だから好き、ではなく『好きだから』
蓼食う虫も好き好き。 ―――世の中まさに、その通りだ。 昔の人は、上手いことを言う。 たとえば俺は、温泉が好きだ。 温泉に入るといえば、誰だってみんな喜ぶだろう。 嫌いな人間なんていないはずだ、と俺は思っていたが、そうでもないんだとこの間知った。 何気なくしていた世間話だったのだが、「温泉っていいよなあ」と言った俺に、その時一緒に談笑していた同僚は「いや、俺は温泉って特に好きじゃないんだよ」と返したのだ。 世の中、色々な人がいる。 温泉嫌いがいたって不思議じゃなかったのに、俺は珍しいものを見るような眼でそいつを見てしまったのかもしれない。 同僚は、「うん、温泉って言うとみんな喜ぶよなあ、普通。……俺も任務明けでドロドロにでもなっていたら、風呂自体は嬉しいよ? さっぱりするものな。…でも、わざわざ温泉に入る為に、それ目的で出掛ける気にはなれないだけだよ」と、苦笑していた。 ソレを聞いて、やはり自分の物差しだけで物事を計るのは良くないことだ、と俺は実感したのだった。 そういや、コーヒーの匂いが嫌いな女の子もいたっけな。 俺は、あの挽きたてコーヒーの香りは万人を癒すと思い込んでいたので、驚いたものだった。………考えてみれば、そこで驚くこと自体、俺の器の狭さを物語っている。 驚いたということを隠す事が出来ず、その子には悪い事をした。 夕食の時、何気なくその話をカカシ先生にすると、彼は大真面目に頷いた。 「そうですね。考えてみれば、万人に―――誰一人あますことなく受け入れられ、好かれるものなど、この世の中に存在するわけがない。………でも、それでいいのだと思います。…問題は、そのことを理解しているかどうかです。…イルカ先生は、ちゃんとわかっているから、いいんじゃないですか?」 俺は慌てて首を振った。 「………いや、まだまだ。………わかってないから、驚いてしまうんでしょうし」 カカシ先生は、にこっと微笑んだ。 「でも、アナタはそこで驚いてしまったことを相手に悪いと思ったし、世の中様々な人がいるって思ったわけでしょう? ………アイツはおかしい、じゃなくて」 「………だって………そりゃ、そうでしょう」 その程度の嗜好の違いを『おかしい』だなんて、言えるわけが無い。俺はそこまで自分の感覚に自信は持てない。 「俺がおかしい、と言えるのは、どう考えても理不尽だ、と思える事柄に対してだけです。………それすら、時々自信がなくなりますが」 「いやあ、それこそ世の中色んな人がいますからねえ。………自分が嫌いなものを好きな人間がいるってことに、あからさまな嫌悪感をしめし、否定する輩は多いんですよ、結構。………認めることは難しくても、せめて無視…つーか、ほっとけばいいってオレは思いますけどねー………」 たとえば、とカカシ先生は苦笑した。 「オレは、イルカ先生が大好きです。…もしも、貴方の存在を否定するようなヤツがいたら、ぶっ殺したくなるくらいハラ立つでしょうね。………でも、それも仕方ないことだと、甘受するしかないんです。………言葉だけではなく、物理的な攻撃をもってアナタに危害を加えない限りは。………オレは、言葉も十分な暴力だって、身に沁みてますけど」 俺は頷いた。 カカシ先生は、里の心無い連中の中傷が原因で、お父さんを失っている。 他人の悪意は、千の刃となって精神を殺すのだ。 「………否定。そうですね。………理解できない事と、否定は別物なんですよね」 「そこまでわかってりゃ、十分でしょ。………全部を受け入れられるなんて人間、いるわけないです。いや、人間だけじゃない。神様だって、結構わがままですよぉ? 自分が気に入らなきゃ、一方的に滅ぼす。…そんな神話、世界中にありますもん」 「………つまり、世の中の平和は………」 「妥協と忍耐の産物です。…それすら人間は出来ないから、戦争になります」 思いがけず重くなってしまった話に、俺は思わずため息をついた。 