世界にひとりのあなた −2
ホホホ、と紅は楽しげに笑った。 「任せなさい! 大の得意よお、そういうのは!」 そうねえ、と紅はカカシの髪を指でつまむ。 「ちょっと珍しい色だけど、全然木ノ葉にない髪じゃないわよね。それに、結婚式の時少 しだけど髪の毛見えちゃってたから…違う色のカツラなんか使わない方がいいわ。付け毛 で上手くカバーしましょ。……せっかく伸びていた髪、アンタ切っちゃうんだもの…もっ たいなかったわねえ…上手くやりゃ、イメチェンに使えたわよ」 「仕方ないじゃない。任務復帰って言われりゃさ、元に近いカッコに戻さなきゃ」 「まあね。…ま、いいわ。アンタ、嫌いかもしれないけどメイクも覚えなさいね。…後は 服装ね。これって結構イメージ変わるわよ。私が揃えてあげるわ。…アンタが自分で買う と、どうしても好みが出てあんまり女の子っぽいもの選ばないでしょうから」 カカシは少し不安げな顔をした。 「……紅〜…でも、オレさあ…あまりチャラチャラした服はヤダなあ……」 紅は軽くため息をつくと指先でツンとカカシの鼻先を押す。 「バカねえ。私を誰だと思っているのよ。アンタと何年のつきあい? アンタに似合いそ うなものも、アンタが嫌がりそうなものもわかるわ。…任せろって言ったでしょ? いい? 潜入任務で『別人』になりすますのとは事情が違うのよ。単に『はたけカカシ』っていう 男じゃない、『うみの芥子』って女にバケるだけなら簡単なの。…でも今アンタがやろうと している事は違うでしょ。そのどっちもアンタなんだから、それを忘れちゃいけないの。 ……でなきゃ、あのイルカ先生の結婚相手として不自然になっちゃうのよ。…意味、わか るわね?」 カカシは鼻先を押さえて唸る。 「……う…うん、それは…わかる…けど」 ふふ、と紅は笑った。 「まあ、ちょっと待ってなさい。自然な形で、アンタをちゃんと女の子にしてあげる。あ、 子供までいるのに『女の子』は変かしらね。ともかく、『変身』させてあげるから。……… うふふ…腕が鳴るわぁ…」 楽しそうな紅の笑顔に、カカシは片頬を引き攣らせる。 が、頼んだのは自分だ。腹を括るしかない。 「よ…ろしくお願い…シマス……」 鏡の中に、他人がいた。 自分に似ているような、違うような。 もしも街の中でそれと知らずに鏡に映ったこの姿を見たならば、一瞬自分だとは気づかな いのではなかろうか。 「……スゴイねえ、紅ちゃんの腕……」 さすが年季の入ったくノ一は違うと、カカシは素直に感心する。 紅は腕組みをして自分の『作品』を眺め、満足げに頷いた。 「うん、我ながらいい出来だわ」 傷痕を薄化粧で目立たなくして、カカシの本来の髪の色に合わせた付け毛で不自然に見え ない程度に顔の左側をカバー。更に肩と背中に少しかかるセミロングの髪で女性らしさを 演出する。そして服装はゆったりとしたハイネックのトップスに膝丈のチュニックを同色 系で合わせ、くるぶしまで包む暗色のスパッツ。これはカカシのスカートに対する抵抗感 を無くすという紅の心遣いだった。 黙って立っていれば、清楚さの中にも華やかさを感じる妙齢の美女である。 これなら、『イルカ先生の美人妻』という噂の女性像からそう離れた印象は無い。 「後はアンタの演技力にかかってるわね! 頑張りなさい。チドリちゃんの保育所の送り 迎えが野望なんでしょ?」 うん、とカカシは頷く。 「ホントにありがと、紅! オレ、頑張る!」 芥子という女の『経歴』も『姿』も出来た。 後は、その中身だけである。どういう話し方をするのか、どういう性格なのか。何が好き で何が苦手なのか。どういう事に価値を見出す女なのか。 (無理はしない! …そうだよ、長丁場だもんな。ムダに見栄をはるのは厳禁! 