Precios Kiss
紅が御自慢の爪にやすりをかけ、マニキュアを塗る作業をカカシは頬杖をついてぼうっと 眺めていた。 ぽかぽかとお日様が優しい日差しを投げかけるのんびりとした昼下がりの上忍棟、その休 憩室での事である。 完璧に整えられ、磨かれ、保護と見栄えの為に美しく色彩を施された爪を、紅は陽の光に かざして満足そうな笑みを浮かべた。 その笑みを浮かべた唇も艶やかに口紅が彩っている。 「…なぁに? カカシちゃん。そんなにマジマジと見て」 「ん〜…紅ちゃんってばキレイだな〜…って…やっぱ、日々の努力?」 カカシは相変わらず男と変わらない格好をしている。 カカシが本当は女性だと知っている上忍の一人である紅は、あら、と片眉をあげる。 「前まで、そんな面倒なことよくやるねって言ってたくせに」 「ウン。…今でも面倒そうだなーっとは思うけどね」 『女』である事を前面に押し出して忍を稼業としている紅は、ある意味カカシとは対照的 だった。 豊かな胸は特に強調しなくても異性の眼を引くだろうし、滑らかそうな手足は同性の眼か ら見ても魅力的である。 アハン、と紅は納得したような声を出した。 「…わかった。アンタの心境の変化。……彼氏、出来たからでしょ」 カカシの唯一外部に晒されている右の目許がぽっと桜色に染まる。 「……何で…あ、アスマだな? バラしたの」 「あはは、彼から教えてくれたワケじゃないわよお。見てりゃわかるってば。一応アスマ に確認はしたけどね」 紅の言葉に、カカシは椅子に沈み込んだ。 「あら? どしたの、カカシ」 「………そ、そんなにあからさま…? オレ…」 そおねえ、と紅は指先で唇を軽く突いた。 「アンタの場合、今までが今までだったからねー…愛想がなくてどっか構えてて近寄り難 い感じだったのが、雰囲気柔らかくなったからね。……それでもって、最近よくあの黒髪 の先生と一緒にいるじゃない。こりゃああの彼と付き合ってるのかなーって思うわよお」 ズイ、と紅は身を乗り出して囁いた。 「…で、どこまでいってんの? アンタ達」 「どこまでって…」 「とぼけなさんな。あの一文字傷の男前な先生とのお付き合いの深さよ。もっちろん、接 吻くらいしてるんでしょ?」 カカシは赤くなって頷いた。 「う…うん…キスは…付き合い始める前に…あれ? 告白される前だっけ?」 紅は心持ち眼を瞠った。 「…意外。……結構手が早いのね、あの男」 カカシは慌てて言葉を足す。 「でッでも………キスだけだよ! その先はまだしてないってば! 彼、優しいもの。… …オレの心の準備が出来るまで…待っててくれるって…そう言って、我慢……」 カカシの声はどんどん小さくなっていく。 「……我慢させてんの。まー、カワイソ、彼氏。…カーカーシ。いい加減許してやんない と、浮気されちゃうわよお。あの先生、どう見たって二十代前半でしょう? まだまだ女 と見れば服の下を想像しちゃうお年頃じゃない。付き合ってる彼女とえっち出来ないなん て、お気の毒」 紅の冷やかしにカカシはムッとする。 「イルカ先生はそんなスケベじゃ……」 「ないって言い切れんの? 告白前にキスされたんでしょ?」 ううう、とカカシは頭を抱えた。 そう言えばあの時自分がタイミング悪く月役にならなければ、あのまま山の中でしていた かもしれないのだという事を思い出す。 「でもでもでもっっ…そんな、四六時中そんな事ばかり考えるような人じゃないよ! 真 面目なんだから!」 あーはいはい、と紅は軽くいなす。 「そーねー…まあ、真面目なんでしょうね。…見た感じもだけど、声の調子も…何よりチ ャクラの性質がすごく綺麗だわね。濁ってない感じ。……火影様が信頼するのもよくわか る、真っ当なニンゲンだわ。そう、人間としてはとても上等な部類よねえ。