うたかた −続・ヒミツの花園− 2

 

イルカは自分の家にも拘わらず、緊張して扉を叩いた。
「た、只今戻りました…」
「おかえりなさーい!」
カカシは待ちかねたように玄関の戸を開けてくれた。
まるで新婚の夫婦のようだとイルカは思ったが、カカシの方も同じ事を考えたらしい。
「これって、新婚さんみたいですねー♪ 何だか楽しいなあ。ね、イルカせんせ」
カカシは『新婚さんごっこ』をする事に決めていたらしく、イルカに抱きついて『お帰りなさい』のキスを彼の頬にしてくれた。
「ふふふ、ちゃーんと、お風呂と夕食の仕度もしました! お約束のセリフ、言えますよ!」
もうカカシのキスくらいではたじろがないイルカだったが、何を約束したのかわからず、キョトンとする。
「お約束?」
「もちろん、『あなたぁ、お風呂にする? それともお食事?』ってやつに決まっているでしょう!」
「カ……」
イルカは身体が斜めになるのをかろうじて堪えた。
「ん? …イチャイチャパラダイスに、そういうの書いてあったんだけどなー…普通、言うものじゃないんですか?」
首を可愛らしく傾げるカカシに、イルカは何とか返事をする。
「…すいません、俺その本読んでいないんで…世間一般的な事なのかどーかは…」
「ふうん? イルカ先生、読んでないのかー…じゃ、例の返事は聞けないんだー」
イルカはがっかりした様子のカカシに、つい訊いてしまった。
「例の返事?」
カカシは悪戯っぽく笑った。
「教えたら、言ってくれる?」
「…はあ、何かそういう決まり事があるんなら、言ってもいいですが…あの、風呂かメシかを選ぶんじゃないんですか?」
チッチ、とカカシは指を振る。
「ダーメダメ、…あのね、新妻がそう訊いてきたら、ダンナさんはこう答えるんですよ」
「は?」
「…『食事もいいけど、君を食べたいな』って!」
イルカは今度こそ壁に懐いてしまった。
「カ…カカシ先生…」
「はい」
「……それ…仮に俺が知っていたとしても…言えると思うんですか…?」
カカシはふむ、と考え込んだ。
「…そっか…イルカせんせ、そーゆーキャラじゃないかー…」
「恥ずかしいですよ、そんなの…」
カカシは食い下がる。
「言い回しを変えれば、言えるのでは!」
「すいませんが、せっかく作って下さったのなら、飯を食いたいです…腹減ってて俺…」
チッとカカシは舌打ちした。
「わーかりました。じゃ、手を洗って着替えて来て下さい。味噌汁温めておきますから」
「すみません、そんな事までして頂いて…」
「いいですよ。いつもこういう事、イルカにしてもらっているから、お返しです。…ねー、それよりもっと可愛いエプロンないんですかー?」
カカシはセーターの上からイルカのエプロンをしていたが、それはまるで日曜大工用のような色気の無さで、おまけに今のカカシには大きすぎた。
それもイルカの眼には可愛らしく映っていたのだが、カカシは少し不満げだ。
「エプロン…ですか。お袋が昔着ていた割烹着なら…押入れのどこかにあるかもしれませんが、貴方には似合わないでしょうし…」
「うー、残念。イルカのこれ、大きいからシリの方まで全部隠れちゃってまるでスカートみたいなんですもん」
確かに、見れば胴回りも余っていて、ジャンバースカート状態だった。
だが、本来の役割はしっかり果たしているようにイルカには見える。
「……それで何か不都合でも……?」
カカシはスパッとまたイルカが壁に頭をぶつけそうな返事をした。
「これで裸エプロンしたって全然色っぽくないでしょー」
「しなくていいですっっ!」
「新婚さんの定番じゃないのかなあ…」
「貴方ね、面白おかしく誇張されているような小説をマニュアルにするのやめて下さいよー…たぶん、それって普通はしないんじゃないかと思いますよ…?」
カカシが面白がって『新婚さんごっこ』をしているのはわかったが、イルカにはついていけない。
朴念仁のイルカでも、『裸エプロン』がどういうものかという知識くらいある。
今のカカシ―――この、Dカップ以上ありそうな胸に細くくびれたウエスト、形のいいヒップラインの妖艶な美女が、全裸の上にエプロンだけをつけた姿など…想像しただけで動悸がしてしまう。
「そっかー、普通しないのかー…残念。イルカせんせーに喜んでもらおうと思ったんだけどなー」
「ご飯作って下さっただけで、充分喜んでますよ? 俺」
美女は振り返って、花がほころんだような笑顔になった。
「本当?」
イルカは真面目な顔で頷いた。
「帰ってきたら家に明かりがついてて、出迎えてくれたのが貴方で、おまけに夕飯のいい匂いまでしていたんです…俺、何だかすごく嬉しかったです」
カカシの演じた新婚さんごっこは、それがただのごっこ遊びでもイルカにとってはある意味ずっと憧れていた夢でもあった。
迎えてくれる愛しい人、暖かい部屋の空気。
でも今のそれはあくまでも「ごっこ」で、泡沫の夢だ。
イルカは、その儚い『幸せな夢』の切なさにしんみりとしてしまった。
