線香花火と卵焼き

 

日の暮れてしまった暗い路地を、青年は少女の小さな手をそっと握って、幼い彼女の足にあわせて歩いていた。
「遅くなったね、カカシ。ごめんよ、お腹がすいただろう。何か買って帰ろうね」
ぷるぷる、と少女は首を振る。
「へいき。オレ、三日くらいなら何も食べなくてもだいじょうぶ」
む、と青年の眉間に皺が寄る。
もしかしたら、この子は三日も食べられないことが日常的にあったというのだろうか。
―――それは問題だ。だからこの子はこんなにガリガリに痩せているのだ。
「………いや、大丈夫ではないから。…それに、私はお腹が減ったよ。一緒に食べよう? わかったね」
幼い少女は、こくりと頷いた。
この子は、山から里に連れて来た当初から青年に対して概ね従順だった。
彼女の判断基準は、人間社会のそれではなく山犬達の世界の掟やしきたりに拠る。
それでいくと、群れ(里)の中でも頂点に近い実力を持つ雄(男)である青年は、彼女にとって従うべき存在、という事になるのだろう。
「何が食べたい? カカシ。そうだ、お店でラーメン食べるのもいいね。お店と、家に帰って食べるのと、どっちにしようか」
子供は数拍考え、小さな声で「家」と答えた。
知らない人間がいる店よりも、彼と二人きりの方がマシなのだろう。
「そうか、わかった。…では、そうだね………惣菜屋に寄って、何かおかずを買おう。あと、おにぎりなんかもあるといいね」
少女は黙ってコクンと頷いた。
青年は、そぅっと少女の細い小さな指を握りなおす。華奢なその指は、力を入れ過ぎたら容易く潰してしまいそうで、怖い。
怖いが、青年は少女と外を歩く時、必ずその小さな手を握った。
しばらく大人しく歩いていた少女が、ふと立ち止まる。
「………? どうした? カカシ」
少女は黙って、細い路地の奥を見ている。
そこでは、彼女と同じ様な年齢の子供達が、きゃあきゃあと歓声をあげながら花火に興じていた。
「………ミナト」
「何だい?」
少女は、不思議そうに首を傾げた。
「…あれは、何をしているの?」
「あれかい? あの子達は、花火で遊んでいるんだ」
「はなび? 火薬の匂いがする」
「そう、火薬を使うけどね、忍具じゃないんだよ。ああして、色々な色彩の火花が散るだけだ。それを見て、楽しむ」
青年の説明に、少女は腑に落ちないといった顔をした。
「………あれは、敵を倒せないの?」
うむ、と青年は真面目に頷いた。
「扱いを誤れば、火傷くらいはしようけどね。あれには、敵を倒すほどの殺傷能力はないのだよ」
「……………変なの」
彼女にとって、火薬を用いているのにそれが戦いとは無縁だということが納得出来ないのであろう。
「そうだ、では実際に見てみれば良い。家に帰ってご飯を食べたら、花火をしてみよう」
少女は幼い顔を僅かに顰めた。
「………………ミナトが、そう言うなら」
青年は、黙って苦笑した。

惣菜屋で買った卵焼きと牛蒡のきんぴら。春雨のサラダとメンチカツ。そしておにぎりが、その日の夕食になった。
味噌汁は、お湯に溶かすだけのインスタントだ。
(………私も、味噌汁くらいは作れるようにならんとな。カカシは女の子なのだから、料理の一つも出来なければ将来困る事になるかもしれん………)
青年が安心したことに、少女は幼いなりに器用に箸を使った。
山の中で殆ど野生児のような育ち方をした子だが、食事はきちんと箸を使うものだと教えられていたらしい。
「美味しいかい?」
少女はこっくりと頷いた。
「………この、黄色いのはおいしい」
「カカシは卵焼きが好きか。じゃあ、たくさんおあがり」
青年は微笑んで、自分の皿から子供の皿に卵焼きを移してやる。
「…………ミナトは、いいの?」
「私はね、カカシほど卵焼きは好きではないから、いいのだよ。自分が食べるよりも、カカシが美味しいと言って食べてくれた方が、嬉しい」
少女は自分の皿の卵焼きをじぃっと見つめてから、「わかった。…アリガトウ」と呟いた。
「うむ、いい子だね、カカシは」
少女はほんの少しだけくすぐったそうな顔をして、箸で卵焼きをつまみあげた。

