師走忍者えれじぃ
3
急いで戻ったが、やはり行き帰りの行程も含めて任務に五日もかかってしまった。季節は ずれの豪雨で川が増水し、渡し舟が止まった所為だ。 「大晦日まで後二日かあ。…ギリギリセーフ? イルカ先生、遅いって怒ってるかな…」 舟を待っている間の時間を利用してさっさと書き上げていた報告書(他所のくノ一の任務 に手を出した事は当然伏せた)と問題の品を三代目に提出したところで今回の任務は完了 である。カカシはイルカの部屋を目指して夜道を駆けた。 (ん〜…イルカせんせ、もう寝てるよね〜…) 下から宿舎を見上げると、果たして彼の部屋に明かりはついていなかった。暗い部屋には 無用心な事にカーテンも引いていない。 ひょいひょいっと外壁を登り、ベランダから彼の部屋をそっと窺ってみる。 ヒクッとカカシは思わず息を呑んだ。人間の足(イルカの部屋なのだから当然彼のものだ ろう)が床に投げ出されているのが見えたのだ。寒々しくも裸足である。 ―――イルカが真っ暗な部屋で倒れている!! 「イイイイルカ先生〜ッ!!!!!」 カカシの頭に、最悪の事態が渦巻く。玄関に回るなどと悠長な事をしている余裕は当然無 く、力任せに窓をぶち破る。カカシが室内に(土足で)降り立った時には、部屋の住人は 既に跳ね起きて飛び退り、クナイを手に構えていた。 一瞬の緊張の後、ハデに窓を壊した侵入者がカカシだと気づいたイルカは、ホッと息を吐 いてクナイを下ろす。 「……カカシ先生? 何をやってるんですか。合鍵持っているでしょう、貴方。なくしち ゃったんですか? なくしたんなら玄関でチャイムを押しなさい。わざわざ窓壊して入っ てくる事無いでしょうに…」 カカシはへたっとその場に座り込んでしまった。 イルカは扉脇のスイッチを押した。パッと室内が明るくなる。 「ああ、どこに座っているんです。ケガするでしょう。ガラスが…」 「い…生きてた……………」 「は?」 カカシはガバッと身体を起こして、わめき始めた。 「アナタねっ! 寝るんならちゃんとベッドで寝なさいよ! せめてソファとか! 真っ 暗な部屋の中で床に転がってたりしたら誰だって驚くでしょうが! オレはアナタが死ん でるのかと思っちゃいましたよ! 寿命が縮みました!」 「あ」とイルカは気まずそうな声を上げて頭をかいた。 「……そっか…ああ、もう夜中ですね。俺、ちょっと休憩しようとひっくり返って、その ままうっかり眠っちまったんだ。いや、参りましたね」 いったい何時から『ちょっと』寝ていたのか。ハハハ、と力なく笑うその顔には、珍しく も無精ひげ。よく見れば髪はボサボサ、服はヨレヨレで、普段から最低限の身だしなみに は気をつけているはずのイルカらしくない格好だ。 「……なんか…オレよりもボロボロですね……どーしたんです? いったい」 「…え〜と、まあ色々ありまして……あ、そうだ。お帰りなさい。ご無事で何よりです」 「……はあ…ただいまです……」 思い出したようにお互いに挨拶などしてみるが、どうにもぎくしゃくしてしまう。 「と、とにかく…ええと、取りあえず雨戸を閉めましょうか。風が入ってきて寒いですし」 イルカは、カカシが力任せにぶち破った所為でガラスが粉々になって四散し、ひしゃげた 枠だけになった窓を外し、雨戸を閉めた。 落ち着いて部屋の様子を眺めれば、この寒いのにストーブもついていない。いくらイルカ が頑丈でも、よくも毛布もかけずに冷たい床などに寝ていられたものだ。下手をすれば二 度と目覚めなかったかもしれないではないか。自分の部屋の中で凍死なんて勘弁して欲し い。カカシはぶるっと震えた。 「何と言うか…その、緊急事態だと思い込んだとはいえ、窓を壊しちまってすみません… 明日、弁償します……」 カカシの破壊行動の原因を考えれば、イルカはもうガミガミと怒るわけにもいかない。 自分が迂闊にも床などで寝ていなければ、彼も窓を壊して飛び込むような真似はしなかっ たのだ。 イルカは取り繕うように笑ってみせる、 「ハハ、まあそんな事より。お疲れでしょう。…風呂、入りますか? すぐに湯を張りま す。お腹は?」 「ハラはね…何か飲み物でも貰えれば。…ね、イルカ先生も一緒に風呂入りましょう? ア ナタ、オレより身体が冷えている。そのままじゃ風邪ひきますよ。