花も嵐も?! −4
イルカは、がばっと跳ね起きた。 シーツの一点を凝視している男に、五代目は声をかける。 「気分はどうだ? 眩暈とか、吐き気は無いか?」 「………ツナデ…様………」 イルカは周囲をゆっくりと見回し、さっきの音の正体を知った。枕元に大きな目覚まし 時計が置いてあったのだ。 「―――………最悪です」 「そうか? どういう風に」 「………答える前にお聞きしたいんですが、これは一体何の実験だったんですか?」 ツナデはパタパタ、と手にしたファイルでイルカを仰いだ。 「汗、かいてるな。悪い方にハマッたかな」 「………だから、何をなさったんですか。俺は確かに、新開発した薬品の試験に協力する とは言いましたが、無害だと仰っていたではありませんか」 ツナデは、後ろでカルテに記入していた紅を振り返った。 「設定が悪かったのかな?」 「…戦闘時に使う幻術とは違って、私の見せたい幻を見せるって術じゃないですからね。 ある程度の方向に誘導は出来ますけど。…性質は夢と同じですから。本人の体験や知識が 大きく作用するのだと思われます」 イルカに咎めるような眼を向けられた紅は、悪戯っ子のような顔で肩を竦めた。 「里を潤す為の、新しい商売の実験よ。…上手く行ったら、結構需要はあると思うのよね」 「………商売?」 「貴方の、見たい夢を見せましょう―――っての」 「は?」 ツナデはコホンと咳払いした。 「いい夢を見たら、起きた時に気分がいいだろう? こんな夢が見たい、あんな夢が見ら れたらいいのに。…そう思っている人間は多いはずだ。そこで、薬と幻術の合体技で、見 たい夢を見せる。…どうだ。ある程度の金なら、払ってでも見たいと思わないか? ほん の十分かそこらで、気分リフレッシュ出来るんだぞ」 イルカは半眼で女性達を睨んだ。 「………見たい夢、と仰いますが、俺は希望を聞いてもらっておりませんけど」 「だってまだ実験段階ですもの。今の所は、薬の作用がどの程度か、術でのコントロール がどの程度効くのか。被験者が、夢をどれくらいリアルなものとして感じたかを調べてい るの。…で、どうだった?」 紅に覗き込まれたイルカは、苦々しげな顔でため息をついた。 「…どういう方向に誘導なさったかは知りませんが、リアルという点では恐ろしくリアル でしたよ。…俺は、違う人生を歩んでしまった気分です。…夢なのに俺は相変わらずアカ デミーの教師だし、忙しいし」 あれ、と紅は首を傾げた。 「そーなの? おかしいなあ…夢でなきゃ絶対にありえないような、面白い体験が出来る はずなんだけど………ねえ、夢でもそのまま? 今のイルカ先生のままだった?」 イルカは答えにくそうにそっぽを向き、小さな声で呟いた。 「―――女でした。…俺」 「え? 女の子になってたの? うわ、そう来たか。あはは、イルカ先生、女に生まれて た方が楽そうとか、そんな事、考えた事ない?」 「………いいえ? 俺は今までそんな事、特に…」 「そう? 潜在的な願望とかが出るはずなんだけどなあ………ごめんね、ホラまだ実験段 階ってことで、カンベンして。そんなに酷い夢、見ちゃったの?」 イルカは首を振った。 「…………まあ、ある意味悪夢かもしれませんね」 「そこんとこ、詳しく」 カルテを構え、紅は身を乗り出した。 「………忘れました。夢ですから」 本当は、覚えていた。 リアルな夢。女である事が自然で、それに疑問も感じず、幼い頃からの記憶まであった。 おそらくは、自身の記憶が彼女に合う様に修正されたものだろう。 イルカは、ほんの短い時間でもう一人分の人生を体験していたのだ。 (…しかも、サイテーじゃねえか。女のクセに大雑把だし、洒落っ気もねえし。挙句に男 襲おうとか考えやがるし。………ああ、良かった。…カカシさん襲う前に眼が覚めて) 「ま、いいよ、紅。今の所は、催眠状態の時に薬の影響が身体に出るかどうかを確認でき ただけでも」 イルカは首を振った。 「………ツナデ様。俺はこのプロジェクト、あまり賛成出来ません。…リアル過ぎて、現 実に悪影響を及ぼす可能性があるかと。…ヘタをしたら、今の自分は本当じゃない。