究極の選択 − 1

 

人の気持ちを試してはいけない。
愛を試してみる事などしてはいけない。
してはいけないのだ。
絶対に。
だが。
人の心は目に見えぬもの故、恋に惑う哀れな者は時にその禁忌を犯す。

 
 
自分はイルカを愛している。
―――と、カカシは思う。
他人を愛している自分が好きなだけではないのか、とか彼といると心地がいいだけで、彼
自身を愛しているかどうかはわからないのではないか、などとたまに不毛な『自問』をし
てみるが、あいにく確たる『自答』は出ていない。
よくわからないのだ、そんな事。
イルカと一緒にいると心地いいから共にいたいというのは、結局自分の『心地よさ』を優
先しているだけではないかと言われればそうかもしれないと思う。
しかし、その心地よさは彼を好きだから発生しているもの。
だけど―――…
「…うは…いかんなあ…」
カカシは枕に突っ伏した。
どうもイルカが隣りにいない所為か、久々に『ヲトメな泥沼』に片足を突っ込んでいる。
「好きか嫌いかっていう話なら、好きなんだからいいじゃないか…」
なあカカシ、と自分に言い聞かせてみる。
「…………でも、イルカ先生はどれくらいオレの事好きなのかなあ…」
自分は、好物の秋刀魚の塩焼きと彼を比較した場合、迷いも無く彼を取るが。
彼だって一楽のラーメンとカカシを比較したらたぶんカカシを取ってくれる―――はずだ。
上忍はくだらない勝負に勝手に勝利し、唇をほんの少し緩めた。
イルカが聞いたらこの時点で深々とため息をつき、「人間と食い物を同レベルで比較しない
でください」とあきれてくれただろうに。
「でも、例えば究極の選択。…ナルトとオレが崖っぷちにぶら下がっていたとしたら……」
イルカ先生はナルトを助ける。
絶対に助ける。
何故かこればかりは自信を持ってそう断言できる。
「…いや、オレは崖にぶら下がってる状態なら自力で上がれるけどさ…」
この手の『究極の選択問題』はそういう可能性は考慮しないのが普通だ。
この場合、崖っぷちで手を取ってもらえなかった方は落ちるのである。
「…オレ、落ちるんだ………」
陰鬱な呟きを発したカカシは、また自ら泥沼に戻ってしまった。
アスマあたりが聞けば、「勝手に落ちていろ、アホウ」と即カカシを見放すであろう。
どうもいけない。
カカシは自分があせるのを感じた。
「ダメだ……この精神状態はいかん…」
どういうわけか軽い鬱状態に陥りつつある。気分が悪い。いたたまれない。
カカシはベッドの上に起き上がって座禅を組んでみた。
「精神統一! セルフコントロール!」
それが出来なきゃ忍じゃない。
だけど、ああ―――
「…イルカ先生も本当にオレが好きかなあ……」
明日は任務だ。
朝早いのだ。
「もう寝ろ、オレ……」



魔がさす、という言葉がある。
普段なら思いもつかない事をつい、してしまったり。
思いついても普通なら理性が働いて抑制出来ることが出来なかったり。
大抵が万引きやら浮気やらの言い訳である。
そう。
往々にして『魔がさして』しでかす事はロクなものではないのだ。
木ノ葉の上忍も例外ではなかった。
彼は、『してはいけない』事をしてしまう。
彼にもう一人の自分が、『普段のまともな自分』がいたならば。
「やめておけ」と止めてくれたかもしれないが。
あいにく影分身はあくまでも分身なので、自制の役には立たなかった。

任務で大怪我を負った振りをする。
もう余命幾ばくも無い不治の病にかかった振りをする。
「…ダメかなあ…怪我も病気もそこまでヒドイとなると医療棟の管轄だしな。…第一、イ
ルカ先生怪我も病気もある程度診断出来ちゃうし。嘘だってす〜ぐバレるよねえ……」
何と言うか、上忍ともあろう者が仮病を使って恋人の気を引こうというあたりが既にかな
りの低レベルで情けない。転んだ時に大袈裟に泣き喚いて母親の気を引こうとする子供と
大差ない発想である。
「……こーなったら………!」
仮病よりももっとタチの悪いひっかけを思いついた時点で我に返っていれば、その後の地
獄はなかったものを。
可愛らしい仮病程度ならば、かの恋人も笑って許してくれただろうに。

