カカシの携帯が鳴った。
ポケットから携帯を取り出し、発信者を確認したカカシはいそいそと電話に出る。
「あ、父さん?」
………ああ、サクモさんか。嬉しそうだなあ、カカシのヤツ。
大学生にもなって父親からの電話を喜ぶヤツも珍しいが、カカシの場合は事情が事情だから無理も無い。
にこにこしながら電話をしていたカカシは、ちょっと驚いたように眼を瞬かせてから「ちょっと待ってください」と言ってこっちを見た。
「イルカぁ。…父さんが、お前と話したいって」
俺の幼馴染み兼同居人兼恋人でもあるカカシの父親、サクモさんはとても気ぃ遣いな御仁だ。その気を遣う方向性は、どこか日本人的にも思える。
音楽家である彼は、普段はドイツやオーストリアの方で活動しており、カカシのことを知るまでは日本には縁がなかった人なのだが。そこはもって生まれた性質なんだろう。
ご自分の血を分けた息子が、はるか遠い東洋の国で生まれ育っていたのをつい最近まで知らなかった彼。
そうなってしまったのは、彼の所為ではない。不幸な『想い』のすれ違いだ。
カカシのお袋さんは、自分の存在が恋人の邪魔になるのだと思い込んでしまい、黙って彼の前から失踪した。その時既に、彼女が子供を身籠っていたことにサクモさんが気づいていなかったのも不幸だった。
彼は彼で、忙しくてなかなか彼女に構ってあげられなかった所為で自分が嫌われたのだと思い込み、いなくなった恋人を探すのを諦めてしまった。
もしも彼女が自分の子を妊娠していたことを知っていたら、サクモさんはもっと必死に消えた恋人を追いかけたはずだ。彼は、彼女と結婚するつもりだったのだから。
そんな彼に神様が同情したのかどうかは知らないが、彼の息子は父親ソックリに生まれ。
そのおかげで、幸いにも親子は時を越えた再会を果たした。………いや、初対面だったんだから、再会じゃないか。
まあ、そんな細かいことはどーでもいい。
大事なのは、孤児だったカカシに、今はアイツを大事に思ってくれる親がいるということなんだから。
サクモさんは、クリスマスに息子に贈り物(生まれてから今までの分なので大量だった)をするついでに、同居人である俺にまで気を遣ってくれた。
洒落っ気の無い俺でも、ここのは高いぞ、と知っているブランドのセーターだ。色合いも手触りも最高の。
習慣的なものもあるだろうけど、そこには『これからも息子をよろしく』的メッセージも込められているような気がする。
言われなくても、俺はカカシを大事にするけれど。何せ、惚れた相手だものな。(バラすわけにはいかないが)
………と、いうのはともかくとして。
義理と人情と物々交換な田舎で育った俺としては、やはり何かお返しをしたい。
いっぱい煮たから、とどんぶり一杯のタケノコを貰ったら、そのどんぶりにウチでたくさん煮た蕗を入れてお返しし、トウモロコシを包んでくれた風呂敷でスイカを包んでお返しするのがウチの流儀。決して、カラのどんぶりやたたんだ風呂敷は返さない。
こういう付き合いを面倒くさがる人間は昨今多いだろうが、何かを貰ったら何かを返すのは、俺としては当然の感性なのだ。(自分が先に何かした時にお返しが来なくても、何とも思わないけどな)
………さて。
しかし、何をお返ししたらサクモさんは喜んでくれるだろう。
学生の俺が背伸びをして高級な品を贈っても、かえって彼に気を遣わせそうな気がするしな。
せっかくだから、彼が心から喜んでくれるものを贈りたい。
相手の好みがわからないので、俺は悩んだ。
そして悩みぬいた末に、とてもいい物を思いついたのだが。
確かにサクモさんは喜ぶだろうけど、俺から贈るのはどうかな(差し出がましいと言うか、筋違いと言うか?)、と思われる物だったので、俺は一応カカシに訊いてみた。
以下、その時の問答。
「お前、サクモさんにガキの頃の写真とか見せたのか?」
「…いや? おばさんちじゃそんな暇なかったし。オレ、こっちにアルバムなんか持ってきてないもの」
「サクモさんに見せたら喜ぶんじゃないか?」
「………かもしれないけど。…うん、まあそのうちね。…………おばさんに送ってって頼むのも面倒だし」
「お前なあ………じゃあ、俺がサクモさんにお前の写真見せても構わないか?」
「? 別に、いいよ?」
―――よし。言質は取った。
カカシのヤツは、サクモさんがこっちに来た時に俺が所有している写真を見せる、程度にしか思っていないようだが、俺はそんなコト言わなかったものな。
サクモさんが欲しがりそうなもの―――それは、カカシが生まれてからこっちの成長記録だ。
俺はカカシの育ての親、千春おばさんに頼んで、カカシが写っている写真のネガをこっそりと送ってもらった。
千春さんは最初、何故カカシではなく俺がそんな事を言うのか訝しんだが、事情を話したらわかってくれた。
サクモさんが我が子を愛していて、育てられなかったことをとても残念に思っているということは、彼女にもわかっていたのだと思う。
