恋人たちの正しい(?)午後の過ごし方

※ 『天よりきたるもの』後日談

 

アカデミーが休校になった。
理由は、子供達の間でウイルス性の胃腸炎が流行ってしまった所為だった。
感染の拡大を防ぐための処置だ。
教師ら大人は、たまたま体調のすぐれなかった不運な者を除いて無事だったが、やはり校舎への出入りは禁じられている。
ならば、当分受付所の仕事が主になると思っていたイルカだったが、三代目はきっちりと他の任務を用意してくれた。
授業があるから、という逃げ道は無い。
気の進まない任務だったが、イルカは承知せざるを得なかったのである。


 

「………変化」
印を結び、変化する。
洗面所の鏡に映った自分の姿を確認して、イルカは「よし」と呟いた。と、自分の後ろに立っている人影に気づいて、慌てて振り返る。
「き、来てたんですかっ! カカシ先生」
「ん〜、イルカせんせ、受付所にいなかったからさぁ、訊いたらもう今日は午前で帰ったって言うじゃない? よもやガキどもから病気もらって具合でも悪いのかと、心配して来てみれば………何やってんです」
マズイ所を見られた。
イルカは、可愛らしい女の子の姿で視線を泳がせる。
「………えーと、変化の術をちょっと………」
「ンなもん、見りゃわかります。………一応お伺いしますが、ナニユエにですか?」
「……………………………任務です。潜入任務で………」
カカシの眼が大きく見開かれた瞬間、イルカは反射的に両手で耳をふさいでいた。
その反応に、カカシはマスクの下で口をヒク、と引きつらせる。
「……何ですか、その『何を言っても聞きませんポーズ』は」
瞬間覚悟した『爆発』が起きないのに胸を撫で下ろしつつ、イルカはゆっくりと手を下ろした。
「すみません、つい」
「つい、何ですか」
「いえ、その…何を言っても聞きませんっていう意味合いで耳をふさいだワケじゃなくて…」
「なくて?」
イルカは申し訳なさそうにコリ、と頭をかいた。
「その…カカシ先生がお怒りになるのではないかと、つい身構えました。すみません」
悲しい中忍のサガでして、と気弱そうな微苦笑を浮かべつつ謝る恋人に、カカシは大きくため息をついて見せた。
「オレが怒って大声で怒鳴るとでも?」
「………じゃあ、怒ってないんですね?」
「怒ってませんよ。ええ、怒りはしませんとも。オレもアナタの立場はよっく理解しております。任務だって言われて、拒否できるわけ無いってことも」
でもね、とカカシは言い置いてから、すうぅっと息を吸い込んだ。
「え ―――――っ!」
イルカは思わず仰け反りかけた上半身を根性で止めた。
今の住まいが以前の宿舎に比べたら壁が厚く、この程度の音声ならば隣近所に響かないのは幸いである。
「…っていう不満と抗議の声くらいあげさせてくれたっていいと思います! またアナタに女装任務が入るなんてっ!」
「…………は………はあ」
イルカは曖昧に返事をしつつ、内心ため息をついた。
だから、カカシには黙って任務に就こうと思っていたのに。変化したところを見つかってしまったのは運が悪かった。
いくらカカシが『女体変化禁止!』と叫んだところで、そういう任務が入ったのだから仕方ない。
それにしても、とカカシはあごに指を当て、目を眇めた。
「………何故アナタなんです? 他のヤツでもいいじゃないですか」
イルカもそれには即答できなかった。やや考えてから答える。
「…………前にカカシ先生も仰ってたでしょう。…この手の色仕掛け任務をくノ一ばかりにやらせるのはセクハラだって、最近女性達が抗議していると」
カカシはキッと顔を上げた。
