RING

 

カカシはこの家では熟睡出来ぬようであった。
イルカの横でまどろんでいても、彼が少し身体を起こしただけで飛び起きる。
どんなにそっと起きても、イルカの温もりが肌から離れただけで起きてしまうのだ。
眠りが浅い証拠だった。
眠れませんか? とイルカが心配すると、カカシは微かに笑って首を振る。
まだ慣れていないから、と彼女は小さく呟いた。
この『部屋』に慣れていないだけだから、と。
部屋自体に自分の『気』が馴染んでいないので、ほんの少しの変化で目が覚めてしまうのだと言う。
少しでもカカシに休息を取らせたくて、イルカは彼女を腕に抱いたままなるべくじっとしていた。
イルカが触れている限り、彼女は安心して眠っているようだったから。

カカシが熟睡出来ないのは当たり前だった。
イルカの家のように一家族がずっと住んでいるような建物には一種の守護結界が自然に出来てしまう。
イルカが彼女を招待し、受け入れる気持ちがあるから、普通に過ごす分にはここはカカシにとって、居心地のいい家だ。
だが、眠るとなると話は別だった。
彼女はまだこの家の『客』であり、彼女自身がこの家にとって自分は『よそ者』だと思っている。
だから『家』の方も時々しか訪れない彼女を『護るべき家人』として認めない。
家自体に『異分子』として警戒されていたのでは、カカシが安眠出来る訳がない。
家の主人であるイルカが彼女を護っていなくては、カカシのように鋭敏な感覚を持っている人間にはとても深く眠れるものではなかったのである。

今夜もイルカはカカシを抱いたまま寝る。
背後から包み込むように抱くと、カカシは安心したように頭をイルカの右腕に預けて眠ってしまった。
イルカはカカシを起こさないように気をつけながら彼女の銀色の髪を撫で、そろそろと彼女の裸の肩に左手をおろしていく。
そのまま腕に沿って指を撫で下ろしていっても、カカシの呼吸は変わらない。
イルカの指はカカシの肘を通り過ぎ、華奢な手首に辿り着く。
そしてそっと、その指に触れた。
愛しい宝物に触れた時の微笑がイルカの唇に浮かんだ。
カカシの左手をその手に包み、指を愛撫する。
無敵の上忍、写輪眼のカカシ。
この手で自分の運命を切り開き、乗り切ってきた強い忍。
忍の鍛錬を長年積んでいるのに、指にはっきりとした節が出来てないのが不思議である。
さすがに家事や習い事しかしていない普通の女性に比べれば少々傷ついて荒れているが、指先できっちり切り揃えられた爪は薄っすらと桜色で、充分形のいい指だ。
イルカはその指を撫でる。
ゆっくり、ゆっくり。
確かめるように。



