平行線LOVERS
「…また……そんな仕事引き受けて来ちゃって…」 木ノ葉の誇るエリート上忍、写輪眼のカカシが恨めしそうな視線を投げつけてくるのを、木ノ葉の誇る忍術アカデミーの、ベテラン教師中忍イルカは苦笑と共に受け止めた。 「すみません。また変な仕事引き受けて来ちゃって」 場所はイルカの部屋。 イルカが以前の長屋のような古い宿舎から小奇麗な宿舎に引っ越してからは、カカシは前にも増して彼の部屋に入り浸っている。彼の部屋は同じ敷地内の同じ宿舎にあるのだが。 「べ〜つに? 仕事に貴賎はありませんからね。オレとしちゃあ、アナタが大名暗殺を引き受けて来ようが、ドブ掃除を引き受けて来ようが、チンドン屋の助っ人をしようが構わないんですが。………オレが言ってるのは時期です。ったくもー…わざわざ元旦から仕事入れる事ないでしょー?」 イルカは熱い玄米茶をカカシ専用マグカップに注ぎ、彼の目の前に置いた。 「う〜ん、でも正月やらなきゃ意味無いですからねえ…」 海苔せんべいの袋をべりり、と開けながらカカシが不貞腐れたように睨む。 「…せっかくオレがアナタと甘〜い正月を過ごそうと、スケジュール調整して年末までにぜーんぶお仕事片づけるべく頑張ったのに! そのオレの努力を何だと思ってんですか。…ったく、泣き落としに弱いんだから」 イルカの眉はますます困ったようにハの字になった。 「…それを言われると……勘弁して下さいよ。…お困りだったんです。依頼人の方」 「ソレさー、花火大会の時も言ってましたよね〜……」 ぱりん、とカカシはせんべいを齧る。 「………はあ」 「んでもって、皆が何だかんだと理由をつけて断ってしまったお仕事を、最終的にはイルカせんせが引き受けちゃう、と。……皆ねー、アンタっていう最終的な保険があるから平気で断るんですよ。自分が断ってもアイツがいるからたぶん大丈夫ってね」 全くもってその通りだとイルカも知っているので反論出来ない。 「―――お人好し」 「………すいません……」 実際のところ、全然悪くないのにひたすら謝り続けているイルカの姿にカカシはため息をつく。 カカシだとて分かってはいるのだ。 イルカが引き受けてしまった経緯も理解は出来るし、もう引き受けてしまった仕事は、カカシがどうゴネたところでなくなりはしない。 彼はただ、面白くなくて拗ねて見せているだけ。 「大晦日は、うんと美味しい年越し蕎麦を作りますから。除夜の鐘は一緒に聞いて下さい。ね、カカシ先生。他にも食べたい物があったら、用意しますオレ!」 カカシが食べたいと言ったら、季節はずれのスイカさえ野越え山越え調達しに行きそうな勢いのイルカに、カカシもようやく苦笑を浮かべた。 「ま、しょーがない。……そろそろ勘弁してあげます。あんまり苛めるのも可哀想ですしね。…まったく、損な性分してますよねー…オレの恋人は」 「カカシ先生……」 カカシは小さくチロリと赤い舌先をのぞかせる。 「……別にいいですよ、オレに気を遣わなくて。…ちょっと拗ねてみただけです。あんまりあっさりと『そうですか、じゃ頑張って下さいね』じゃオレらしくないし? アナタも肩すかしでしょ。オレがどれくらいヘソ曲げるか、覚悟の上で引き受けたんでしょー? でもま、面白くない事に変わりはないから、そこだけはアピールしておきたかっただけです」 イルカはがくりと肩を落とした。 こういう男を恋人にしてしまったのだから仕方ない。 いや、この場合、カカシが男で良かったのかもしれない。普通の女だったら、今のフォローは入れずに拗ねてみせて、とことんイルカに機嫌を取らせようとするだろう。 「それにしても……獅子舞とはねえ……アンタ、また職替えしろって言われますよ。もーマジに似合うんだもんなー…ああいうお祭り法被系の格好が」 クスクスとカカシは笑い出す。 「オレも見に行こう。……あ、いや…今度こそオレも手伝っちゃおうかな。お正月にイルカ先生いないんじゃつまらないしー…ねえ、いいでしょ?」 齧ったら分離してしまったせんべいと海苔をカカシは忌々しそうに睨む。 そして海苔を口に放り込むと、何か言おうと開きかけたイルカの口に残ったせんべいを押し込んでしまった。 「いいですよねー? ボランティアなんだから♪ ハイ、決まりー」 むぐむぐ、と大きなせんべいを何とか咀嚼してイルカが嚥下した時はもうそういう具合に事は決定していた。 「でも貴方、踊り方とか練習している暇は無いでしょう?」 イルカのセリフはカカシにハナで笑われた。 「オレは一回見るだけで充分です」 そうだった。 この上忍はそういう男だった。 初めて見る複雑な様式の作法だって、『視ながら』完璧に出来てしまうだろう。 どうせ、獅子舞は二人で一組。ならば組むのは気心が知れている人間の方が嬉しい。 「…………話……通しておきます………」 こういうかけ引きでイルカが勝てた試しはまず無い。 どうやら折れたイルカの様子に、カカシは心の中で満面の笑みを浮かべてガッツポーズを決めた。 ため息混じりに玄米茶をすするイルカに、そっとカカシは擦り寄り、わざと下から見上げてくる。 「………あきれた? 