…何で忍なん かやってんだろうなって思うくらいマトモ」 カカシは胡散臭そうに紅を見た。 「…あんまり褒めてるよーに聞こえないんだけど…」 ほほほ、と紅は笑ってひらひらと手を振る。 「やあねえ。ちゃんと褒めていてよ? でも考えてみれば、そーんなマトモな男が、何で またアンタみたいなのに引っ掛かっちゃったのかしらねえ。ふ・し・ぎ」 カカシの顔が、すうっと沈んだように暗くなった。 「…うん………不思議…だよねえ…」 そのカカシの反応に、紅は慌てて腰を浮かせる。 「あらやだっ…マジにとんないでよ! 冗談よ、冗談。彼だって、アンタが好きだから付 き合ってるに決まってるんだから! ともかくね、いい男捕まえたんだから、逃げられな いよーにしなさいね! 焦らすのも手だけど、やり過ぎるとかえって逆効果よ? ね?」 カカシはどんどん沈んでいく。 「……そりゃーね…オレだってさ…紅みたく出るトコ出てて、キレイだったら…………で もオレ…こんな身体、イルカ先生に見せるの恥ずかしくって…失望されたらどーしよーっ て…」 「アンタ…やだ、本当にマジ恋なのねえ……」 木の葉の『写輪眼のカカシ』といえば冷徹なまでの仕事振りで音に聞こえた上忍で。 姿を見て生きて還った者はいないとか、人の心を持たないバーサーカーだとか、物騒な噂 だけが一人歩きしていて、その名を聞けば大抵の他国の(あるいは自国も含めた)忍が震 え上がる。 それがこんな、一人の男(しかも格下の中忍)に恋して頬染めて、しかもその男に嫌われ てしまわないかと不安を隠せずにオドオドしている『乙女』と同一人物だとは誰も思うま い。 紅は改めて感心した。 イルカという男、すごい。 あのカカシを単なる恋する女の子にしてしまった。 「あのねえ、カカシちゃん。色恋の道なんてさあ、人それぞれよお〜? きっと、あの先 生にはアンタがドンピシャで好みだったのよ! もしかしたらロリ趣味があったとかホモ ッ気があったとか…じゃないッ…ああ、何言ってんのかしらアタシったら! ごめんね、 えーと…」 カカシを慰めようとしたにも拘わらずとんでもない事を口走ってしまった紅は何とかフォ ローしようと言葉を捜したが、遅かった。 「………ロリ…ホモ……?」 どよん、とカカシが顔を上げた。 「…つまり〜…イルカせんせ、そーゆー趣味があったからオレでもOKだったって事…?」 紅は慌てまくってけたたましく否定する。 「やっだ―――ッ! んなことナイナイ! 冗談だってばあ。ね? ごめんね? そんな ワケないじゃない〜〜変な事言って悪かったわ。許してね? ね? カカシ…カカシ?」 時既に遅し。 カカシは別の落とし穴に片足を突っ込んでしまったらしく、悶々とした顔で悩み始めてし まった。 「カカシさん、お待たせしてすみませんでした」 アカデミーでの仕事を終えたイルカは、カカシとの待ち合わせ場所に急いだ様子でやって 来てぺこりと軽く頭を下げた。 生真面目なイルカは、たとえカカシと約束があっても自分の仕事を他人に押し付けてくる という事が出来ない。 だが、カカシを待たせて平気でいられるはずもなく、彼は急いで走ってくる。 自分の為に息を切らして走って来る青年の気持ちが嬉しくて、カカシはいつも「いいえ」 と首を振って笑って見せるのだ。 中忍の彼が呼吸を乱しているのは、本当に全速力で来てくれた証拠である。 でも本当は仕事より自分との約束を優先して欲しい。 もっと早く来て欲しい。 待たせないで。不安にさせないで。 その気持ちを押し隠して、カカシは笑って見せる。 「アカデミーは急な仕事が入る事も多いって、知ってますもの。…子供にはこちらの都合 なんて関係ないですもんね」 ああ、オレってば何て物分りのいいコト言ってるんだろう…と、カカシは自分でげんなり とする。 自分はこんなに『いい子』じゃない。 