時計(とケータイ)が気になって仕方が無い。
英語のヒアリングに集中するよう努めながらドラマを五話分観たところで、ようやく時計の針は午前四時半を指した。
と、携帯が鳴る。
こ、この着メロはイルカっ!!
ガラステーブルに置いておいたので、音とバイブレーションの効果が五割増しだ。
オレは慌てて、ガラステーブルの上でコトコトと散歩を始めた携帯を取り上げた。
「もしもし? イルカ?」
『おす。起きてたのか?』
「………もしかして、オレが寝てるかもって思ってモーニングコール?」
『ははは。余計なお世話だったみたいだな』
「ううん。………ありがと。お前もこっち来る?」
『いや。お前一人でじっくり集中して聴けよ。俺がいたら、気が散るだろう』
「んなコト………ん、わかった。サンキュな。…演奏終わったら、そっち帰るから」
『いいよ。今そんな声でしゃべれるってことは、お前寝てないだろ。ちょっと寝てから戻って来い』
「うーわー、全部お見通しかよー。大丈夫、寝ているうちにおじさん帰っちゃったら嫌だから」
『親父の見送りなんていいのに。…ま、いい。好きにしろ』
「うん、サンキューな、イルカ。じゃ、後で」
プツ、と通話を切る。
切った途端、間髪入れずにまた着信。これは、メールだ。
「………先生………」
『メリークリスマス、カカシ君。起きてるかーい?』
オレの寝起きの悪さを知っている教授が、心配してくれたらしい。
『メリークリスマス、先生。起きています。というか、楽しみで寝られませんでした。演奏が始まるのを、首を長くして待っています。』
『もう少しですよ。サクモさんが出てきたら、電話します。』
『よろしくお願いします。』
オレは、パタ、と携帯を閉じた。
うは。何だかドキドキしてきた。
携帯で聴かせてもらうだけでもこんな緊張しちゃって、オレってば。
パイプオルガンの生演奏は、前に一度だけ聴いたことがある。
大学の講堂にパイプオルガンを設置した時、演奏会があったから。あの時は、ナントカっていう外人の女性演奏家が招かれていたな。
オレは、眼を閉じてその時の記憶を呼び起こしてみる。
大きなパイプオルガンの姿。
その前に座った、栗色の髪の華奢な女性。
サクモさんも、あんな感じでパイプオルガンに向かうんだろう。
もう、ドラマなんか観る気になれねー。
あ、途中でトイレとか行きたくなったらマズイ。別に行きたくないけど、行っておこう。
そうして、こちらの準備が全て整った時。
今度こそ、教授から電話が掛かってきた。
「はい。カカシです」
『メリークリスマス、カカシ』
ううう、うわっ…この声、サクモさんだっ!!
オレは咄嗟に頭を英語モードに切り替える。(良かったっ! さっきまで海外ドラマ観てて)
「と、父さん? メリー…クリスマス」
『ミナトに、聞きました。君が来られなくて、残念です。クリスマスプレゼント、ありがとう。素敵な、革の手袋…とても、嬉しかったです』
「あのっ…オレも…っ…えー、プ、プレゼント届きました。ありがとうございました。あんなにたくさん、すみません」
『とんでもない。………来年は、絶対にクリスマスに仕事なんか入れません。……イルカ君の具合はどうですか?』
「あ、大丈夫です。えっと、治りました。熱、下がったし」
『そう。良かった。……あ、すみません。そろそろ準備をしなくては。…カカシの為に、弾きますね。聴いていてください。また、連絡します。……ミナト』
と、ここでサクモさんは携帯電話を教授に返したらしい。
『カカシ君? メリークリスマス』
「メ…メリークリスマス……もう、びっくりしましたよぉ、先生」
『あはは。だって、この電話中継のことサクモさんに言ったら、演奏前にカカシ君と話したいって言うから』
「…プレゼント、父さんに渡してくださったんですね。ありがとうございます」
『どういたしまして。…サクモさん、本当に喜んでいたよ。…あ、僕もさっき、カカシ君からのプレゼント開けた。ありがとうね。すごく肌触りが良くて、いい色のマフラー。嬉しかったよ』
「いいえ、何か安物で………すみません」
『なーに言ってるの。カカシ君がちゃんと僕の為に選んでくれたってわかるプレゼントだったよ。…僕からのプレゼントは日本に戻ってからになっちゃうけど、こっちのお土産を兼ねて選んだから、お楽しみにね』
「いえ、あの…もう、この電話がプレゼントみたいなものですから………」
『僕は電話しただけだもの。演奏は、サクモさんからの贈り物だよ。………ああ、もうホールに入るから、話すのはやめるね。たぶん、そろそろ始まる』
「はい」
教授は、演奏会場の外で電話を掛け、話しながら会場に戻ったらしい。
携帯を通して、少しだけざわざわと人の気配を感じる。
オレは、ICレコーダーの準備をして、部屋の明かりを少し落としてから耳を澄ませた。
パチパチパチ、という拍手の音が聞こえる。サクモさんか…誰かが出てきたんだな。
拍手の音がやみ、その二拍後にオルガンの音が響いた。
おお、思ったよりもちゃんと聞こえる。
これは………何だろう。
賛美歌? …ミサ曲、って言うのかなあ。クリスマスなんだもの、たぶんそういう類の曲だよね。
綺麗な旋律だ。
この音を今、サクモさんが奏でている。
オレは、息を詰めて感覚を耳だけに集中させた。
彼の、弾く姿が眼に見えるようだ。
きっと、とても真面目な顔で、真剣に弾いているんだろう。
三、四曲くらい、オレにはあまり馴染みの無い曲が続き―――そしていきなり、オレもよく知っている曲が流れてきた。
『清しこの夜』―――Silent Night、だ。
こんな荘厳な『Silent Night』を、オレは初めて聴いた。
聴いているうちに、ポロリと涙がこぼれる。
サクモさんは、オレに向けて。
オレの為にこの曲を弾いてくれているんだ、とわかったからだ。
理由なんか無い。
ただ、直感的にそう思った。
そうに違いない、と。
曲が終わり、拍手が聞こえる。
「………先生」
それまで徹底して一言も喋らなかった教授の返事が返ってきた。
『………ん?』
「ありがとう………ございました」
『………うん』
「………ありが、とう………」
『………うん』
「父さんにも…そう、伝えてください………」
『うん』
じゃあ切るね、という囁くような教授の声と共に、通話は切れた。
きっと、周囲の眼を慮って、こっそりと中継してくれていたんだろう。
オレは、携帯電話を握りしめたまま、しばらくじっとその場に座り込んでいた。
眼を閉じると、さっきの『Silent Night』が聞こえてくるような気がする。
オレはICレコーダーを外して、思わず苦笑いした。
「………これ、必要なかったかもなあ………」
いかに昨今の携帯電話の性能が良く、音を綺麗に拾えているとはいえ、その場で聴いているのとではきっと臨場感も音も全然違うはずなのに。
携帯電話の小さなスピーカーから聞こえてくる『Silent Night』は、オレの心の奥にまで、しっかりと届いたのだ。
結局、今年の異例づくめのクリスマスは、はからずも教授の企画勝ち。
オレの口元には、自然に笑みが浮かんだ。
―――本当にもう、サプライズが好きなんだから、先生は。
『Silent Night』を心の中で反芻しながら、オレはうみの親子の待つ自分の部屋へ戻っていった。
(〜2010/2/23) |