…オレより、アナタの 方がお疲れみたい」 イルカは逆らわなかった。素直にカカシに従い、一緒に風呂場に向かう。 以前の宿舎のものに比べたら1・5倍は広いだろう風呂場は、男二人で入ってもそう狭い 感じはしない。浴槽もまた然りで、思いきり脚を伸ばす事こそ出来なかったが、二人で一 緒に浸かるくらいは可能だった。 「カカシ先生」 「ん〜?」 イルカはカカシの腕を引っ張って自分の脚の間に引っ張りこみ、彼をぎゅう、と抱き締め た。熱いお湯にイルカの抱擁。冷えていた肌身に暖かさが染み渡るようで、カカシの身体 からふにゃ、と力が抜ける。 (う〜ン…幸せ〜…) イルカはカカシの肩に唇をあて、キスするでもなくじっとしている。カカシは少し顔を後 ろに向けてイルカを伺った。 「……イルカ先生? どうしたの?」 「あ…ああ何でも……暖かいっていいなあと…お湯が何とも気持ちよくて…何か単純にそ の幸福に浸ってました」 「それは激しく同感です。まあ、ゆっくり温まりましょ。アナタがオレより冷たいなんて 珍しいですもんねえ。…そうだ…ねえ、ぜひお聞きしたいんですがね。どうして床なんか で寝てたんです?」 イルカは微かに苦笑のような声をもらした。 「ええと、それはですね…あそこで寝入っちまったのは単に俺の迂闊だったんですが。… …あの、大雨が降ったのはご存じで?」 カカシは頷く。 「ええ。ソイツの所為でオレ、帰還が少なくとも一日は遅れたんですから。川で足止め喰 ってね。さすがのオレもちょっとあそこで無茶は出来なかったもので…あの雨、こっちで も降ったんだ。結構広域だったようですね…じゃあ、木ノ葉にも被害が?」 そう訊きながら、カカシにはもう何となく事の次第が見えてきていた。 アカデミー教師はバランスの取れた能力を持っている忍が多い。故に別名『何でも屋』だ。 特に子供達が休暇に入っている時期は、突発的な事故や災害が起きた場合一番に当てにさ れ、そして駆り出されてしまうのである。 「ご推察の通りです。脆くなった堤防が崩れましてね。あわや、家を押し流す大惨事にな るところで…土遁の術で何とかくい止めたんですが、川は増水する一方だし…中忍十人が かりで何とか水の勢いが治まるまで持たせたんですよ。…いやもう雨の中これ以上濡れよ うがないくらいズブ濡れで何時間印を組んでいたか……応援が来て土嚢で堤防を補強して くれたので、やっと解放されまして…俺みたいな体力バカでももう限界でしてね。体力気 力チャクラと三拍子揃って底をついて、この部屋に帰ってくるのが精一杯でした。…ああ、 風呂に入りたい…でもちょっとだけ休もう…と、床にゴロっとひっくり返ったのが悪かっ たんですねえ……そのまま、貴方に起こされるまで寝ちゃったってワケです」 はあ、とカカシは息をついた。殆ど想像通りの顛末である。 「…そりゃあ…災難でしたねえ。でも、アナタ達のおかげで、この年の瀬に家を流されて 路頭に迷う…などという不幸に遭わずに済んだ方がたくさんいるのでしょ。きっと感謝し ていますよ。…本当に、よく頑張りましたね。お疲れ様」 カカシは腕を後ろに回し、ヨシヨシ、とイルカの頭を撫でた。撫でてもらったイルカはク スクスとくすぐったそうに笑う。 「…ありがとうございます。幾つになってもホメられるってのは嬉しいもんなんですね」 「そりゃあね。マジ大変だった時は特にそうなんですよ〜。ねえ、じゃあオレもほめて? 某国忍泣かせの大名屋敷の深部に潜入してお仕事してきたんですよ。単独で」 おや、とイルカの表情が変わった。 「もしかしてあの有名なハリネズミ迷宮御殿?」 ぷくく、とカカシは笑った。あのくノ一、引退して正解だ。殆ど里外任務の無いイルカで も『忍者泣かせの大名屋敷』と聞いただけですぐにピンときたというのに。 「そう、それそれ。さっすがオレのイルカ先生! よくご存知で」 「…まあ、アレに泣かされたヤツは結構いるみたいですから。年々グレードアップしてい るようですし。ああ、そうだったんですか。それで単独……確かに、貴方ならお独りの方 が動きやすいでしょうね。…でも神経遣ったでしょう」 「ウン。『よく出来ました』?」 「はい。とてもよく出来ました」 「花マル?」 「そうですね」 二重丸、三重丸、オマケの花マル、と赤ペンで採点してある答案用紙をイルカの机で発見 してからのカカシの、小さなマイブーム。