もっと我がままで、自分勝手で。 なのに、イルカに善く思われたくて、我がまま言って嫌われたくなくて、無理矢理にでも 笑って――― 「それはそうなんですが…でも、遅れて貴女をお待たせしてしまったお詫びはさせて下さ いね。お腹は空いていませんか? 良かったら食事に行きましょう」 イルカは本当に申し訳無さそうな顔で、カカシの右目を覗き込む。 初めて出会った時から変わらず、イルカは礼儀正しくて優しい。 変わった所と言えば、二人きりになり、人目が無くなるとイルカはカカシをきちんと女性 扱いしてエスコートするようになった事か。 「…うん……そうですね…ちょっと、お腹空いたかなあ……あの、でもオレあんまり外で 食べたくない感じ。あの、何か買ってってどっちかの家で食べませんか?」 イルカはあっさりとカカシの希望を聞きいれる。 「ハイ。貴女がその方がいいのでしたら。何を食べたいですか?」 イルカの家の方が落ち着く、とカカシが言うので、買って来た夕食はイルカ宅の居間に据 えてある卓袱台に並べられていた。 台所でお茶をいれようと湯を沸かすイルカの周りで、カカシが何か手伝えないかとウロウ ロしている。 「お茶いれるだけですから、いいですよ。どうぞ座ってらして下さい」 そうイルカに言われても、カカシはハイそうですかと引込めない。 「…カカシさん?」 カカシはもじもじと指先をいじって俯いている。 「…だって…普通そう言うのって、お…女の方がやるもんじゃないかなあって……」 イルカはそれを聞いて、一瞬眼を見開いた。 「え…ああ、そんな事。カカシさんって意外と古風ですねえ。…いや、俺の方がどこか拘 りを持ってたかな…上忍の貴女にそんな事させちゃいけないって…」 ごめんなさい、とイルカはカカシの額に軽く口元を寄せた。 キスとも呼べないような軽い接触。 でも、それだけの事でカカシの胸の中はふわりと暖かくなる。 「じゃあ、お願いします。俺は茶を入れますから、カカシさんは小皿と醤油を用意して下 さい。醤油、冷蔵庫ですから」 「あ、はいっ」 カカシはいそいそと冷蔵庫を開け、醤油を出す。 何と言っても他人の家の冷蔵庫など、アスマの家のもの以外開けた事などない。 恋人はおろか、互いの家に行き来するような親しい友人も他にはいなかったカカシは、時々 どこまで他人の領域に踏み込んでいいかわからず戸惑う。 はっきりと『やる事』を指示してもらえた方が嬉しかった。 古い食器棚から手頃な小皿を選ぼうとしていたカカシの手がふと止まった。 「………あの…」 「はい?」 イルカは沸騰させた湯を茶碗に移して冷ましながら顔だけ振り向いた。 「あの…こんな事訊いちゃいけないのかもしれないけど…オレ、オレはその…男の人と付 き合うのって、イルカ先生が初めてだけど…イルカ先生は違うよね…?」 イルカは少し驚いたような顔でカカシを見た。 「何故…そう思うんですか?」 カカシはう〜、と唸る。 「あの…今食器棚開けて…前にこうして誰かが…やっぱりお皿出したりしてたのかもって …ちょっと思っちゃったんです」 可愛い女性向の湯呑が食器棚に収まっているのに気づいたイルカは微笑んだ。 それは母親の遺品で、ずっと処分出来ずに取っておいたものだ。 「うちの食器棚を開けた女性は、母と祖母以外いませんよ。…俺の血縁以外でそれに触れ た女性は貴女が初めてです…カカシさん」 「…え? そうなの?」 「大体俺、家に呼ぶような彼女いませんでしたから」 「うそ」 イルカは体ごと向き直る。 「嘘なんかつきませんよ。…ええと、そりゃあ仕事帰りにちょっと食事をするとかいった デートをした事くらいありますけど。貴女と出合った時は付き合っている女性はいません でしたよ」 「だって…イルカ先生、優しいし…結構男前ですもん……彼女の一人や二人いたっておか しくないって思………」 食器棚の前でぽそぽそ呟いていたカカシは、ハッと気づいたように顔を上げた。 