「ええ。…実際、色仕掛けっていうなら男の方が女よりも効果のツボを心得ているとも言えますが。自分自身が男ですからね。悲しいことに男の弱点がわかってますもんねえ。だから、男を女装させて潜入させるのは、効率がいいですよ。いざって時、本物の女性なら負うかもしれないリスクも負わないで済むし。…でも、イルカ先生だけが女体変化出来るってワケでもないでしょ!」
変化は忍術の中では基本の範疇だ。上手いヘタはあるにしろ、専売特許的なものではない。
「…それは……忍の任務の中でも裏側な仕事…と言っても難易度は中途半端で、適任者の範囲が狭いんですよ。上忍を派遣する程ではなし、下忍にはこの手の仕事はまだ早い。…となると中忍しかいないんですが、今動ける中忍の中で、俺が一番動かしやすかった。………のだと、思います。ちょうど、アカデミーも休校中で授業の心配は無いし」
イルカは苦笑を浮かべて肩を少し竦めた。
「一応、火影様直々の命令ですからね。………これは信頼して頂いているのだと、名誉に思うことにしますよ」
カカシは納得しかねるといった眼で、改めて『彼女』の姿を見て、ふと首を傾げた。
「………基本的に前の時と同じ感じの女の子だけど…少し年齢が違いますね。…二〜三歳ほど上?」
「ええ、十五、六じゃヤバイんで。二十歳前くらいのつもりです。実は、思いっきり前と違う感じの女の子にしようと思ったんですが………変化。火影様がこういう方がいいと仰るんですよね。要するに、ターゲットの好みがなんかこういう感じらしくて」
どーだか、とカカシは半眼になる。
「………ターゲットの、ねえ…………」
というより、三代目の好みじゃないのか? とカカシは心の中で突っ込んだ。
イルカはニコッと笑って、カカシを見上げた。
「もうよろしいでしょう? これ以上は、いくら貴方でも教えられませんよ。任務内容に関わってきますので」
「う………まあ、仕方ないですね」
さりげなく、潜入先についての情報も引き出そうと目論んでいたカカシだったが、さすがに中忍であるイルカのガードは堅い。任務に関する情報を聞きだすのはすぐに諦めて、肩を竦めるにとどめた。
「潜入と言っても、長期じゃないですから。…俺の腕と運次第ですけどね。早ければ三日とかからないでしょう」
そう言いながら、イルカは物入れの扉を開け、奥の方から小ぶりの箱を取り出した。
イルカが堂々とその蓋を開け、中を隠す様子も無いので、カカシは箱の中を覗き込む。
「………化粧道具? もしかして、お母さんの?」
「ええ。…俺には必要ないから…処分しようかとも思ったんですが、母が大事にしていた物かと思うと、捨てられなくて。つい、引越しの時も持ってきちまいましてね。…でも、役立ちそうです」
イルカはクスクスと笑った。
「……口紅だけなら、前の任務の時にカカシ先生が買ってくれたのがありますけど。今回はもう少しちゃんとした化粧をする必要があるんですよ」
そして白粉の容器をあけ、匂いを嗅ぐ。
「………白粉って、古くても大丈夫ですよねえ? 食うもんじゃなし」
「や、でも…………」
イルカの両親は例の九尾の災厄で亡くなった。あれからもう、十年以上だ。カカシは慌ててイルカを止める。
「ちょ…っ…やめましょうよ。何か体に悪そうな気がするんですが。いくらアナタの皮膚が丈夫でも」
母親の化粧道具を使うのは構わないが、粉や液体はあまり古いと色々と成分が変化してそうで怖い。くノ一の化粧品は、忍具と言っても過言ではないのだ。一般人の使用している物とは違うはず。皮膚に直接つける物だ。用心に越したことはないだろう。
その点にイルカも思い至ったらしく、「やっぱマズイか…」などとブツブツ呟きながら、残念そうに容器の蓋を閉めた。
「待っててください。オレ、ある程度なら持っていますから。取って来ます」
「カカシ先生が…?」
カカシはサッと赤くなった。
「任務で必要になる事があるだけです! 女装趣味があるわけじゃないですからね!」
「わ…わかってます。…貸して頂けるなら、ありがたいです」