カカシは声をひそめて隣りに立つ男に話し掛ける。
「…イルカ先生」
「はい」
カカシは首を傾げて恋人を見上げた。
「………もしかして、何か任務ですか……? こんな変装までして」
「いえ、そういう訳では…」
その外見は、普段の『イルカ先生』ではない。
変化まではしていなかったが、長い髪を短髪のカツラに押し込んで、度の無い眼鏡をかけて目立つ特徴となる一文字の傷をそのフチで上手に隠している。
服装もいつもの忍装束ではなく、同年代の青年が身につけているごく一般的なシャツとスラックス。
見破るつもりで見なければ、彼がアカデミーのイルカ先生だと思う者はおるまい。
そして、カカシの方はと言えば。
こちらもこれが写輪眼のカカシとわかる者はいないだろう。
忍装束を着ていないのはもちろんだが、やはり印象的な銀色の髪をくすんだ色の長い髪のカツラで隠している。
目許には薄い色のサングラス。
特に女性らしさを強調した服装ではなかったが、いつも着ている忍服に比べれば頼りないほど柔らかなシャツ、明るい色の七分丈のパンツはまず彼女が身につけた事の無いものだった。
いつもの晒しではなくきちんと女性用の下着をつけているので、胸元も少しふっくらと見える。
「…変化をして余計なチャクラを使う事も無いと思いまして」
「……はあ」
イルカはにこ、とカカシを見下ろした。
「人目を気にしないでゆっくりデートしましょう? カカシさん」
カカシはぽっと頬を染めた。
「手始めにここ。…入りましょう」
「はい…あの、でもここ…」
割と大きな装飾品の店。
「カカシさん、ちょっとその服胸元が寂しいでしょう。ブローチか、ペンダントをつけるときっと映えますよ」
「ええっと、いえ、そんな…」
カカシがおしゃれをしていなかったのは無理も無い。
彼女はその身を飾るものを一切持っていないのである。
耳飾りや指輪に薬物や針を仕込み、装飾と実用を兼ねている者も中にはいるが、それはカカシの趣味ではなかった。
第一、常に口布で顔を隠し、グローブを着用しているカカシは何かで身を飾りたいと思った事がなかったのである。
戸惑うカカシの背を押すようにして、イルカは店内に入った。
「いらっしゃいませ」
店員は愛想よく客を迎えたが、飛び出してきてまとわりつくような真似はしなかった。
イルカとカカシはゆっくりと店内を見て回る。
イルカもだが、カカシは妙齢の女性であるにも拘わらずこういった店に入った事が無かったので興味深げに品物を見回した。
イルカはカカシの耳元で囁く。
「何かお気に召した物はありましたか?」
「あ…あのでも……」
イルカは少し拗ねたように続ける。
「貴方に贈った物が忍具だけの野暮天野郎にはなりたくありません」
以前アスマが言った『プレゼントが忍具でデートがラーメン屋? どういう野暮天野郎だ』というセリフを、何気なくカカシはイルカに伝えてしまっていた。
それを聞いたイルカは恥ずかしそうに少し赤くなって、「参ったな」と呟いただけだったのだが―――まさか、気にしていたなんて、とカカシは慌てた。
「ごめんなさい。あれ、そんなつもりで言ったんじゃないんですよ」
イルカはにこ、とカカシを見下ろした。
「……なんてね。…いえ、アスマさんに言われたからじゃなくて…忍以外の貴方にも何か贈りたくて。…いいでしょう?」
カカシは戸惑いを隠せなかった。
幼い頃から『忍以外の何か』になどなった事がない。忍以外の自分とは何だろう。
こうして、普通の女の子の振りをして彼といる自分はどこか嘘くさい。
忍としての武装を解き、素裸で彼に抱かれている自分は『写輪眼のカカシ』でなはく、ただのカカシだ。
しかし、イルカが言うのはそういう事ではないだろう、と思う。
つくづく、自分は異端的な女なのだとカカシは思った。
本当に一般的な事には疎くて、デートの相手が贈り物をしてあげる、と言ってくれてもどう反応したら良いのかもわからない。
イルカが何か自分にしてくれようと言うのはとても嬉しい。
素直に笑って『嬉しい』と言えば良いのだろうか。それとも―――
急に俯いて考え込んでしまったカカシに、イルカは少し不安げに声を掛ける。
「あの…それとも、もしかして装飾品はお嫌いですか…? なら、無理強いはしませんが…貴方が嫌いなものを無理につけろとは言いませんから、安心してそう仰って下さい」
カカシは俯いたまま首を横に振る。
「…ごめんなさい。そんなんじゃないんです。…ただ、わからない。…わからないんです。オレ……こういうのした事なくって、それで…嫌なのかどうかすらわからなくて。嬉しいんですけど…イルカ先生がオレに…贈り物をしてくれるのは…」
イルカは俯くカカシの頬に軽く触れて、顔を上げるように促す。
顔を上げたカカシの眼の先に、変わらないイルカの笑顔があった。
「お嫌ではないのですね…? 何を選んだらいいのか、わからないんですか?」
カカシはこくん、と頷いた。
「では、こうしましょう。そうですね…まず、ブローチとペンダントではどちらがいいですか?」
カカシはほんの少し考えて、ペンダントの方を選んだ。
「では、このペンダントとこちらのものとでは?」
イルカはカカシに二者択一を繰り返させた。
そして、カカシが一番最初に切り捨てたデザインをもう一度選択肢に入れて選ばせる。
「やっぱり、こっちの方が好き…かな?」
選んでいくうちにカカシ本人にも、自分の『好み』らしきものが見えてきたらしい。
やはり最初に選ばなかったデザインは好きではなかったらしく、最後はあまり迷わず選択する。
「今日の服にも合っているようですね。それにしましょうか。…すみません、これをお願いします」
店員は若いカップルが品物を選ぶ間口を出さず、辛抱強く控えていた。
「はい、ありがとうございます。如何致しましょうか。贈り物でしたら、そのように包装致しますが」
「ああ、贈り物…だけど、このままして行きたいんですが。いいですか?」
店員はにっこり微笑んだ。
「承知致しました。では、値札をお取りしましょう」
カカシが選んだものは、銀の柔らかな曲線が瑠璃色の石を包み込んでいるペンダントトップにやはり細い銀の鎖のものだった。
店員は値札を取ると布で綺麗にペンダントをぬぐって、イルカに手渡した。
イルカはカカシが最後に選んだそのペンダントを彼女の首にかけてやる。
「似合っていますよ」
「…ありがとうございます…」
カカシは恥ずかしそうに、胸元を飾るペンダントに指先でそっと触れた。
外した時にしまう保管用の箱も別に包んでもらい、イルカとカカシは店を出た。
「…こんなのつけたの、生まれて初めて…」
カカシはふふっと小さく笑った。
「イルカ先生といると、オレ生まれて初めてをたくさんたくさん経験出来ます」
「楽しい?」
カカシは嬉しそうにイルカを見上げる。
「はい。楽しくて、嬉しい。…オレ…色んな事を発見しているんです。オレにもこういう物に好みがあったんだ、とか。…選べたって事はそうですよね?」
イルカはうん、と頷いてみせた。
「そうですね。カカシさんは、あまりゴテゴテしているものよりすっきりとした品のいい物を選んでいました。でもシンプルならいいってわけでもなくて、少しアクセントがあった物の方が好き。…そんな風に見えました」
「イルカ先生、よく見ているんですねえ」
イルカは目許を和ませた。
「……それ、貴方に似合っていますよ。きっと、その髪じゃなくて貴方本来の銀の髪ならもっとよく合うはずです。…さあ、お昼でも食べに行きましょう」