そのイルカの「しんみり」した胸中が伝わっているのかいないのか、上忍カカシの演じる美女は、無邪気に笑って恐ろしい事を口にする。
「じゃ、もしも三代目が出先で客死とかなさったら、イルカ先生、オレを嫁にもらってくださいねー。今火影様死んだら、オレたぶん一生変化解けませんもん」
「え、縁起でもないこと言わないで下さい―――――っ」
「だって、術者が死んだら解けるって類の術じゃないですよ、コレ」
その時一瞬でもその『縁起でもない』出来事を期待した自分を恥じて、イルカは頭を壁にガンガン打ちつけた。
「な、何しているんですか、イルカ先生〜っ」
「大恩人の死を一瞬でも期待するようなバカは、これでも足りませんっ!」
「家が壊れますよ!」
「………」
確かに、額当てをつけたまま、しかも石頭のイルカが壁に頭突きを続けたら…壊れるのはイルカの頭ではなく、宿舎の方かもしれない。
恋人の冷静な状況判断に、イルカは泣き笑いの心境になる。
カカシはへたり込んだイルカの頭を抱いて、よしよし、と撫でてくれた。
「あーあ、もう…貴方って人は、本当にマジメなんだから…」
「だって…」
珍しくイルカが幼い口調で呟いた。
「だって…火影様は…親を亡くした俺に…よくして下さって……力になって下さって…恩人だし…何より、里の長で尊敬する方で…なのに…」
カカシの柔らかい胸に顔をうめたイルカは、はるか昔に母親に抱かれた記憶を呼び起こされていた。つい、甘えた口調になったのはその所為だ。
「ばかですねえ。…貴方は、火影様の死を望んだわけじゃない。……オレがこのまま、貴方の妻になったらいいなって、一瞬思っちゃっただけでしょ? ん?」
「………はい…」
もしも、もしも本当にカカシがもう一生男に戻れなかったら…それなら、『不可抗力』だから…世間さまに言い訳が立つ。
カカシと、結婚できる。
一生夫婦として共にいられる。
一瞬頭をかすめたその図式は、イルカにとって恐ろしいほどの誘惑だった。
「ま、あのジイ様は殺しても死にませんよ。…あまり、深刻にご自分を責めちゃアホらしいですよ?」
「はあ…」
カカシはイルカの額当てを取って、額にくちづけた。
「…二週間も女やってると、どうも思考回路まで女性っぽくなっちゃうみたいで……変な事言って、すいませんでした」
イルカは少しクラクラする頭を振って、苦笑した。
「俺も昨日まで女やってたんですけどね。二週間」
「んふふ。可愛かったですねえ、イルカちゃん。もー、おねーさん保護欲かきたてられちゃって」
「茶化さないでくださ…あ! 味噌汁…」
吹き零れる、とイルカが言わないうちにカカシはレンジの前にいて火を止めていた。
その目にも止まらぬ速さはさすが上忍である。
「あちち…セーフ! でも味噌汁ってこんな沸騰させたら味落ちちゃうかな…」
イルカはようやく、落ち着きを取り戻した。
「大丈夫ですよ。…それより、ヤケドしませんでしたか?」
「平気…」
イルカはカカシの背後に立ち、彼女の指を確かめるように手に取った。
男の時よりその指はほっそりとしていて、イルカの掌の中では頼りないほど華奢に見える。
イルカは思わずその指をそっと握って持ち上げ、唇に押し当てた。
「…今の貴方は、俺の保護欲をかきたてます……」
イルカの腕の中に簡単に収まってしまう、柔らかく細い身体。
男にとっては、充分彼女は『守りたい』と思わせる存在だった。
イルカは男に戻ってから初めて、『彼女』にキスした。
抱き締めて、その心地好さにかえって胸を刺される。
「―――でも、これは間違っていますね…そうでしょう…?」
カカシは白銀の長い睫毛を伏せた。
「……ですね……」
カカシはイルカの言わんとしている事を察し、笑って見せた。
「さ、お腹空いているんでしょ? 食べましょう」
そしてイルカから離れると、卓の上の布巾をとって、冷めちゃったかなー、などと独りごとを呟きながら振り返る。
「ねえ、イルカせんせ、電子レンジ買いません? 便利ですよお、あれ」
「…ああ、あれ…下手するとブレーカーが落ちるんでこの宿舎では使用禁止なんです」
カカシは眼を見開いた。
「…………何それ、ケチくさ…それ、文句言いましょうよー! あのジジイに言ってもラチ開かないな。…そだ! エビスだ! 今はジジイの孫のお守り役しかしてねーからヒマなはず! あれに厚生改善要求しましょう!」
「い…いやそんな…エビス先生は管轄が違うのでは……あ、そうそう、カカシ先生。火遁と風遁の合わせ技応用すると、おかずくらい温められるんですよーちょっと、チャクラの加減にコツがいりますが…」
ほら、こう…とやってみせるイルカに、カカシははしゃいで手を叩いた。
「すっごーい! すごいです、イルカ先生! 何て微妙なコントロールでしょう! すいません、便利なものに頼っちゃいけませんね。イルカ先生は日々、こうしたさりげない場面で修行しているんですねー…見習わなくっちゃ!」
「あ…いや…どっちかっつーと、苦肉の策ですけど…」
何となく、ようやく会話とムードが普段通りになってきて、イルカは胸をなでおろした。