「………ミナト、何してる? 起爆符、作っているの?」
「ん? いや、さっき言っただろう? 花火を作っているんだ」
青年は、家にあった材料で花火を拵えていた。
「ふうん?」
「前にね、任務で花火職人の仕事を手伝ったことがあるので、作り方を知っているんだよ。…カカシも、覚えるかい?」
「覚えた方がいい?」
青年は「ん?」と首を傾げた。
「う〜ん、そうだな。まあ、忍にとって、どういう知識が役に立つかはわからないから。覚えておいても損は無いかもしれないね」
「………じゃあ、覚える」
青年は、子供に一から教えながら花火を作った。
「やはり、カカシは飲み込みが早い。……でも、花火にせよ何にせよ、私がいない所で、一人で火薬をいじってはいけないよ。火薬は危ないからね。…約束しなさい」
少女は神妙な顔で頷いた。
「わかった。約束、する」
青年は、少女の頭を撫でた。
「よろしい。………さ、出来た。やってみようか」
「はい」
九月も終わりに近づいていたが、まだ蚊は結構飛んでいる。
庭に出た青年は、先ず蚊取り線香に火をつけた。
それから、蝋燭を灯す。
「この蝋燭で、花火の先に火をつけるんだ。私が先にやってみせるからね」
和紙で拵えた花火の先を、ちょいと蝋燭の火にかざす。
チリチリ、と和紙の先が燃え、オレンジ色の火花が散り始めた。
「………火花………」
「うん、綺麗だろう? これはね、線香花火っていうのだよ」
少女はじぃっと火花を見つめた。
「センコウハナビ?」
「そう。線香花火。カカシも、自分で作ったのに火をつけてごらん」
少女は青年の真似をして、花火の先端を蝋燭の火にかざした。
同じように火花が散り始めたが、あっと言う間に火の玉がふくらんでポトリと落ちてしまった。
「あ…」
「ああ、たぶんきつく絞め過ぎたんだね。大丈夫、初めて作った花火としては、上出来だ。何回か作れば加減がわかるようになる。…ほら、私の作ったのをあげるから」
「………はい」
青年の作った花火は、綺麗で大きな火花が出たし、長く持った。
「………きれい………」
ボソッと呟いた少女の顔を見て、青年は思わず小さく噴き出した。
少女は眉間にシワを寄せ、難しい顔をして花火を睨みつけていたのだ。
「カ、カカシ。…火花の散り方とか、分析しなくていいから。身体の力を抜いて、素直に楽しみなさい」
「………ハイ」
それでも彼女は、無邪気な笑みを浮かべることなく真剣な眼で線香花火を睨み続け、青年に苦笑交じりのため息をつかせたのだった。
 


:::
 