「もしかして『彼女』はいなくても『彼』ならいたんですか??」 イルカの眼はそれこそ真ん丸になった。 「そりゃいったいどーゆー発想ですかあっっ?? あ、もしかしてあの噂、お聞きになっ たんですか?」 「…あの噂?」 カカシは首を傾げた。 「ああ、あの…ちょっと、俺がホモだって噂が流れちまって…でもそれは…」 イルカが全部言い終わらないうちに、カカシは思いっきり身を翻してあっという間に玄関 まで走って行ってしまった。 「待って下さい! どうしたんですかカカシさん!!」 サンダルも履かずに飛び出そうとしたカカシを必死で追いかけたイルカは後ろから抱きつ いて止めようとする。 「やっぱりそうだったんですかっ」 「何がですッッ」 「あんたホモだったんだ―――ッ」 「何言ってんですか! そりゃただの噂ですよ! 大体、貴女と付き合ってるからそんな 噂が立っただけなんだから!」 カカシは『は?』と振り返った。 「だ、か、ら! 貴女の事は皆、男だと思っているでしょうがっっ」 「あ」 カカシは両手で自分の口元を押さえた。 「……そっか…お、オレの所為…?」 「あのねえ、カカシさん…俺は貴女が好きなんですよ? なのに何で…」 イルカはそっとカカシを家の中に押し戻す。 「えーと…だからオレ…男みたいでしょ…?」 「でも俺は貴女が女性だと承知しています」 「ウンでもね…あの……」 歯切れの悪いカカシをようやく居間まで連れ戻し、座布団に座らせる。 「はっきりおっしゃい」 ちょうど良く冷めた湯を急須に注ぎ、イルカはお茶をいれてカカシの目の前に置いた。 「…あのね、え〜と…同僚の紅って女が……イルカ先生はすっごくマトモなのに、何でオ レみたいな…男みたいなのに引っ掛かっちゃったのかしらって…もしかしたら先生、ロリ とかホモとかの気があって、それでオレみたいなのでもOKだったんじゃないかって…」 イルカはハア、と息をついた。 カカシは恥ずかしそうに小さくなる。 「……貴女…そんな冗談、マトモに受け取っちゃったんですか?」 「ご、ごめんなさいッッ」 カカシは赤くなってますます小さくなる。 イルカと面と向かい合うと、自分が物凄くバカな事を口走ったと恥ずかしくて仕方なくな ってしまう。 イルカは手を伸ばして、赤くなって俯いているカカシの銀の髪をそっと撫でた。 「…カカシさん……どうして貴女は、忍であること以外の御自分にそんなに自信が持てな いのでしょうね……」 「………自分の事、知っているからです……」 忍であること。 それがカカシの全てだった。 優秀な忍であることには自信もプライドもあったし、常に努力もしている。 自分はたまたま男性の肉体を持っていないだけ。 それでいいと思っていた。 だが。 イルカと出会い、『恋』をして、カカシは生まれて初めて自分が女性だった事に感謝したの だ。 そして、自分が世間一般の女性達とは大きくかけ離れた『不細工』な女である事を悲しん だ。 イルカの為に綺麗な女になりたいが、紅のように自分を美しく見せる術(すべ)など知らない。 どう足掻いたって今更『女らしく』などなれない。 「…俺がどう言えば貴女はわかってくれるのでしょうね…」 イルカは困ったように苦笑した。 「俺は在りのままの貴女が好きです。…そりゃあ貴女は一見女性らしくは無い。でも、そ れは当然でしょう。貴女は男として生きてきたんですから。ねえ、カカシさん…俺は貴女 の人生を否定したくないんですよ」 カカシは顔を上げる。 「貴女が今の貴女である為に、どれほどの努力をなさいましたか? 貴女は確かに忍とし ての天性の才能をお持ちだが、それだけで上忍として生きていられるほど甘い世界じゃな いのは俺だって身にしみて知っています。