この人は、わざと猫背で歩いている。 柔らかく目を細めて微笑い、少し背を丸め。 貴方のすっきりと背筋を伸ばした立ち姿はきれいです。 敵を見据える貴方の紅く鋭い眼はきれいです。 返り血を浴びてさえ、その姿は惚れ惚れするほどきれいです。 でも、貴方は俺にその姿を見せる事を好まない。 わざと猫背で歩き、笑ってみせる。 だから俺も、合わせて笑う。 ただ、それだけのこと。 ねこ背の人 「カカシ先生、背中」 「あ」 カカシは慌てて背筋を伸ばす。 同居同然に入り浸っているイルカの部屋。 食後のお茶を飲みながら、つい前屈みで新聞を読んでいたところを目敏くキッチンのイル カに見つけられてしまったカカシだ。 「背中が丸いと、早く老けますよ。体全体に悪影響が……」 「またオフの平日に奥様向けの情報番組見てたんでしょう、イルカ先生。…大好きなんだ からああいうの」 イルカは一瞬言葉に詰まったが、それがどうしたと居直る。 「ええ。情報源として侮れませんからね。別に嘘を放送しているわけじゃないですから。 多少の誇張を見抜けるかどうかは、見る側の問題です」 カカシはマグカップを口に運んで唇の端を上げた。 「大げさな部分があるってのをご承知の上なら結構」 「そりゃあ…女性にとってスタイルや体重が重要問題なのは理解できますが、何かを飲ん だだけでぽっこりしたお腹が二週間でホラこの通り〜って…あれはちょっと誇張し過ぎで しょう。腹なんぞ、腹筋に力を入れただけで数センチ引っ込むのは当然ですから。腹が出 ている状態も、あれワザと悪い姿勢で腹を突き出して撮ってますね。効き目があるのは本 当でも、効果の程はマユツバでしょ。……と思う程度には大げさだと承知しています」 「…ああ、あの使用前使用後みたいなのね……確かに…」 「でも、姿勢が悪いと内臓や骨格に影響が出るのは確かですよ、カカシ上忍」 「う…」 イルカはカカシの背を撫でて微笑む。 「別に俺は貴方の目線の方が多少上でも気にしませんから。ちゃんと伸ばしなさい」 カカシは思わず茶を噴き出しそうになった。 「……や、オレはね…別に…オレの方がちょこっと背が高いからとかそういうのは…その ……」 「それは俺の所為でも貴方の所為でもない事です。体重は自分でコントロールできますが、 身長は…ちょっとやそっとの努力ではどうにもならないし」 少しむくれたように返すイルカの声に、カカシは内心苦笑する。やはり、カカシより数セ ンチ背が低い事を彼は気にしていたのだろう。 「イルカ先生だって、結構高い方でしょ。…それとも何? アスマやイビキみたいなのが いいんですか?」 「………別に…アスマ先生に言わせりゃ、忍がでかくて目立ってどーする、だそうですか ら。体格のいい方にはそれなりにお悩みもあるようですよ」 カカシは真面目な顔で頷いた。 「言えてます。隠密行動には不向きなガタイです。あのクマは」 「でもアスマ先生は普段ワザと背を丸めてご自分を小さく見せようなんてなさいませんよ。 そこは見習ってください」 ぷう、とカカシは脹れてみせる。 「あんまり言われると逆に猫背になっちゃいます。オレ、天邪鬼体質だから」 イルカは苦笑した。 「そうですか? でも、背筋伸ばして仕事なさっている時のカカシ先生はとてもカッコイ イんですけどねえ…残念です」 ピクッとカカシの肩が動いた。 「……カッコよくないオレは嫌?」 「いや、オレは猫背の貴方もしゃっきりした貴方も好きですが。…でも俺がうるさく姿勢 について注意するのは、さっきも言ったとおり身体に悪いからですよ?」 う〜ん、とカカシは唸った。 「でも〜…何だかクセになってるみたいで」 カカシはうんと背中を丸めてからぱっと手を前に伸ばした。まるで、猫が狙った獲物に飛 びかかる時の仕草。 その様子を見たイルカは、唐突に「ああ」と思う。 本当に、そうなのかもしれない。 だらしなく背を丸めているようで、カカシはそうして普段は力を溜めているのかもしれな い。 ―――…戦う時の為に。 「…クセ、か。そうみたいですねえ…」 イルカの手はずっとカカシの背を撫でていた。 「……それ、気持ちいいです…イルカ先生」 「ちょっと凝ってるかな? よし、久し振りにいっちょ揉んであげましょう」 「ホントー? 嬉しいな〜イルカ先生、マッサージも上手いから〜」 ほい、とカカシを畳の上に転がして腰の辺りにまたがりながらイルカが首を傾げた。 「…も?」 にへ、とカカシが口を緩めた。 「えっちも上手いけど」 「…………そりゃどーも。褒めて頂いた御礼に念入りにマッサージして差し上げましょう」 イルカは体の向きを変え、カカシの足をつかんだ。 カカシがぎくっと反応する。 「ちょ…っ…それ、それはいいです……っ…待っ…うわおあああっ…っ!」 