育児の 事とか、分からない事は分からないって言って、他の奥さん達に教えてもらうのも手だよ な。素直な方が一般的にウケはいいだろうし。…ええと、ちょっと恥ずかしがりっていう のはいいかも。それから…) カカシはブツブツ呟きながら自分が演じる『芥子』の人格を作り始める。 「……それでもって、一番大事なことは…ちゃんとイルカ先生の奥さんに見える事……」 教員室の机で小テストの採点をしていたイルカの手元に、ふわりと蝶が舞い込んだ。 「…!」 ス、と差し出したイルカの掌で彼のチャクラに反応した蝶はクルリと丸まり、紙の玉へと 変じる。いざという時に使おうと、カカシと決めていた連絡方法だ。 イルカは小さな紙の玉を指先でほぐし、広げた。緊急の大事かと緊張した面持ちでその広 げた紙に記されていた文字を読み始めたイルカだったが、最後まで読んでホッとしたよう に微笑み、その紙にふうっと息を吹きかけた。紙片は再び蝶となって舞い上がり、風に乗 って窓から出て行く。 イルカは目を細めて蝶を見送り、またテストの採点に戻った。 「芥子さん…?」 『蝶』で伝えられた待ち合わせ場所の、橋のたもとにいたのは見慣れない女性だった。 てっきり『はたけカカシ』が自分を待っていると思っていたイルカは彼女の姿に驚き、瞬 間目を見開く。それでも愛しい妻を見間違うわけもなく、その姿に合わせた名前で彼女を 呼ぶ。 「見違えましたよ。…よく、お似合いです」 カカシははにかんだ笑みを浮かべた。 「……おかしく、ないですか? …あの……この間言ってたの…実行してみたんです。紅 に手伝ってもらって…え〜と、女装してみました」 女が女の格好をするのは女装とは言わない。 だが、カカシの感覚だと今の姿はまさに『女装』なのだろう。 イルカは噴き出しそうになったのを堪えて、大きく頷いた。 「おかしくないですよ。綺麗です。…とても、いい。…まるで別人のようでいて、きちん と貴女らしさも感じられる。…俺にとっては、あまり違和感がありません」 カカシは安堵したように笑った。 「じゃあ、これで合格? これなら人前に出られます?」 「もちろんです。……でも、無理してわざわざ人前に出なくてもいいんですよ? たまに ちらっと姿を見せておけば、余計な憶測はされずに済むでしょうから」 はい、とイルカは腕を軽く曲げて差し出す。 彼がエスコートしてくれる気だと悟ったカカシは、くすぐったそうな顔でその腕に手を掛 けた。二人はゆっくりと夕刻に差し掛かった街を歩き始めた。 「……久し振りに、お茶でも飲みましょうか。少しくらいならいいでしょう。…結婚して から、それらしいデートしてませんものね」 カカシは嬉しそうに「はい」と弾んだ声で返事をして、イルカの腕をきゅっとつかむ。 すれ違う男が、先ずカカシに眼を奪われ、そして彼女を連れているイルカを羨ましげに振 り返るのが何回か続くと、カカシは不安そうにイルカに囁いた。 「イ…イルカ先生…オレ、やっぱりどこか変なんでしょうか。さっきから…振り返って見 る人が……」 イルカは笑いながら首を振った。 「芥子さん。それはね、貴女が美人さんだからですよ。彼らは貴女に見蕩れているだけで す。……いやあ、結構気持ちいいモンですねえ…連れが美女というのは。野郎共の羨望の 視線が快感です」 恥ずかしそうに顔を伏せたカカシは、小さな声で「バカ」と呟く。 「……でも、本当にそうなら…この格好して良かったってコトかな…イルカ先生に喜んで もらえたらオレ…」 イルカは少し屈んで彼女の耳元で囁いた。 「本当はどんな格好をした貴女でも俺は構わないんですよ。こうして横にいて下されば俺 はそれだけで嬉しいし幸せなんです。