「くやしかったんだと思いますよ」
カカシは指先で器用にくるくる、と和紙を丸めた。
イルカは、カカシの思い出話を聞きながら、その当時の彼女を思い浮かべていた。
眉間に皺を寄せ、真剣に花火を見つめる少女は、それはそれでとても愛らしかっただろう。
「悔しい、ですか? 四代目様の作った花火のように上手く出来なかったことが、ですか?」
ふふ、とカカシは笑った。
「初めてなんだから、と慰められても、納得なんか出来なかったんです。だって、路地で見かけた子供達は、オレと同じかもっと小さい子に見えたから。あの子達に出来て、自分に出来ない事は無い! …って思っちゃったんですね」
あ、とイルカは気づいた。
「つまり、その路地で遊んでいた子供達も、自分で花火を作ったのだと。…そう思ったんですね」
カカシは正解、と指を立てた。
「そーなんですよー。先生が当たり前みたい自分ちで花火作り始めたもんですから。普通は店で買ってくるものだなんて思わなくて。…だって、夕食作らないで出来合いを買って済ませちゃう人が、花火は手作りって………普通、逆でしょう?」
まあ、そうですね、と夫に同意してもらったカカシは満足気に微笑んだ。
「………でもねえ、さらにくやしい事に、店で売っている花火より、先生が作った方が綺麗だったんですよねー………たぶん、大量生産のものよりもいい材料使ってたんだと思うんですけど」
カカシは十本目の花火を仕上げ、丁寧に机の上に置いた。
「オレはいつか、先生よりも綺麗な花火を作ってみせます」
「カカシさんが作ったのも、十分綺麗ですけど………?」
「いいえ。やっぱりどこか違うんです!」
「………そうですか」
イルカには何となくわかっていた。
彼女は、幼い日に初めて見た線香花火の美しさが忘れられないのだ。
その、『綺麗だった』という感動を。
だから、たとえその後どんなに綺麗な線香花火を見ようと、その時の感動の方が勝ってしまうのだろう。
イルカも、撚り合わせていた和紙をきゅ、と閉じて十本目の花火を作り終えた。
「はい、俺の方も終わりましたよ」
子供達に線香花火を見せてやろう、という話になった時。
イルカも花火は買ってくるものだと思っていたのだが、カカシがそれこそ当たり前のように自分で作り始めてしまったので、それではと一緒に手伝ったのだ。
火薬を扱い慣れている、忍ならではの手作り玩具である。
几帳面に並べられた線香花火を見て、カカシが弾んだ声を上げた。
「わ、イルカ先生さすが。上手ですねー」
「そうですか? でも、花火は火をつけてみないとわかりませんから」
「大丈夫ですよ。だってイルカ先生、ミナト先生より器用ですもの」
イルカは眼を丸くした。
「は? そんな事は………」
「だって、イルカ先生は花火が作れる上に、綺麗な卵焼きも作れるでしょう? ミナト先生の卵焼きは、何だか焦げてることも多かったし、形も変だったし………」
ふむ、とイルカは考える。
「もしかして、四代目様のは甘い卵焼きだったんじゃありませんか? 俺のはダシ巻ですが」
「え? ええ、そういえば………」
「砂糖を入れると、焦げやすくなるんです。四代目様はきっと、子供だった貴方に甘いものを食べさせてあげよう、とお思いになったのですよ」
「………でも、形が変だったのはお砂糖のせいじゃないですよね?」
「………そ、そうですね………」
ほーら、とカカシは胸を張る。
「やっぱり、イルカ先生の方が器用です!」
「どうも………」
妻に褒められるのは嬉しいが、どうも今一つ四代目に勝ったという気がしない。
(ああ、そうか………)
その話をしているカカシが、とても懐かしそうな顔をしているからだ。
彼女はたぶん、形が変であろうが、どんなに焦げていようが。
『先生』の作ってくれた甘い卵焼きが、もう一度食べたいのではなかろうか。
どんなに頑張ってイルカが甘くて綺麗な卵焼きを焼いたところで、代わりにはならないのだ。
(………それはまあ、俺が母ちゃんの作った弁当が食いたいと思うのと同じなんだろうな。こればっかりは、誰にも同じものは作れないんだから………)
だが、カカシが一生懸命作ってくれた弁当も、イルカにとっては何にも勝るご馳走だ。
イルカはそっと微笑んだ。
それで、いいのだ。
 


:::
 


「ミナト。…火薬、使っていい? 硝酸と硫黄。…少しだけ」
「いいけど……また花火を作るのかい? カカシは忍者ではなくて、花火を作る人になりたいのかな?」
少女は、ぷるぷると首を振る。
「………オレは、ミナトみたいな忍者になる。………だからこそ、花火くらい上手く作れるようにならなきゃいけない」
「そうか。カカシはえらいね。………私も、もう少し上手く卵が焼けるようにならきゃいけないな………」
そう呟いた彼が手にしている皿には、いびつで所々焦げている黄色い物体が載っていた。
「どうしてだろうな。…惣菜屋で買ってきた卵焼きのように、綺麗に焼けないのだよ。一度、あの店で作り方のコツを訊いて………いやいや、そんな情報を客に教えるわけが無いな。それでは商売あがったりだ」
む、と真面目な顔で悩む青年の顔をじっと見つめていた少女は、おもむろに皿から卵焼きを一切れ摘まむと、口に放り込んだ。
「………甘くて、おいしい。オレ、お店のよりミナトが作った方がいい」
「………焦げていても?」
少女は、うん、と頷いた。
「…形も悪いけど」
「………口に入れれば、同じ」
そうか、と青年は微笑んで少女の柔らかな髪を撫でた。
 

 



『線香花火』をお題にしたSS二作目。
夫婦イルカカVer。

夫婦の方のミナト先生は、喋り方が時々ジジくさくなる傾向があります。(笑)
そして、彼に引き取られたばかりの頃、なんとカカシちゃんは先生を『ミナト』と呼び捨てにしています。
ミナトさんはそれを全く気にしていなかったのですが、常識を学んだ後、カカシちゃんは自主的に呼び方を変えていきます。
成長の証………?

2010/9/14

 

BACK