怒っちゃった…? ねえ、イルカ先生……」 イルカは擦り寄ってきた上忍を見下ろした。 「……いや…あきれると言うより…」 いつも強引に自分の望みを押し通すクセに、その強引さでイルカの機嫌を損ねる事は怖いらしいカカシの様子を、イルカは不思議な心地で眺める。 有無を言わさずイルカに命令出来る立場の男が、拗ねてゴネて甘えて見せて。そして不安そうな眼でこちらを見上げてくる不思議。 「……より…?」 ふ、とイルカの唇が緩んだ。 「……どうしてこんな人なのかなあ……」 カカシの眼が心持ち見開かれた。眼だけでなく、カカシの表情全体が不安そうになる。 「え……」 「面白い人ですよねぇ、貴方」 「……は?」 イルカは目を細めて微笑う。 その微笑に、カカシはますます不安そうに眉を寄せた。 そんな顔をさせたいのではない。 でも、カカシのそんな顔は逆にイルカを少し安心させる。 ―――まだ。 まだ、彼の関心は自分の上にある。 「キスしていいですか?」 「……は? え?」 きっと、相手の心が離れていく事が怖いのは、この人ではなく自分の方なのではないかとイルカは思う。 この人をずっと捕まえていたい――― 「しますよ」 カカシの返事を待たずに、男にしては細い顎をつかまえて唇をふさぐ。 「ん……」 緩んだ唇の間をぬって、カカシの柔らかい舌を舌先で軽く突くとイルカは唇を離した。 唐突なキスにカカシはきょとんとしている。 「…これって、怒ってないって事…?」 イルカは変わらず微笑んでいて、カカシには彼の真意がよくわからない。 「誰も怒ってなんかいませんよ」 もう一度、軽くついばむようなキス。 「……………」 カカシの表情が微妙に変化し、瞳に悪戯っぽい色が宿る。 「なら、もっとちゃんとしてくれません?」 「まだ陽は沈んでいませんが」 「イルカせんせのスケベー。もっとちゃんとキスしてって言っただけでしょ」 イルカの膝に無理やり乗っかりながらカカシは笑う。 「……いや……もっとちゃんとキスしたら、きっとそのままなだれ込んじゃいそーな気がするんですよね」 ポリ、と鼻の脇を指先で掻きながらイルカは苦笑した。 「やーだな。オレってばそんな……」 カカシの言葉を途中で遮り、イルカは首を振った。 「いや、貴方じゃなくて俺が」 はい? とカカシの笑顔が凍る。 「……こんな昼間から?」 「ええまあ……だから、ヤバいでしょ?」 カカシは数秒宙を見つめて思考した。 ―――保守的で生真面目なイルカが陽も暮れぬうちから自分を欲しがる。それはつまり… カカシはにんまりと微笑み、人差し指でイルカの唇をなぞる。 「じゃ、ヤバい気持ちになって下さいな」 「カカシせんせ…よろしいんで?」 「だって、今やっときゃ夜眠る時間が増えますよ?」 夜は夜でその気になるかもしれないんだがなあ……と瞬間思ったイルカだったが、カカシはもうイルカの首筋やら髪の生え際にちょっかいを出してきていたので、もう黙ってカカシのシャツの裾に手を突っ込む。 これでいいのだ。 カカシが不安にならないで済むのなら、自分の多少のモラルなど蹴飛ばしてみせる。 自分がきちんと応えていれば、少なくともカカシは無用のマイナス思考に陥る事は無い。 無い―――はずだ。 「…イルカ先生……」 「はい…」 キスの合間に途切れ途切れの会話を交わす。 「……ごめんね……」 一瞬、イルカの手が止まる。 が、すぐにカカシの感じやすい肌の上を長い指が這っていった。 「…何のことでしょう……」 耳元で囁かれ、息を吸い込んだカカシがきゅうっとイルカの首にしがみつく。 イルカはカカシの膝裏をすくい、抱き上げた。 そのまま、寝室に向かって歩き出す。 「どうせなら、こんな硬い木の床じゃなくってあっちでしましょう?」 全部バレているのか、それともカマをかけられているのか。イルカは複雑な気持ちでカカシの身体を運ぶ。 と、それなりの重量を伴なった青年の身体がふっと軽くなる。ああ、体重を消してくれたのだとイルカは済まなそうな笑みを浮かべた。 一見、考え無しに我がままをぶつけ、甘えてくるようでいつもこの人はこうなのだ。 恋愛は勝ち負けではないかもしれないが、いつもイルカはカカシに負けているような気がしてならない。 勝てないが―――それでいいのだとも思う。 「カカシ…先生……」 「ん……」 「本当に…すみません……正月に仕事なんか入れちまって……」 白い肌に赤い痕が浮き上がり、また一筋伝い落ちた汗がシーツに染み込んだ。 「…オレは…一緒にいられれば…いいんですよ……アナタとね」 ふ、とカカシが微笑った。 「…面白い体験ですよ。……頑張りましょ、獅子舞」 イルカも微笑み返す。 「……ええ」 カカシはふと思いついたらしく、イルカの眼を覗き込んだ。 「あ、そーだ。オレ、食べたいもの言っていいんでしたよね」 そう言えば、そんな事も言ってしまったような。 「………ええ」 先刻とは少しトーンの落ちたイルカの返事に、カカシは悪戯な笑みを浮かべた。
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お年賀SS。 04/1/1 |