…夢 の自分が本当なのだと、そういう現実逃避に繋がります」 う〜む、とツナデは唸った。 「一理ある。まだ色々と問題点もあるな。あまりにリアルに感じるような夢はマズイ、と。 …あれだ。お菓子の国に迷い込んだ、とか、雲の上を散歩する、とか、遊園地的な夢なら いいかもな」 イルカはクスッと笑った。やはりツナデも女性だ。可愛いことを言う。 「…ですね。夢の中で、いい夢見ているなー、と思える程度ならいいかもしれません」 ツナデはパンパン、とイルカの肩を叩いた。 「…ともあれ、実験に協力してくれてありがとう。後で私の秘蔵の酒を一本やるからな」 テーブルの上にドンッと載っている一升瓶。 いつもようにイルカの家に帰宅したカカシは、見慣れない銘柄に興味を持った。 「ただいま〜。……イルカせんせ、どーしたんです?この酒」 「ああ、お帰りなさい。………それは、まあ…所謂、報酬ですね」 「報酬?」 イルカは苦笑交じりに、『実験』について大まかに説明した。 「―――と、いうわけです。ちょっと騙まし討ち的実験だったんで、悪いと思われたのか もしれませんね」 「で、この酒ですか。…ツナデ様秘蔵なら、もっといいのがありそうですけどねえ」 「…でも、一応高級酒ですよ。遠慮なく頂戴出来る程度の。………あまりにも高い酒だと、 後が怖いでしょう?」 う、とカカシは呻いた。 「そ、そうですね。………あ、ねえイルカ先生。それで、どんな夢を見られたんですか?」 夕飯の支度をしていたイルカの手が、ぴたっと止まった。 「………ロクな夢じゃなかったです」 「え? でも、見たい夢を見れるはずじゃ?」 「………実験前に趣旨を知らされず、見たい夢の希望も聞かれなかったんですよ?」 イルカの形相に、カカシは思わず引いた。 「そ…そうでしたか………酷いですね、五代目も」 「五代目は催眠導入及び、術の効果を補助する薬担当。夢の操作は、紅さんの術のようで したが」 「紅が……? …アレはイルカ先生に何を見せやがったんですか」 カカシの声が低くなったのに気づいて、イルカは慌ててフォローした。 「あ、いや、彼女もそこまで仔細に操作は出来なかったみたいで。俺が何を見たのかまで は詳しくわからなかったようですから………普通の攻撃用幻術とは違うって言ってました けど」 イタチの幻術『月読』で酷い目に遭った経験があるカカシは、ますます眉を顰めた。 「オレは、前にや〜な幻術くらいましてね。身動き出来ないように磔にされて、三日間も 刀で刺されまくったんですよね。幻術でも痛みは感じたし、術が解けてからも随分とダメ ージを引きずりましたよ。…現実では、一瞬のことでしたが」 手強い敵とやりあって、しばらく意識不明だった時の事だとイルカは気づいた。あの時 は仔細まで知らされなかったが、そんな幻術をかけられていたとは。 「………それは………よく、ご無事で………」 自分だったら、気が狂うかもしれない。イルカは想像してみて、思わず身震いした。 「オレ自身が幻術使いですから、何とかね。……いや、オレが言いたいのはね、幻術使い が仕掛ける『幻』ってのがどれだけリアルなものかは知っているってことです。………紅 は、結構高度な幻術を使える。………あれは、アナタにどんな悪夢を見せたんです」 いけない。 適当に誤魔化すつもりだったが、このままでは、カカシは彼女に何らかの報復をしかねな い。 イルカは首を振って見せた。 「リアル…はリアルだったんですけどね。…ちょっと言い難い内容で………あの、笑わな いでくださいよ? ………俺、夢の中で女の子だったんですよ」 「へ?」 イルカは苦笑した。 「凄かったですよ。…俺、夢の中では自分が女だってことに全く違和感がないんです。普 通に、女の子として暮らしていて、アカデミーで、くノ一クラスを教えてたりして。…… 女だって他は、あまり現実と差は無かったですね」 「………そ、そりゃ、凄い…夢でしたね。……でも、イルカ先生、女体変化すると可愛い じゃないですか。…モテまくっちゃったんじゃない?」 「…それがですね、今の俺をそのまま女にしたよーな感じで。女にしちゃ骨太で背はデカ イわ、この顔の傷はそのままだわ、ガサツだわで。