上忍はたけカカシ、恋人の『地雷』を失念していたのは真に不幸な事であった―――






 
任務に出たカカシが、一人行方不明になった。
なかなか帰還しない彼に周囲は気をもんだ。イルカに到っては、心配で夜も眠れぬ、メシ
も咽喉を通らぬといった有様であった。
いなくなったのがごく普通の忍ならともかく、彼は写輪眼のカカシ。血継限界の産物であ
る『眼』を持った忍である。遺体ですらよその里にくれてやるわけにはいかなかったので。
火影の命を受けた暗部が密かに捜索し、そして冷たくなった彼を回収して戻ってきた。
イルカの衝撃たるや、大変なものだった。
覚悟していたとはいえ、茫然自失状態である。
傍目にはそこまでひどく落ち込んでいるようには見えなかったし、立ち居振舞いも気丈に
も普段通りであったが、実は後追いしかねない程の精神状態まで彼は追い込まれていた。
だから、カカシが仮死状態だったこと。
息を吹き返したと知った彼は、思わず腰がくだけて座り込んでしまった。
嘘偽り無く全身全霊で彼を生かしてくれた全てのものに感謝したのだ。

それが。

実はすべてカカシの策略だったと知った時、彼は怒った。
地雷でなければ逆鱗。
人間、どんなに温厚な性格の人でも「これだけは許せない」「そこまで行ったら洒落になら
ない」と怒りだすボーダーラインが存在するものだ。
何でもかんでも許容出来るものではない。
うみのイルカ氏の場合、それは『人の生死』である。
常に生き死にの忍者家業、そういう事柄に関しては麻痺していると思われがちであるが、
早くに目の前で父母に死に別れたイルカには『死』というものは厳格な存在だった。
決して、弄ぶべき対象ではない。
悪戯小僧だった少年時代でも、仲間が人の死について茶化したり、バカにするような言動
を取ったりすると不愉快でたまらなかった。度を越した悪ふざけをした級友を無言で殴り
飛ばした事もある。
故に。
その『死』を偽装してくれた恋人を彼はおいそれと赦すわけにはいかなかったのだ。
文字通り怒髪天。
嵐のような憤りの後、イルカの怒りは冷たく頑ななものになっていた。
いくら恋人でも。
あれだけ喪失を嘆いた相手であっても。
絶望が深かった分、彼がしでかした『冗談』は彼の中で赦せないものになってしまったの
だ。洒落にならないどころの騒ぎではない。
もちろん、死亡・蘇生事件がカカシの狂言だった事はイルカしか知らない。
火影に知られたらカカシは即、謹慎もしくは左遷だろう。
カカシの愚かな振る舞いの理由を知ったイルカは、あまりの情けなさにかえって真相を奏
上出来なかった。
そのイルカも、そういう行いに到ったカカシの心理状態については憶測するしかなく。
憶測出来たところで共感出来るはずもなく。
ただ彼は深いため息をついて『絶交』した。
それくらいのお仕置きはしないと、かえってカカシの為にならない。
自身の怒りも、冷却期間をおかねば妙なしこりとなって残るかもしれなかったから。
そしてその絶交はもう一ヶ月になろうとしていた。