…女性はどうしても筋力の面で男性より不利だ。 それを補う為に貴女はどれだけ鍛錬を積みましたか。……俺には想像もつきません」 カカシは胸の中がつんと痛くなった。 何だか鼻先もつんとする。 自分の為に努力したのだ。 死にたくなかったし、強い忍になりたくて。 四代目がいなくなってしまってからはもう、誰かに褒めてもらおうなんて思った事もなか った―――けど。 「尊敬しています。…カカシさん」 涙が出た。 イルカに今までの自分を認めてもらって、褒めてもらって。 どんな愛の言葉より嬉しかった。 イルカはカカシの眼から零れ落ちた滴を指の腹でそっと拭う。 「…だから、貴女は何も引け目を感じる必要は無いんですよ。…そんな事言ったらね、俺 はどうしたらいいんですか。忍としては貴女より格下の中忍で、目立った戦功も無く、特 に美男子でもない、平凡な男です。…貴女に好かれる自信なんか無かった」 貴女に最初に口づけた時なんか、半殺し覚悟だったんですよ、とイルカは笑った。 「でも、貴女に触れてみたかった……綺麗な花の花びらに触れてみたくなるように、どう しても…」 イルカはつい、と身を引くと、胴衣の前を外してどさりと脱ぎ捨てた。 急に服を脱ぎ始めたイルカを、呆然とカカシは見ている。 イルカは黒い上着も脱ぐと、裸の上半身を晒した。 「……貴女には以前の任務の時に手当てをして頂いていますから、もうご存知でしょうが ……結構、傷が多いでしょう…? 忍やってりゃ当然これくらいの怪我はしますから、珍 しくもないでしょうけど」 そしてくるりと背中を向けた。 「……あ…」 カカシは思わず痛ましそうに眉を寄せる。 背骨近くに大きな惨い傷痕があった。 この傷も手当ての時に見ていたはずだが、明るい所で見ると記憶にあるよりも凄まじい傷 痕だ。 カカシの忍としての眼は冷静に、これはもう一歩で死ぬところだったな、と分析する。 位置がもう数センチずれていたら絶命しないまでも、忍どころか通常の社会生活が送れな い身体になるところだっただろう。 大きく引き攣れ、変色した肌の部分はもう元には戻るまい。 「…みっともないですよね。…気持ち悪いですか? こんな俺の身体には触れたくないと …思いますか…?」 カカシは思いがけない事を言われたように目を丸くして首を振った。 「いいえっ…まさか! …い、痛かっただろうなって…思うけど。…あ、やだな。オレ前 の時にちゃんと手当てしているじゃないですか…その時触って……」 カカシは自分で口を押さえた。 カカシの様子に、イルカは微笑む。 「ね? …貴女だってそう言うでしょう…?」 あの時、イルカは何と言って口づけたのか。 ―――『綺麗です…』 あの一言で、イルカはカカシの全てを肯定してくれていたのだ。 カカシはカァっと頬を染める。 「あ…あの……でもオレ……イルカ先生……」 カカシが気にしている事など、最初からイルカは気にしていなかった。 顔を真っ赤にしているカカシの頬を、イルカは両手でそっと包んだ。 「…こんな俺でも、好きだと言って下さいますか…?」 カカシはウン、と大きく頷いた。 その仕草とは対照的に、蚊の鳴く様な小さな声で「…大好き…」と告げる。 イルカの唇がゆっくり重なった。 途端にカカシの鼓動が自分でも驚くほどドキン、ドキンと脈打ち始める。 「……俺も大好きです…カカシさん。…ああ、困ったな……貴女がそんなに可愛い顔をす るから…我慢がきかなくなりそうだ…」 裸のままのイルカに抱き締められ、カカシの鼓動は更に早くなる。 (わ〜、オレの心臓〜っ! 静まってよお願い、恥ずかしい〜) 緊張のあまりカチンコチンになっているカカシを、イルカはひょいと抱き上げる。 「ひゃあっ!」 思わずあげた『悲鳴』に、カカシは両手で口を押さえる。 「…ごめん…悲鳴まで女の子らしくない…オレ。