もちろん、いつもの忍服でもね」 彼の腕に掛けた指先にきゅっと力を込めて、カカシは自分の気持ちを伝える。 (オレも、嬉しい。貴方とこうして歩けるのが嬉しい…) そこへ、前方からイルカの同僚がやって来た。以前、彼に忍師を辞めるつもりかと詰め寄 った事のある男だ。 「…よ、イルカ……あれ? まさか……」 イルカにくっついているカカシを見て、男は驚いた顔になる。 イルカはニッと同僚に笑いかけた。 「よお。…珍しい所で会うな。こっちは女房だ。芥子さん、コイツは俺の同僚」 いきなりイルカに『女房だ』と人に紹介されたカカシは、内心ドギマギしながらぺこっと 会釈した。紅にレクチャーされた『ご挨拶』を思い出して口を開く。 「…はじめまして。…あの、主人が…いつもお世話になっています…」 言ってから、自分の言葉に照れてかあっと赤くなる。 「いやそのっ…ご丁寧にっ…お、俺こそいつもコイ…いや、ご主人にはお世話になっちま っててっ……うわあ、噂には聞いてましたが、お綺麗な方ですねえっ」 ますます恥ずかしげに頬を染めて俯く彼女の肩をイルカがさりげなく抱く。 「…お産でちょっと身体壊してな。あまり外には出てなかったんだよ。今日は、少し気分 がいいって言うから散歩しているんだ」 「そうだったのか…道理で、実際に会ったって奴がいなかったんだな。…あ、邪魔しちゃ 悪いな。じゃ、お大事に」 男は去り際にイルカの脇腹を小突いた。 「……羨ましい野郎め。やっぱ、今度おごれ」 イルカの同僚を見送ったカカシはふうっと息をつく。同時にイルカもはぁっと息を吐き出 した。 「あ、びっくりしたあ…先生ったら、いきなり…にょ…女房だなんて……ドキドキしちゃ った」 「……嘘じゃないでしょう? 芥子さんもなかなかでしたよ。咄嗟にきちんとこういう場 合の挨拶が出来るって、さすがです」 「それは…こういう時はこう言うのよって……紅が教えてくれてたから…あーでも、結構 アガっちゃったあ…ダメですねえ。どうして任務と同じようにいかないのかなあ…」 まだドキドキしているらしい胸を手で押さえているカカシに、イルカは微笑んだ。 「…そりゃ、任務じゃないからですよ。…俺達が夫婦なのは、本当の事だから。だから照 れるし胸もドキドキする。…実は、俺も貴女を『女房だ』って言うの、凄く照れくさかっ たですよ。ドキドキもしました。でも、言う時は堂々と言ってやろうと決めてたんで、頑 張りました!」 カカシは夫を見上げて微笑む。 「じゃあ、お互い第一関門クリア?」 「…そういう事かも」 明日のアカデミーではもしかすると同僚達が彼女に会わせろとうるさいかもしれないな、 と思いながらイルカはカカシを促して歩き出した。 こうして街の中を、衆目を気にせず二人で仲良く歩く事。 普通の夫婦ならば今更感動する事でもないが、イルカとカカシにとっては記念すべき出来 事なのだ。 「さ、早くお茶しに行きましょう。それから、二人でチドリを迎えに行く。…いい機会で すから、園長先生にご挨拶しておきましょうね」 途端に緊張して顔を強張らせながらぎくしゃくと頷く妻の肩を、イルカは優しく叩く。 「…大丈夫、取って喰われやしません。…俺がついています」 忍五大国に名を馳せる上忍・写輪眼のカカシは白い頬を桜色に染め、木ノ葉の一介の中忍 教師、うみのイルカを頼もしげに見上げ、眼を潤ませる。 「はい…」 夕陽に紅く染まり始めた街の中。 石畳の道に長く伸びた二人の影法師が仲良くくっついた。 |
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そして、『園長さんにご挨拶』という関門は突破ならず。 カカシちゃん、寸前で敵前逃亡。 ………しっかり! 上忍!! 2005/9/1〜9/3(完結) |