…なんか、女の子になった意味ねーぞ、 みたいな」 ぶは、とカカシは噴き出した。 「え〜? 夢って願望出るんじゃないんですか?」 「笑うなって言ったでしょ。………あ、そうか。願望ね。………それで、夢の中でもカカ シ先生が恋人だったのかも………」 カカシは嬉しそうな顔をした。 「ホント? 夢でも浮気しないなんてスゴイですね、先生! 嬉しいなあ」 ニコニコしているカカシを、イルカはじっと見つめた。 「………やっぱり、可愛いですねえ………カカシ先生は。…夢でも可愛かったけど」 カカシの顔から笑みが消えた。 「………え? あ、まさか、オ、オレも女だったんですか? その、夢の中で………」 「いいえ? 現実の貴方と同じ、男前な上忍でしたよ。…でもね、ウブな感じで可愛いか ったんです。…お付き合い始めて、何ヶ月経ってもキスがやっとでね。…恋愛に慣れてな いみたいで」 「イルカ先生…それって………」 イルカは「夢の話です」と笑った。 「それで、キスから先に進んでくれないそのカカシさんに俺、焦れちゃいましてね。…も う、フラれてもいいから、押し倒しちゃえ! ………ってね」 「お、押し倒されたんですかっ………オレ!」 「何嬉しそうな顔してるんですか。…ええまあ、せっかく夜に部屋に入れたのに、もう遅 いから帰るとか仰るものでね。…その、カカシさんが。きちんとお誘いしているのに、『で も』とか言って………」 「我ながら情けない野郎ですね」 「………だもんで、こういう風に」 イルカは、カカシの肩をトン、と突き、軽く足払いをかけた。 「うわっ」 不意を突かれたカカシは、夢と同じ様にあっさりとソファに倒れる。 ソファに膝を突き、カカシの上に覆いかぶさるように圧し掛かったイルカは、ニッコリと 笑った。 「………心の準備に三秒あげます」 「―――って言ったんですか…っ………」 「ええ」 「……わ〜…オトコ前な女の子ですね〜………」 「ですか? 彼氏が手を出してくれないからって、押し倒してヤっちまえ、なんてはした ないでしょ。サイテーな女じゃありませんか? 俺、夢から覚めて、自己嫌悪に陥りまし たが」 「あ〜、それでロクな夢じゃないって言ったんですね。………んで、ヤったんですか?」 イルカは嫌そうな顔をした。 「幸いにも、未遂です。カウントダウン中に、目が覚めましたので」 身体を起こそうとしたイルカを、カカシの手が伸びてきて止めた。 「………じゃ、ここで続きしません?」 「は?」 「夢の、続き。………オレを犯る気だったんでしょ?イルカ先生」 カカシが首を伸ばし、イルカの顎にちゅ、とキスする。 「今の、『心の準備に三秒あげます』ってのが効きました〜。あれとイルカせんせの顔だけ でオレ、勃っちゃいましたよ」 イルカは、はーっとため息をついた。 「………夢の中の貴方がこれくらい積極的だったら、俺も襲っちゃえ、なんて考えなかっ たんでしょうにねえ………」 「そんなん、知りませーん。オレは、いつだってアナタが欲しいですもん」 本当に、あそこで夢から覚めて良かった。 あのまま事に及んで、夢の中でカカシと寝てしまっていたら。 (当分、こういう事は出来なかったろーな………) 請われるままキスをして、カカシの服を脱がせながら、イルカは内心で苦笑した。 カカシの肌はすぐに火照ってイルカを誘う。 「…じゃあ、夕飯前に軽く運動するとしますか。…ベッドに行きます?」 「ん〜、ここでもいいけど、ソファを汚しちゃうとマズイかな。あ、オレ風呂もまだだっ た。ごめん、シャワーしてきます」 今日、結構汗かいちゃったから〜、と笑うカカシの手を引いて、彼が身体を起こすのを 助けてやりながらイルカはささやいた。 「俺もまだなんです。…一緒に入りましょうか。…洗ってあげますよ?」 ポッとカカシの白い頬が桜色になる。 裸の付き合いを始めて、早数年。数え切れないくらいお互いの身体など見ているし触っ ているのに、まだこの反応。 (………ホントに可愛い人だな。…自分から誘うくせに、ちょっとした事で恥ずかしがる んだから) 霧のように降りかかるシャワー。立ち込める湯気。 しっとりと濡れた銀髪をかきあげてこめかみに口づけてやると、カカシはお返しとばか りにイルカの首筋に唇を這わせてペロリと舐める。 