 



 

「ところでイルカせんせ、お化粧の仕方は知ってるんですか?」
「………え? だって、顔全体に白粉塗って、口紅つけたら一応化粧はしたぞって顔になるんじゃないですか?」
それでは、子供が母親の化粧を真似して、チンドン屋のような顔になってしまうのと大差ない。
この間の神降ろしの儀式の時に何事も無く巫女役を務めていたら、きちんと化粧くらいしてもらっただろうが―――あいにく、イルカは化粧どころか正式な巫女の衣装もつける暇が無かった。もっとも、儀式用の化粧は普通のものとは違うので、参考にはならなかったかもしれないが。
「………アンタ、さっきターゲットの好みとか言いましたよね? つまり、色仕掛けすんでしょ? きちんと化粧して綺麗に化けて男を手玉に取って、さっさと任務を遂行して戻ってらっしゃい! ああもう、ちょっとやってあげますから、大人しくする!」
「え………あ、はい、じゃあ………お願いします………」
カカシはイルカを食堂の椅子に座らせた。
テーブルの上に並べられた化粧品を見て、イルカが目を丸くする。
「………こんなに、何に使うんです?」
「オレも最初はそう思いましたが。…化粧なら紅かな〜、と思って、化粧品一式用意してくれって頼んだら、こーなりました。…でもね、使用方法も教わったら、この殆どをちゃんと使うんですよ。…さ、顔を上げて」
カカシは丁寧に下地クリームから塗り始めた。
「…時間は大丈夫ですか? イルカ先生」
「はい。まだ時間はあります。…今は化粧の練習をしておこうと思って、変化しただけで。………出掛けるのは夜です」
「……夜、オレに黙ってコッソリ行くつもりだったんでしょ」
と、言いながら、カカシは時計を見た。二時半。それならば、まだ十分時間はある。
「う…すみません。だってこの間、女体変化禁止! とか言ってらしたでしょ。…任務とはいえ、気を悪くされるのがわかっていたから…言いにくくて」
「ま…ね。………考えてみりゃ、アンタが女体変化なんて、任務以外にそうそうやるわけないんですから、禁止なんて言っても無意味なんですよね………」
カカシは、紅に教わった事を思い出しながら、手早くイルカの顔に化粧を施していった。
「軽く眼を閉じて、先生。………アイシャドウは薄目がいいですね。マスカラはやめておくかな…色合わんし………」
大人しくされるがままになっていたイルカがポツンと呟く。
「………任務じゃなくても…カカシ先生の為なら変化してもいいんですけどね。…前、夏祭りに行った時みたいに」
あ、とカカシは思い出した。自分が思いつきで贈った女物の浴衣。イルカは格別嫌がりもせず、女の子に変化してそれを着てくれた。
「…そうでしたね。…オレ、いっつも我がままばかりアナタに言ってるね………」
いいんですよ、とイルカは微笑った。
「いつも言っているでしょう? 本当に嫌だったら、そう言うって。…そればかりはダメです。聞けません、と」
カカシが我がままを言わなくなったら、それはそれで寂しいに違いない。
「………うん、ありがと。………はい、仕上げです。唇を少し開けて………」
カカシは紅筆でイルカの唇に紅をひいた。
「出来ました。………綺麗ですよ。ほら」
イルカは鏡を覗き込む。
「おー、すごい。…化粧ってやっぱり意味があるんですねえ。何か、二割り増し美人っぽくなってる。…カカシ先生、凄いですね。さすが、器用だなあ。何しても食っていけますね」
「どーも。…ちゃんと覚えました? 潜入ってことは、何日か掛かるかもしれないんでしょ? 自分で出来ないとね」
「はい。一応手順は覚えました。……何か、妙な知識ばかり増えていくような気もしますが。………でも、忍者にとって、余計な知識なんてこの世に何一つ無いんですよね」
クスクス、とカカシは笑う。
「そうそう。じゃあ、クレンジングの仕方も覚えて下さいね」
「…くれんじんぐ?」
「よーするに、化粧を落とす事です。紅が言うには、化粧はするよりも綺麗に落とす方が肝心なんですってさ。…女の子のお肌的には」
カカシの指導に従って、イルカは今したばかりの化粧を落としていく。
「はい、そのクレンジング液を拭き取ったら、洗顔です。この石鹸をうんと泡立てて…そう、クリームみたいにね。それで二回は洗うものらしいですよ。泡をよく流したら、肌を整える化粧水に、乳液。それと、夜は寝る前に保湿クリームに美容液をつけること、だそうです」
「そ…っ…顔洗った後に、そんなにつけるんですか?」
「………う〜ん、要するに、そういうケアをしなきゃイカン程、化粧ってのは肌にストレスを与えるものってことじゃないですか?」
イルカは納得顔で唸った。
「………そうか。…俺、男に生まれて良かったです。女でいる間、朝の髭剃りしなくて済んで楽だったもんで、女の子は楽でいいなーとか思ってしまったんですが。…やっぱ、大変ですね」
「ちゃんとしようと思ったら、ですね。…男も女もそれぞれそれなりに大変なんでしょ」
イルカはペチャペチャと化粧水をつけながら頷いた。
「…そうですね」
カカシはその様子を見守りながら、ふっと笑う。
「………イルカせんせ」
「はい」
呼ばれて素直に自分の方へ向けたイルカの顔に、そっとカカシは手を添えた。
「………オレはやっぱり、素顔の方がいいな」
指をするりと滑らせてイルカの顎をとらえ、唇を重ねる。
ゆっくりとその、普段とは違う柔らかな唇の感触を楽しんでから。
唇を離したカカシはニッと笑った。
「…変化解いて、元の姿に戻ってくださいよ。………しばらく帰って来られないんでしょう? なら、健康な成人男子として、恋人とやっておくコトがあるでしょうが」
頬をほんのり赤く染めた美少女は、潤んだ目でカカシを睨むとスッと指をあげた。
ぽん、と一瞬で姿が変わる。
イルカは複雑な表情でカカシを一瞥した後、何も言わずに抱き寄せた。



後日。
イルカの潜入先が遊郭だと知ったカカシは、心配のあまり胃痙攣を患うのであるが。―――それはまた別の話である。
 

 



『天よりきたるもの』の後日談として、同人誌に書き下ろしたものです。
ちなみにカカシさんが胃痙攣を起こした話は、小ネタ劇場の『いけいれん』にて。

2008/5/26(初出/2007/8/18『天よりきたるもの』書き下ろし)

 

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