普通、『きゃあ』だよね」 イルカは思わず笑い出してしまった。 「『ひゃー』でも『うぉー』でもお好きに叫んで下さい」 「『うぉー』なんて言わないですよぉっ…もおっ」 カカシはきゅうっとイルカの首にしがみついた。 暖かい肌。 イルカの匂い。 幸せな『ドキドキ』で胸がいっぱいで苦しいくらい。 イルカはカカシを寝台まで連れて行くと、静かにおろして座らせた。 そしてカカシの前に恭しく片膝をつき、彼女を見上げて微笑んだ。 「…食事の前に、貴女が欲しい。…カカシさん、許して下さいますか……?」 もうたぶん、イルカの家に行くと言った時から半分、カカシは覚悟していたのだ。 もしイルカが今度自分を望んだら。 そうしたら―――――― カカシは頬を染め、小さく頷いた。 知識として知っている男女の交わりと、実際がどこまで同じだったかなどカカシにはわか らなかった。 イルカに抱かれたのは確かだったが、何だか嵐のようでよく覚えていない。 彼に胸の晒しを解いてもらった所までは覚えている。 裸の胸が彼の眼前に晒されたのが恥ずかしくて、手で庇おうとしたらその手を押さえ込ま れた。 イルカはいきなり胸に触れようとはせず、カカシの鎖骨辺りに軽くキスして耳元で囁いた。 「やはり、綺麗です…貴女の持つ色彩は、本当に綺麗だ…」 口説く為に囁く、お世辞ではない。 カカシに自信を持たせようとしての言葉でもない。 イルカは本当にそう思ったから彼女に伝えた。 それを悟ったカカシは、今死んでも構わないと思ったほど嬉しかった。 つい先刻、忍としての自分の生き様を肯定してもらった時とは少し違う嬉しさだったが、 彼の声に無理が無かったのが本当に嬉しかったのだ。 この人になら、自分の全てを見せてもいい。 傷痕で引き攣れてザラザラしているイルカの背中に手を回し、カカシは目を閉じたのだ。 汗ばんだイルカの腕の中で、カカシは身じろいだ。 「……大丈夫ですか? カカシさん…」 カカシが初めてだった事もあり、イルカは彼女の身体を気遣った。 「…さあ…? わかんないです…だって、自分の身体が自分のじゃないみたい……」 イルカが心配して狼狽した気配を察して、カカシは微笑んでみせる。 「わかんないけど、大丈夫……あは、オレってやっぱヘン?」 「変じゃないですよ。……ああ、そのまま休んでいて下さい。お腹空いているって言って たのに、俺の我がままで……」 イルカはちゅ、とカカシの口元にキスして身体を起こした。 「今、ご飯温めますね。お湯も沸かしてきますから。…身体、拭かないと風邪ひきますし」 カカシはシーツを胸にかき寄せて頷いた。 イルカ一人を働かせるのは悪い気がしたが、何だか身体を動かすのが怖い感じなのだ。 「…ありがと…イルカせんせ…」 これで『本当に』自分はイルカの『彼女』になれた。 何より、自分の最初の相手がこの人で良かった。 そして、初めての自分をこの人にあげられて良かった。 涙が出そうなほど嬉しい。 眼を閉じてイルカの匂いのするシーツを抱き締め幸せの余韻に浸っているカカシを、簡単 に身繕いしたイルカが悪戯っぽい顔で振り返った。 「そうだ。…俺、もしかしたらホモになってた可能性ありますよ」 いきなり何を言い出すのかとカカシが眼を見開くと、イルカはアハハ、と笑った。 「…貴女が本当に男だった場合です。そしたらホモになるしかないですよね。…あ、そし たら俺が振られるのか。貴女が男だったら俺を好きになってくれるわけ無いですね」 「そんな事!」 カカシは思わず叫んでいた。 「オレ、きっと男に生まれていてもイルカ先生が好きになると思います! 絶対です! 絶対!」 イルカは眼を細める。 「…俺も、絶対。……きっと、来世も貴方に恋します―――」
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