―――よし! 我慢できる! カカシ先生が男に戻るまで、俺は耐えるぞ! 

そう、イルカはカカシが女性の間は手を出さない、と固く心に誓っていたのだ。
それは、彼なりのケジメだった。
問題は、カカシが過剰に誘惑してくる事。
いくらイルカでも、カカシに圧し掛かられては敵わない。
だから、先に釘を刺した。
それも聡いカカシの事、すぐに察したはずだった。
カカシは、本当にイルカが困る事は決してしない。
イルカが嫌がる素振りを見せても許容してしまう事と、そうでない事のラインをきちんと見極めて甘えてくる。
それは、もしかしたらイルカとの関係も一種の『ごっこ遊び』で――それがカカシのルールなのかもしれなかった。
おそろしく真剣で、本気の『ごっこ遊び』ではあったが。
「でも、これすごいですねー、カカシ先生、料理得意だったんですかー」
暖めた方が美味いだろうと思われる料理に術をかけながら、イルカは感心した。
「あ、それ…お恥ずかしいですが、少し出来合いも混ざってます。ひじき煮るのめんどくさくって。でも! このコロッケはオレが作りました! せっかくのオレの特技、生かさない手はありませんからね! 店のおばちゃんの動きをじっくりこの眼でコピーして、再現してみました!」
美女はハハハ、と胸を反らす。

―――写輪眼って…いったい……

チャクラを使って料理を暖めるイルカと、異能の写輪眼を使ってコロッケを作るカカシ。
考えてみればどちらもどちらだった。

ここでイルカはひとつ、気づかねばならない事があったのだが…チャクラのコントロールに気を取られていた彼は、それを見落としてしまった。
すなわち、カカシが夕飯の買い物に出た事。
惣菜屋でコロッケの出来る過程をじっくり観察してきた事。
そして、その買い物を持ってイルカの部屋を出たり入ったりしていた事。


次の日、謎の美女がイルカと同棲している―――という噂が飛び交って
いたのは当然の成り行きだった。

 



 

イチャパラってどんな本…?
少年誌でその内容を語れない18禁本。
…に、『新婚さんのお約束』は書かれているか…?(笑)

サスケが写輪眼でカンニング出来るんならきっとお料理だって写輪眼さえあれば…!
…反則技でしょうか?

まだカカシが男に戻っていないんで、この話続けようと思えば続くんですが…いったん、終わりv

01/2/18

 

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