「ね…イルカ先生………」 「何でしょう?」 「…オレね、アナタとこうするの、好きなんです」 「……………カカシせ………」 開きかけたイルカの唇を、カカシは指で抑えた。 「唇を合わせて、肌を、身体を重ねて、アナタを感じる。………すごく、いい。オレは、 好きでアナタに抱かれている………」 「カカシ先生………?」 カカシは両腕をイルカの首に絡めた。 「………アナタね、自分ばっかり挿れる方でオレに悪いんじゃないかとか、時々考えたり しません?」 「……………っ…」 くっくっく、とカカシはくぐもった笑い声を漏らす。 「………そういうコトをちらっとでも考えるから、女の子になっちゃう夢なんか見るんで すよ」 「そ…そんな………」 そりゃね、とカカシは笑いながらイルカの眼を覗き込んだ。 「イルカ先生が女の子だったら、オレが抱いてたんでしょうけど。………今更ですよ?」 「………今更…ですか」 「そ、今更です。…ああ、イルカ先生がどーしても挿れて欲しいと仰るなら、オレだって 男ですから? 頑張っちゃってもいいんですけど」 イルカはかあ、と頬を火照らせた。 「誰もそんな事言ってないでしょうっ! ………あ、いや…そういえば、面と向かってお 伺いした事はなかったですね。………カカシ先生は、そういうお望みはあるんでしょう か?」 「あー? …んー、オレ、マジでどっちでもいいの。…相手がアナタだって事が肝心だか ら。…あ、でも、アナタにしてもらうと、愛されてるなーって気がして嬉しいから、やっ ぱ今まで通りでいいです〜。…ほれ、手がお留守ですよ」 愛撫の手が止まっていると文句を言われたイルカは、ぎこちなく再び手を動かす。 カカシの夢分析に、イルカは内心首を傾げていた。 カカシの方が年齢も階級も上だという事を考えると、こんな風に甘えていていいものか と時々思ってしまうのは事実だが。 (………そういう理由でああいう夢? 女に生まれていれば、カカシさんに抱かれるのが 自然だから?) そう考えるにしては、どこか妙だった気がする。 何故だろう、とイルカが考えていると、カカシが不意に笑い出した。 「な…今度は何です?」 「あ、ゴメンナサイ。…いえね、そのアナタの夢のオレって、アナタに襲われちゃうとこ だったんでしたよね」 「…だからそれは………」 「いや、いいんです。………あは、そっかそっか。イルカ先生って、女の子に生まれてて も攻めサマなんですね! どっちに転んでもオレって永遠の受けじゃん、とか思ったら笑 えて………」 「………………」 ああ、そういう事か、とイルカは納得した。 悪いとは思っていても、やはり自分はこの人を抱きたいのだ。女に生まれたとしてもそ の姿勢を貫くとは、なんとワガママな。我ながら呆れてしまう。 「………まあ、いずれにせよ、夢の話です。…どこまでが俺の潜在的な願望で、どこまで 現実が反映されて、どういう風に紅さんの術の影響があったか、わからないんですから」 「そーですね。夢の話ですよね。………いいんです。オレ、アナタの夢の中でもちゃーん と恋人ってポジションにいたってだけで幸せ。襲われようが、喰われようが、構いません とも」 「………あんまりおしゃべりしていると、萎えちゃいますよ…?」 カカシは慌ててイルカにしがみつく。 「も、言いません。…夢の話はおしまい! …今は」 「―――今は?」 「…だって興味あるんですもん。…どんなデートしてたのかなーとか、馴れ初めとか…… …だって、夢とはいえ、オレとイルカ先生のことですよ? 知りたいじゃないですか!」 イルカは大きなため息をついて、カカシを引き剥がした。 「やっぱ、先にメシ食いましょう。…俺、気がそがれました」 えー、と抗議の声をあげるカカシに、イルカは微笑みかける。 「今夜はしません、とは言いませんよ。…先にちゃんとカロリーを補給して、それからゆ っくりと貴方と愛し合いたい。………そして………」 「そして…?」 イルカは恋人の唇にひとつ、キスを落とした。 「―――夢も見ないで、眠りたいです」 |
◆
◆
◆
………すみません、逃げました。 07/09/17〜21 |