千春さんは、カカシが赤ん坊の頃からの写真とネガを家中からかき集めて送ってくれたのだ。(おばさんも結構ノリがいい。カカシには内緒で作って驚かせてやりたいと言ったら、ウチではなく近所の郵便局止めで送ってくれた)
生まれたばかりのカカシを抱いた千鳥さんの写真などは、俺も初めて見るものだった。
ああ、白くてポヤポヤの髪の毛しか生えてなくて、外人さんの子にしか見えないな。凄く可愛い。
可愛いけど、こんなのが生まれてきたら、そりゃおばさん達は驚いただろう。…いや、そこは『やっぱり』かな。千鳥さんは、海外留学の先で身籠って帰ってきたのだから。
カカシの赤ん坊の頃の写真は、思ったよりもあった。
きっと、亡くなったはたけのお祖母ちゃんが撮ってくれてたんだろう。カカシの成長の節目節目の写真がちゃんとあったことに、俺は感謝した。
それらを整理し、俺が持っていたガキの頃からのスナップも厳選し。
英語のキャプションつきでアルバムにまとめて、(もちろん、カカシの眼を盗んでの作業だ。ヤツが教授のところにバイトに行ったりしている隙に急いでやった)俺はサクモさんにそれを送った。
もちろん、こういうものをカカシではなく俺から送るのはサクモさんにも奇異にも思われるだろうから。それは承知の上でこういうものを送るのだ、という弁解の手紙を添えるのも忘れなかった。
サクモさんからの電話を切った後、カカシはふくれっ面でオレを睨んだ。
「おい。…お前何でオレのアルバムなんか勝手にサクモさんに送ってんの」
「お前、『そのうちね〜』とか言って、こういうのやりそうも無かったしな。俺はちゃんと断っただろ? お前の写真見せても構わないかって」
カカシは「あ」と声を上げた。
「あれ、そういう意味だったのか? だってでも、お前アルバム作るなんて言わなかったじゃないか! しかも、オレに内緒で。…あ! 赤ん坊の頃の写真がどうのってサクモさん言ってたぞ! …ってことは、お前まさか………」
「うん。千春おばさんに協力してもらったよ」
あ、そうだ。おばさんに御礼送っておかなきゃな。田舎人の礼儀的に。
「………オレに内緒にしなくても………」
ぶちぶちとカカシは文句をたれている。
「ははは、ちょっと驚かせてやろうかなぁ、と。…それにお前に言ったら、この写真は載せるなとか、うるさく口出ししてきそうだったから」
カカシはカァ、と赤くなった。図星だな。
「そ、そんなコト………で、でもさ、どんなの父さんに送ったんだよぉ。人の恥ずかしい写真なんか載せなかっただろうな」
「うん。そう言うだろうと思った。…見せてやるよ」
アルバムと言っても、出来合いのアルバムに写真を貼り付けたのではなく、写真をデータとして取り込んで、アルバムの形に整えたものをプリントして冊子の形に製本したものだ。
オレはパソコンを起動させて、データをカカシに見せた。
「………お母さんだ………若いなあ。……そういや、今のオレの歳の時オレを生んだんだよな………」
カカシは懐かしげに眼を細めて、ディスプレイを見ている。
彼女は自分が後、数年しか生きられないなんてこの時は思いもしなかっただろう。色の白い赤ん坊を抱いた千鳥さんは、それはそれは幸せそうに微笑んでいた。
この写真を見た時、これこそサクモさんに見せなきゃいけない一枚だと俺は思ったんだ。
彼女は、幸せだったのだ。愛している男の子供を生んで、その手に抱けて。
「綺麗だな、千鳥さん。…サクモさんが惚れたのもわかるよ」
そうかな、とカカシは泣きそうな顔で笑う。
「………お前ってば凄いなー。何これ、すっげー細かくキャプションつけて」
「細かく説明しなきゃ、日本の習慣に疎いサクモさんにはワケのわからん写真もあるだろ?」
「そりゃそうだけど。…大変だっただろ」
「ん? 案外楽しかったけどな。俺、こういうことするの好きみたいだ」
………それに、お前の写真だものな。苦になるわけがない。
ありがとう、とカカシは呟いた。
「………オレだったら、何か気恥ずかしくて照れちゃって、こんな風にはアルバム作れなかったと思う。………ありがとう」
「………もう、怒ってないか?」
「怒ってなんか、ないよ。………サクモさん、喜んでいたし」
「そっか。良かった」
サクモさんは何回も何回も御礼言ってくれたしな。
あんなに喜んでもらえるなら、反則ワザを使った甲斐もあった。
カカシはデータをスライドショーにして見始めた。
「あ、これ夏休みの観察日記ん時のだ。えーと、一年生だったっけか?」
ディスプレイの中では、小さなカカシと俺が手を繋いで、向日葵をバックに楽しそうに笑っていた。
俺の顔にも、カカシの顔にも傷はまだ無い。
こんな小さな頃からお前は、俺の『特別』だったけど。
この時の俺は、自分が今手を繋いでいるトモダチと十数年後に同棲する運命にあるとは、それこそ夢にも思っていなかったんだよなあ。
カカシはクスクスと笑う。
「かっわいいなあ、イルカ」
何言ってんだか、このタコは。
「………ばーか。お前の方が可愛いよ」
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