カカシ先生は、コリコリコリ、とタクアンを咀嚼している。 タクアン、美味いよな。 でも、これだって嫌いなヤツはあの匂いすら嗅ぐのを嫌がるだろう。 「………妥協と忍耐かー………あはは、なんかソレって、円満な夫婦生活の秘訣っぽいですね」 突然、カカシ先生はぐふぉっとむせた。 「だ、大丈夫ですか。ほら、お茶飲んで………」 俺が慌てて差し出したお茶を、カカシ先生は素直に飲む。 「ゴホ…ッ………はー………スミマセン………」 「どうしたんですか? 急に。俺、変なこと言いました?」 カカシ先生は、チラッと俺を上目遣いに見る。 「………だって…………………オレ、そんなに先生にガマンさせちゃっているのかなーとか………思っちゃって………あの…………」 「………え」 『円満な夫婦生活の秘訣は妥協と忍耐』………って、ソレっすか? オレはつい、爆笑してしまった。 むう、とカカシ先生はむくれた。 「………笑いますか、そこで」 「いや、すんません………でも………」 俺たち、夫婦じゃないし。 でも、カカシ先生の脳内では同じ事なんだろうな。 俺は、真顔を作った。 「………それ、もう一つ大事な要素があるんですよ。妥協も忍耐も、相手が好きだから出来るんだと思います。………仮に、貴方に対して俺が何か我慢しているとします。でもそれは、貴方のすることだから、忍耐も妥協も出来るんですよ。好きでも何でもない人間にされたら、我慢出来ないことでも」 カカシ先生は、サァッと蒼褪めた。 「そそそ、それって、何ですか? ………オレ、アナタに何を………」 だから人の話はよく聞け、上忍。 「仮に、と言ったでしょ? そうですね………例えば、キス。…誤解ないように言いますが、俺は貴方とキスすんのは大好きです。…でも、他の野郎とは出来ませんよ。………それからね、真夏の最中に背中に張り付かれて多少暑苦しいと思っても、相手が貴方ならその行為を可愛く思っちゃうし、真冬に冷たい指先で触れられたら「やめんかボケ」と思うより先に温めてあげたいと思う。………まあ、そういうコトです」 カカシ先生は、キョトンとした。 「それって、つまり………」 「愛しているってコトです。了解?」 カカシ先生の白い顔が、みるみる間に真っ赤になっていった。 ………うわあ。 俺達付き合い始めて何年? それなのにこの反応!!! ああ、可愛くて押し倒したくなる。 実際に押し倒したのは、メシも風呂も律儀に済ませた後だったが。 ねー、せんせ、とこの世の中で最も可愛いと(俺が)思う生き物が呟いた。 「でもね、あんまり我慢しないでね? ………オレ、無神経だし………せんせが我慢してるって、気づけない時も多いから………たぶん」 「わかりました。…俺が何も言わない時はOKだって思っててください。…それと、俺も貴方に何か辛抱させてないか、心配になります。………その時は、言ってくださいね」 「大丈夫です〜。オレ、自他共に認めるワガママですもん」 と、俺より背の高い男が、ごろごろと喉を鳴らさんばかりに懐いてくる。 ああ、この状況を『可愛い』と思う男は、俺だけでいい。 カカシ先生が万人に愛されるのは、悪い気はしないが。 それはそれで、気がもめる。 『蓼食う虫も好き好き』ってのは、まさに俺達の………いや、俺に対するカカシ先生の嗜好を言うのだろうな。 「………せんせ、何笑ってるんです? オレ、変なこと言った?」 いいえ、と俺は首を振った。 「………人の好みはそれぞれだからこそ、保たれる平和もあるんだって、思っていたところです」 |
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未完成フォルダに途中まで書いていて放置していたものを発見。書き足してUPしました。
ちなみに温泉嫌いは仕事場に実在した女性。 09/10/04 |