擬卵孵化−3
里にカカシを連れ帰った青年は、先ず三代目に事の次第を報告し、ついでに子供を自分で 育てると宣言して老人を驚かせた。 「おぬし、本気か。…先ずはその子の身寄りを調査するのがスジじゃろう」 「まあ、そのつもりではおります。…でも、私はこの子と約束しましたから。一緒に暮ら そうって」 三代目は胡乱な眼で青年を見遣る。 「…ものぐさなチョンガーのくせに、こんな小さな子供が育てられるのか? これ、ええ と、カカシと言ったか。この爺の所へ来ぬか?」 山から降りてこっち、初めて見るたくさんの『人間』にすっかり怯えてしまったカカシは、 無言で青年の脚にしがみついた。 「ほら、カカシも私がいいそうです」 ふう、と三代目はため息をついた。 「まあ、良いか、試しにやってごらん。乳飲み子というわけではないからな。おぬしにも 何とかなるやもしれんの。…わかった、一応おぬしを保護者にして、その子を里に登録し ておいてやろう。カカシよ、おぬしは今年で幾つになる?」 カカシは質問の意味が分からないらしく、きょとんとしている。 青年は子供の目線までしゃがみ、質問をし直した。 「カカシは、生まれて何年になる?」 カカシは困ったように首を振った。 「…知らない。わかんない」 そうか、と青年はカカシを安心させるように軽く肩を叩いた。 「いいよ。大した問題じゃない。…コハル様に見て頂けば良いでしょう? 三代目」 「ああ、そうじゃの。コハルは不思議と人の年齢をぴたりと言い当てるからの。そうおし」 では、と青年は三代目に頭を下げた。 「…この子のジイ様の方…よろしくお願いします」 「ああ、ちゃんと人を遣って、しかるべき処置をする。任せなさい」 アカデミーが終わる時間らしく、通りには子供達がたくさんいた。 青年に手を引かれたカカシを物珍しげに眺め、クスクス笑う子もいる。 その度に青年はカカシを庇うように自分の傍に引き寄せた。 「お腹空いたねえ、カカシ。私の家はもう少しだから」 カカシは青年のズボンをぎゅっと握って顔を強張らせた。 「……ここが、『里』なの?」 「うん」 「………オレ、こんなトコ嫌だ…山に帰る」 「どうして、嫌なんだい?」 「匂いが…山と違う。木が無い。…それに、ヒトがいっぱいいて……」 人馴れぬ子供には、たくさんの『人』が怖いのだろう。だが、怖いとは口に出せずに俯く。 青年は立ち止まってひょいと屈み、膝をついた。 「…カカシ。あそこは人の住まう場所ではないと言っただろう? お前は人だ。…もう、 山には戻れない」 カカシの小さな身体が震える。 「カカシ。里は広い。こんなに賑やかなのは、ここら辺くらいだから。…お前が里に慣れ るまで、人のあまりいない静かな所に住もう。だから、頑張ろう。…な?」 カカシはしばらくじっと青年を見ていたが、やがて力なく項垂れた。 「…もう……戻れない………ジィちゃんにも………会えない…」 そしていきなりぽろぽろと涙をこぼし、唇を噛みしめて泣き出した。 こんな小さな子供が、声を殺して泣く。 青年は痛ましさに胸を突かれた。思わずその細くて小さな身体を抱き寄せる。 「…カカシ。私がいるから…だから、頑張ろう。一緒に、頑張ろう」 青年は子供が泣き止むまでずっと抱き締めてやっていた。そのほのかな体温を、彼は初め て愛しく思う。 この世の中で、今自分を抱き締めてくれている腕が自分を支えてくれる唯一のものになっ てしまったのだという事をカカシはようやく悟る。 カカシは、小さな灰色の頭を青年の胸に擦りつけるようにして頷いた。 「お風呂沸いたよ、カカシ。…もしかしたらこういう風呂は初めてかもしれないけど、大 人しくするんだよ。