イルカが『よく見ていた』のには理由があった。
彼の本当の目的は、それだったのだ。
カカシの好みをリサーチする事。
ああして本人に選んでもらう贈り物も良いが、ちゃんと事前に用意しておかなければいけない『贈り物』もある。
サイズは彼女が眠っている間にこっそりと測った。
左の、薬指。
あの細い指に、いつか自分の心の証を贈るのだ。

イルカは心密かにそう思い決めていた。


◆◆◆

 

だが。
結局、イルカが思い描いていた、ある日突然彼女の目の前に指輪を差し出すような『プロポーズ』は実現しなかった。
妊娠騒ぎの時にドサクサまぎれのようにしたのが実質的な『プロポーズ』になってしまった為である。


今のカカシはもう、イルカが少し離れても飛び起きる事は無い。
彼の子を身篭った彼女を家が『護るべき人間』と認識した為、深く熟睡出来るようになったのだ。

隣りで眠るカカシの指に、イルカは指を滑らせ、優しく撫でる。
ゆっくり、ゆっくり。
彼女が自分のものである事を確かめるように。

その彼女の薬指には綺麗な銀のリングが光っていた。

 

 



 

最阿流さま77777HITリクエスト。
まだ結婚前の二人のデート風景。
変装してデートをしてたんで、二人の事は噂にはならなかったってえコトで。(^^)
リクエストありがとうございましたv
『RING』ちゅうと、ホラーなものを連想しちゃいますね・・・(笑)

2002/12/21

 

 

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