一方、冷静になった―――いや、ようやく我に返ったカカシは、猛烈に反省していた。
「……オレのバカバカ〜…何で…っ! あんなアホな事したんだ……」
それはその当時、思いつめてしまってある意味切羽詰った精神状態だったからであるが。
「そうだよ! イルカ先生、死にネタ嫌いだのに〜! オレ、そんな事知ってたのに!」
オフに四六時中一緒にいれば、嫌でも分かる。
テレビを見ている時の反応だけで、大体の相手の趣味、興味の方向、そして禁忌も分かる
ものである。ましてやカカシは忍。イルカのそうした反応は見逃さない。
カカシは、知っていた。
知っていたのに、その地雷を自ら踏んだ。
「………だって……オレ、知りたかったんだよ……イルカ先生、オレがいなくなったら悲
しんでくれるか…どんな顔…するのか……」
言葉の上だけの問答ではわからないではないか。
「オレが死んだら悲しいか」と問えば、彼は先ず不機嫌そうな顔になり、次いで肯定する
だろう。そして、「変な事を訊かないで下さい」と悲しげな顔になる。
だが、本当にそうなった時―――どういう顔をするのかは、実際カカシが死んだとイルカ
が思ってくれないとわからない。
だから、やってみた。バカを通り越した行為だったが、やってみた。
結果、カカシがそうあって欲しかった通りの反応をイルカは見せたのである。
カカシの身を案じて憔悴し、死を知って深い悲しみにとらわれて。
あからさまに泣き叫ぶよりも静かに耐えるその様子に、いかに彼の絶望が深いかが伺えた。
そこまで愛されていたという事に、カカシは満足し、そして安堵した。
ただし、一瞬だけの幸福だった。

イルカは、口を利かないどころか、目も合わさない。
彼の家に上がって食事をするとか、ベッドを共にするとかいう幸せな日常は言わずもがな
で、今となっては遠い夢である。
つくづくバカをやったものだ。
覆水盆に反らずとはよく言った。
自分がここまでバカだったとは。
死んだフリをして彼の自分に対する愛情を量ろうとしたカカシを、その愚かな行為をイル
カは赦してくれなかった。
もう、赦してはもらえないかもしれない。
もう絶望のあまりそれこそロープを持って枝振りのいい木を探してしまいかねない程落ち
込んだカカシだった。
だが、自殺はいけない。
そんな事したら、イルカが何と思うか。
命を粗末にしたと怒り、悲しみ、そして―――カカシをそこに追いやった自分を責め、傷
つく。
「…死んでお詫びも出来ないし……どうしたら赦してくれるかな…」
出来る事なら逃げだしたかった。合わす顔が無いし、イルカの眼にまだ怒りが存在するの
を見るのも怖い。
しかし、ここで逃げ出したらもう二度とイルカの笑顔を見られないのではなかろうか。
「嫌だぁっ! それだけは嫌だあああっ!!」
せっかく、せっかく手に入れたのに。
自分だけに向けられる優しい笑顔と、暖かい手を。
ここ一ヶ月手をこまねき、ただ頭をかきむしっていただけのカカシ。
自責と自己嫌悪にまみれた彼は、やおらしゃっきりと顔を上げて拳を握り、立ち上がった。
「………嫌だ。このままは嫌だ。…取り戻す。…何をしてでも取り戻す」
もう究極のバカをやったのだから、この際バカが幾つか増えた所で構うものか。自分は愚
かなのだから、今更小利口に振舞っても仕方ない―――カカシは薄っすらと笑った。
イルカの為に、どこまでも愚かになれる自分は嫌いではない。
とんだ所で自分の『イルカへの愛』も再認識出来てしまったカカシだった。

 

 



 

33333HITリクエスト 智衣様
「カカシがイルカ先生を怒らせて、ご機嫌を取ろうと奔走する話」

すっごい時間掛かっちゃって申し訳ありませんでした。
もう智衣様がこのサイトを見に来てくださっているかどーかも
わからない程前に頂いたリクです・・・TT
途中までは書いてたんですが、カカシが奔走しなければならない
程イルカが怒る事って・・・って・・・やっぱ、あれかなって。
イルカ一筋のカカシが浮気もしないだろーし、カカシが浮気したと
しても、イルカはそこまで怒らんような気も。(悲しむだろうけど)
で、狂言死なんですが、カカシってそんなコトやるほどバカかな?
とそこで引っかかって・・・
でもまあ、『魔がさした』ってことで何とか書き進めました。(笑)

さあ、頑張れカカシ!

 

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