イルカはそのお遊びに乗って、カカシが花マル を要求するとその時に応じて色々な事をしてくれる。 それはデザートの苺を多めにくれたりとか、肩を揉んだりとか、他愛の無い事ばかりだっ たが、カカシはそれで満足するのだ。 今回の花マルは丁寧で甘いキスだった。カカシの頬や首筋、髪の生え際、肩から腕。優し く愛撫しながら、くちづける。 カカシも手をあげて、まだ剃っていないイルカの無精ひげの感触を悪戯に楽しんだ。 「面白いですか?」 「面白いですよ〜。オレのと感触違うから」 まあいいか、とイルカはカカシの好きにさせた。自分も好きに彼の身体に触っているのだ から。 「……イルカせんせ、キスして触りまくってる割りにムスコさん元気無いね」 イルカはムッとしたように唇を引き結んだが、横を向いて咳払いする。 「…あるわけないでしょ。ギリギリまでチャクラ使って精も根も尽き果てました。ちょっ と寝た程度じゃ回復しませんよ」 えええ〜? とカカシは声をあげた。 「んじゃ、今夜はえっちナシ?」 「……………………するつもりだったんですか、あんた」 長湯し過ぎるとかえって消耗する。 温まってホカホカになった二人は、お互いの今年最後の任務無地終了を祝してビールで乾 杯した。 「………はあ……今年も後二日かあ……早いものですねえ…」 色々とまだ疲労感が抜けないイルカは目がトロンとしている。カカシも同様で、ビールを 飲んだらしゃきっとするどころか俄かに睡魔が襲ってきていた。 「ま〜ね。嫌ですよねえ。大人になると一年が短くて。…ああ、大掃除しなきゃいけない んですよね…」 「……いけない、という事はないですけどね、カカシ先生。…した方がいいし、新年を清々 しく迎えたいという気持ちが年末大掃除なんですよ」 「ああ、そういう事……オレはまた、一年の無精を年の終わりにバタバタと清算する行事 なのかと…」 「……それもあります。…いや、ホントのところは大抵皆そんなものだと思います……」 「ま、二人でやればそれもまたヨシ、かな」 イルカは微笑った。 「ですね。……そうだ。正月、一緒に例の神社に行きましょう。無事に貴方を護ってくれ たお守りに感謝して、お返しに行かなきゃ……」 賽銭も奮発せねばなるまい。神様はちゃんと大晦日前に五体無事なカカシを還してくれた のだから。 「んで、またもらって来るんだよね。お守り」 「そういう事です」 ふわわ、とカカシはあくびする。 「あ〜疲れた…何かドッときたな〜…やあねえ、トシかしら…」 つられてイルカもあくびをし、にじんだ涙を指先でこすって生真面目に応える。 「遠くまで任務で出かけてきて、風呂にじっくり入ってビール飲んだら眠くなる。…当然 ですね。さあもう休みましょう」 「…うん」 ゴソゴソと二人でベッドにもぐりこみ、軽くキスして「おやすみなさい」を言い合う。 カカシはふと、天井裏で会った霧隠れのくノ一の事を思い出した。 (…あの姐さん、無事に帰れたかなあ……) 背後で騒ぎが起きた気配は無かったから、あれから彼女も無事に脱出出来たのだろう。 カカシは隣でもう寝息を立て始めた男を見た。 (イルカなら何て言うかな…) カカシがよその国のくノ一と行動を共にした挙句、任務に手を貸すような真似をしたと知 ったら。 (…案外、『結果オーライ』とか言うかも……) イルカは真面目で頑固者だが、融通がきかないバカではない。それが最善と判断してカカ シが取った行動ならば、そしてそれで問題が起きなかったのなら、善しとするだろう。も っとも、それでカカシが酷い怪我でもしていたら大目玉だろうが。 別れ間際の彼女の声がよみがえる。 ―――『貴方も、お幸せにね』 イルカの胸元にもぐり込むと、眠っているはずのイルカに引き寄せられ、しっかりと抱 き込まれてしまう。どうやら無意識の行動らしい。 カカシは目の前の襟もとに鼻先を突っ込んで、イルカの匂いを嗅いだ。香料を抑えた微か な石鹸の匂いに混じって、彼自身の肌の匂いがする。 ―――オレはもう充分幸せだよ、お姐さん… 新年まで後二日。明日は大掃除だ。 06/1/11〜14 |
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