イルカが押しているのは足の裏のツボだった。 「痛いですか〜? 少し胃がお疲れ気味のようですねえ。ココは?」 「……痛い痛い痛いっ! やめっ…痛いですせんせー!」 「ん〜、肝臓もちょっと弱ってるなあ……ほい次」 「ギャ―――ッ! ひとでなしいぃい〜〜〜っ!」 痛みには強いはずのカカシがひとしきり喚き、ぜえぜえ言っているその上でイルカがもう 一度向きを変え、今度こそ背中と腰をゆっくり擦り始めた。 首筋から筋に沿ってほぐし、腕の方まで指を滑らせる。 「……ア…はあ……ソレいい…あン…」 「変な声出さない」 「だって気持ちいいんですよう…」 「…アレの時はそんな声出さないクセに」 「だって恥ずかしいじゃないですか」 イルカは「さよか」と呟いて背中に置いていた手をカカシの尻に移動させて思いっきり揉 んだ。 「ひぃえっ! 何するんですかあっ! イルカせんせーのスケベ!」 「何って…マッサージですよ。ここね、結構凝るんです。ほぐすと楽になりますよ」 「あううう〜…」 「信じてませんね? 本当ですって」 「ダメダメ、やめいっ! マジ駄目っ! イルカせんせーにシリ揉まれたらオレ感じちゃ うからっ! 条件反射で」 どこか余裕をなくしたカカシの声に、イルカは苦笑を浮かべて手を背中に移動させてやっ た。ふう、とカカシが安堵の息を吐く。 「冗談抜きで。腰から大臀筋、大腿をほぐすと背中も肩も楽になると思うんですがねえ…」 「…わかるんですが。それでも…その…ダメっす。…ムズムズドクドクしちゃう。…今は 純粋にリラックスな快楽っつーか。えっちじゃない気持ちいい〜が欲しくて」 イルカは笑った。 「よくわかりました。では、気持ちいい〜をあげますね」 イルカの手で触られるのなら、軽く指を握られても『気持ちいい』カカシだったが、本格 的に施される彼のマッサージは『極楽』の一言だった。 「うはあ…至福……」 「だいぶお疲れですねえ、カカシ先生」 イルカは手を重ね、カカシの背骨を圧迫した。 「よいしょ」 ぼき。 その音にカカシの顔が引き攣る。 「…………折れた?」 「まさか」 「でも、今すごい音が……」 「少しズレてたんじゃないかと。だから姿勢は正しくしなさいと言ったんです。知らず知 らず、骨格歪みますよ」 「あうう…」 俄か整体師にあっちこっちゴキゴキボキボキ言わされ、ほぐされ、終わった時はすっかり タコのようになってしまったカカシだった。 「はい、おしまい。…楽になりました?」 「気持ちいいのと痛かったのを天秤にかけると気持ちいいが勝ちました。…ありがとうご ざいました…」 カカシは起き上がり、中忍に向かってぺこんと頭を下げる。そしてまた背が丸くなってい るのに自分で気づき、慌てて伸ばした。 その様子を見てイルカが苦笑し、よしよし、とその背を撫でた。 「どういたしまして。…急に無理しなくてもいいですよ。歩く時、なるべく気をつければ。 …歪んできたら、また俺が直してあげます。ボキっと」 「や…その…イルカ先生のマッサージはマジ気持ちいいので大歓迎なんですが…足の裏と ボキっはあんまり……」 ははは、とイルカは声を上げて笑った。 「じゃあ、今度の貴方のお誕生日、マッサージ券あげましょう。一回15分のを10枚綴 りで。お好きなところをマッサージしてあげますよ」 子供が親に贈る『肩たたき券』と同レベルのプレゼントだったが、中身のレベルは全然違 う。カカシは「本当?」と喜んだ。 「そいつは嬉しいなあ……好きな時に頼めるなんて」 本当なら、カカシの身体をほぐすマッサージくらいいつでも条件無しでしてやれるイルカ だったが、案外こういう遊びを彼が喜ぶ事も知っている。せいぜい本格的なミシン目入り の『マッサージ券』を作って驚かせてやろう。やるとなったら徹底的に凝るのもイルカの 性分である。 「ねえ、イルカ先生」 「はい」 カカシの目が悪戯っぽく輝いている。 「…今度はオレがしてあげる。…マッサージ」 「あ、そりゃすいません…って、コラそっちですかっ」 さっさと下ろされたズボンのジッパーにイルカが慌てると、カカシはおかしそうに笑った。 「いーじゃないですか。さっき散々シリ揉んでくれたお返しでっす」 「かなわないな、もう……」 この人は、わざと猫背で歩いているのだろう。 柔らかく目を細めて微笑い、俺と目線の高さを合わせ。 そして少し背を丸めて、敵と戦う時の為に力を溜める。 でも、俺はそ知らぬ振りで彼の背中を撫でて注意をするのだ。 わざと猫背で歩き、笑ってみせる彼に。 だから俺も、合わせて笑う。 ただ、それだけのこと。
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はたけカカシBD記念SS。 04/9/15 |