身体を綺麗にするだけだからね」 青年は、万が一風呂を嫌ったカカシが外に飛び出しても追いかけられるように、上半身を 脱いでズボンをつけたままカカシを風呂場に連れて行った。 「…オフロ…」 「そう。髪を洗って、身体も洗って。綺麗にしてからご飯を食べよう。それからコハル様 っていうお婆さんのところへ行って、カカシが幾つか見てもらおうな」 そう言いながら、青年はカカシの着ているボロを脱がせ始めた。 カカシは大人しくされるがままになっている。どうやら、青年を信用する気になったらし い。 紐で細い胴に括りつけているような半ズボンをやっとの思いで引き下ろし―――彼の蒼い 目は真ん丸になってしまった。 「え…あ? うわわわっっっ」 滅多にあげない上擦った声を思わずあげた彼は、咄嗟に子供のズボンを元通りに引き上げ ていた。 そこへ、時々青年の身の回りの世話をやいてくれている中年の婦人が顔を出す。 彼女にカカシの服の調達を頼んであったのだ。 「四代目様、お申し付けの子供服を……あら、どうかなさいましたか?」 金髪の若者は、ぎくしゃくと婦人の方を振り返る。 常ならば、何度訂正しても自分を『四代目』と呼ぶ彼女に「まだ四代目と呼んでくれるな」 と一言返す彼も、珍しく動転してその呼び方を聞き流してしまっていた。 「あ…あ…あの…いや……こっこっこ…このっ子…お、お、女…の子…」 真っ赤になった青年に、一瞬目を丸くした婦人はホホホ、と朗らかな笑い声をたてた。 「あらまあ…お嬢ちゃんだったのですね。嫌だ、男の子の服持ってきてしまいました。… 外して下さいな、四代目様。わたくしがやります。さあ、おばちゃんが洗ってあげましょ うね。お名前は?」 「カカシ」 「カカシちゃんね。まあまあ、こんなに汚れて可哀想に。はい、ちょっとお眼めつぶって てね」 婦人はにこにことお湯を汲んで、手際よく石鹸を泡立てる。 そして、風呂場の外に追い出された青年が何とかショックから立ち直り、取りあえず何か 食べよう、とようやく前向きな事を考えられるようになった頃には既に彼女はカカシを綺 麗に洗い上げていた。 「まあ、綺麗な銀髪だこと。色も白いし。きっと、大きくなったらとっても美人さんにな るわね」 白い清潔な丸首シャツに青い半ズボンのカカシは、男の子にも女の子にも見えた。 「今はこれで我慢してね。明日、もっと可愛い女の子の服を用意するわ」 「……どうして我慢なの? オレ、こんな柔らかくていい匂いの着たの、初めてだ。これ でいいよ。それに、女の子って何?」 「…男、女、の女の子よ。カカシちゃんは女の子でしょう?」 カカシは首を傾げた。 「よくわかんない。でも、男っていうのはジィちゃんがいつも言ってた。お前は男なんだ から強くならなきゃって。オレ、男だから強くなるんだ」 婦人は初めて顔色を変えた。 「四代目さまーっ!」 青年は慌てて脱衣所を覗いた。 「どうかしました? ああ、綺麗になったなカカシ。ちゃんとおばさんにお礼言ったか い?」 カカシは素直にぺこんとお辞儀して「ありがと」と小さな声で言う。 「ど、どういたしまして…じゃなくて、ああ、それより四代目様。大変です。この子、自 分を男の子だと思っておりますよ。と言いますか、男女の別がよくわかっていないみたい で…」 青年はくらりと眩暈を覚えた。 「……実はちょっと特殊な育ち方をしてようなんですよ、この子。追々、常識的な事を教 えていきますから…大丈夫、何とかなります」 (…人間、第一印象ってのはそうはずれぬものだな…コイツを女の子だなんて思ってはい かんようだ…サルだ。やっぱり白い小猿だ。…まず、サルから人間にせねば…) 決心を新たにしている青年の袖を、つんつんとカカシが引っ張った。 「オレ、ハラ減った。…どっかで狩りしてきていい?」 再び眩暈が青年を襲った。 「………狩りはしなくていいんだよ。と言うかね、勝手に狩りなんかしちゃいけません。 …食べ物はね、里では普通買うんだよ」 「買うって?」 「……山にお店は無いものなあ…いいかい、カカシ。山と里は、色々とやり方が違うのだ よ。今は、よくわからないかもしれないけど、そのうちわかるから。とにかく食べ物は、 私が用意するからね」 カカシは不満そうに眉間にシワを寄せた。 「オレ、エサもらうの? ケムリみたいに?」 「…あのね、人間の食べるものはエサって言わないの。ゴハンとか、食事って言ってね… ええと、どう説明すればいいんだ…」 婦人はそっとため息をついて、困っている青年を励ました。 「…これは大変でございますわね、四代目様……頑張って下さいませ…取りあえず、何か 見繕ってお食事をお持ちします。それまでカカシちゃんに色々とお話してあげてください」 「………お願いします……」 もしかしたら自分はとんでもない事に手を出したのかもしれない。 だが、この子を連れて来たのは自分だ。女の子に見えない野生児だろうがなんだろうが、 きちんと養育する義務がある。 四代目となる青年は腹を括り、先ず『エサ』と『食事』の違いを説明する為にカカシに向 き直った。 「コハル様……如何なものでしょう?」 ご意見番であるコハルは、幼い頃から特殊な勘が鋭い女性だった。 カカシの顔をじっと眺め、小さな手を握ってみて徐に口を開く。 「ふうむ、この子は…そうだね、見かけほど幼くはないようだねえ。…四つ…いや、そろ そろ五つほどだろう」 青年は、やはり栄養が足らなくて発育不全だったのか、とカカシを不憫に思った。カカシ の見かけは三歳くらいにしか見えないのだ。 だから、手裏剣を操り、口寄せの術までこなした事実に驚いたのだが。 「わかりました。今年で五つ、とします。カカシ、お前これから歳を聞かれたら五つだと 答えなさい」 カカシはこっくんと頷いた。 「して、この子はお前様が育てる気かえ? 酔狂なことを。嫁の来てがなくなるよ」 ほほほ、と笑うコハルの軽口に、青年は真面目に応える。 「私と一緒にカカシを愛せぬ女など、嫁に来て欲しいとも思いませぬ、コハル様。……そ れに、この子はこの歳で既に火遁、口寄せの術を操ります」 コハルはおやまあ、と口の中で呟く。 「それはおませな事。…それではお前様が見ててやるしかないねえ…そうかい、そういう 巡り合わせかい…」 コハルはカカシの頭を慈しむように撫で、微笑みかける。 「お前は良い人に逢えたね、カカシ。…もしかしたらお前の歩む道は厳しいものになるか もしれない。…でもね、いつでもお前を愛してくれる人が傍にいるよ。…お前はね、そう いう風に生まれた子だ。だから、しっかりおやり」 カカシは訳がわからないながらもこっくりと頷いた。 青年もカカシの頭にポンと手を置く。 「…カカシはもう下忍並に力があるからねえ…一応忍として登録しておこうか。良かった な、歳がわかって」 コハルは口を挟む。 「しかし、妾も正確な生年月日まではわからぬよ。登録書ならば、それも書かねば」 青年はしばし考え、やがてにっこりと笑った。 「では、お前の誕生日は私と出逢った日にしよう。うん、それがいい。いい季節だし」 カカシはちょこんと首を傾げる。 「…誕生日……?」 「お前が生まれた日の事だよ」 九月十五日。 将来里長となる金髪の青年と、後に不世出の天才忍者と呼ばれる小さな銀髪の少女が出逢 ったのは、紅葉もまだ色づかぬ初秋のことであった。 |
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というわけで、こっちのカカシちゃんのお誕生日は先生と出逢った日。 2004/7/18〜22(完結) |