5月生まれの呪縛

 

『5月に生まれた子は、いい子になる』
―――という何の根拠の無い言葉を、幼い頃の俺は信じていた。
5月に生まれたから。
俺は、いい子でいなきゃいけない。
いい子。
出されたゴハンには文句を言わず、残さず綺麗に食べるのがいい子。
母ちゃんに『寝る時間よ』って言われたら、すぐにふとんに入って眼をつぶるのがいい子。
父ちゃんがニンムで忙しくて遊んでくれなくても、ガマンするのがいい子。
他にもいっぱい、『いい子』の条件はある。
たとえば、アカデミーの宿題は夕食の前に済ませる、とか。
テストでいい点を取ってくるとか。
母ちゃんの手伝いを自分からやるとか。
そうなんだ。
そういうのがいい子って言われるんだって、俺だって知ってる。
でも俺は、自分が『いい子』なんかじゃないってことも、知ってた。
だって、本当の『いい子』は、無理して頑張って『いい子』を演じる必要は無いもの。
無理しなきゃ『いい子』になれない俺は、本物の『いい子』なんかじゃないんだよ。
だから、母ちゃんに「いい子ね」と言われるたび、胸が痛かった。
俺、本当は『いい子』じゃないのに。
キライな食べ物を食べたフリして、コッソリ捨てた。
父ちゃんと母ちゃんが任務でいない夜は、寝る時間が過ぎてもテレビを見てた。
俺は、いい子じゃない。
勉強だって、そんなに好きじゃないし。テストでいい点取れることなんか滅多にない。
それに出来ることなら、家の手伝いなんかしないでずっと遊んでいたい。
ほら。
俺は、全然いい子じゃない。
ごめんなさい、母ちゃん。
5月に生んでくれたのに、いい子じゃなくてごめんなさい。


「―――と、子供の頃は真剣にそう思ってました」
ほえ、とカカシは間抜けた声を出す。
「あれ、呆れてます? カカシさん」
いえいえ、と慌ててカカシは首を振る。
「まさか。呆れてるわけじゃないですよ、イルカ先生。……感心したんです。凄いと思いまして」
「………凄い、ですか?」
カカシはほうじ茶入りの湯呑を手にしたまま、にっこりと微笑む。
「ええ。よく子供の頃にそこまで己を客観視出来ましたね」
ハハハ、とイルカは笑った。
「いや、客観視というわけじゃないですよ。…単に、後ろめたかったんです。本当はいい子じゃないのに、いい子だって言われるのが。………ま、何をどう誤魔化しても、母ちゃんにはバレバレだっただろうな、とは思うんですけどね」
「…そうなんですか?」
「母親って、子供のヘタな嘘なんかすぐ見抜くんですよ。…でも嘘だってわかってて、騙されたフリをしてくれる時もあるものなんです」
あ、とカカシは手を打った。
「それ、わかります! ミナト先生がそうでした。…たぶん、オレの嘘なんか全部お見通しだったんだろうな〜………」
イルカは軽く眼を瞠った。
「へえ? カカシさんでもそんな事したんですか」
「そんな事? ああ、嘘ですか? そりゃあねえ………オレ、浅はかなガキでしたもの。嘘の一つや二つ、つきましたよ。………でもねえ、先生ったら、ふぅん? そーなんだー…って言いながら、目が笑ってんですよね。ああ、もうバレてるなーって思うんですけど、そういう時はこっちも後には退けないんですよね」
イルカは興味津々の面持ちで、ずいっと卓袱台の上に身を乗り出した。
「カカシさんが任務がらみのことで四代目様に嘘をつくわけがないですよね。いったい、どんな事で嘘なんかついたんですか?」
でなければ、いくら四代目でも黙って許してくれたわけがない。
カカシは「ウッ」と言葉を詰まらせる。
「な、何でそんな事知りたいんですか………」
「興味あるからですけど? カカシさんが四代目様にどんな嘘をついたのか。個人的にも興味ありますし、色々な子供を預かっている教師としての職業的関心もあります」
イルカの率直さに、カカシは折れた。ぽりぽりと頭をかきながら、そっぽを向いてボソボソと答える。
「あ〜…その………朝ごはん、ちゃんと食べた? …って訊かれて、食べてないのに、つい『はい』って…応えちゃったりー…とか………薬飲むのイヤで、誤魔化したりとか………殆ど他愛のないモンだったですが」
「ははあ。…何となくわかりますね。…他には?」
イルカの追求に、カカシは首を振る。
「………恥ずかしくて、言えません」
「は?」
カカシの声は、ますますボソボソと低くなる。
「………つまり……その………男の沽券にかかわる問題とか、ですよ」
「………沽券? ええと…思わず見栄を張っちゃった系…ですか?」
カカシは赤くなった。
「そ…っ………や、その………ち、近いです。…………せ、先生は…すっごい女の人にモテモテな人だったんですけど………」
ああ、とイルカは頷いた。
「そりゃあそーでしょうねえ。お強い上に、あれだけ男前なら。…でも、カカシさんだってモテたでしょ? 昔から」
「いや………オレは、その………女の子…というか、よくわからない生き物は苦手だったんです。でも、苦手なものがあるって、言えなくて」
「………はあ」
イルカも時々、女性の思考回路にはついていけない時があるから、『女の子はよくわからない生き物だ』というカカシの言い分も、わかる気がする。
「それでですね。………女の人に囲まれて、愛想よく笑って相手している先生を見るとオレ、何だかムカムカして。今思えばそれは、ガキのヤキモチだったんだろうなって思うんですけどね。………生意気に先生に嫌味言ってみたりしまして。……それで、カカシ君も大きくなれば女の子の良さがわかるよ。今はまだ早いけどね〜って軽〜く笑われまして………カチンときたオレは、つい…すごい知った風なことを………」
ああ、これ以上は恥ずかしくて言えないっ…とカカシは顔を覆い、畳の上に転がってジタバタと身を捩る。
イルカの笑顔が少し引き攣った。何となくだが、身に覚えがあるような話だ。
「……わ…若さゆえのナンとやら………ですね………」
「ええ、もう………っ…あの頃にタイムワープ出来たら、あの恥ずかしいことを口走る前に自分を穴に埋めておきたいくらいですっ…………!」
「それって、お幾つの時ですか」
「………ええと、オレまだ上忍になってなかったから……十歳か…十一歳くらい……?」
イルカは畳に転がっているカカシに手を伸ばし、その肩をポン、と叩いた。
「そういう子供の頃特有の恥ずかしいアヤマチは、誰にでもありますよ。…だから四代目様も、黙って騙されたフリしてくださったんじゃ………?」
「騙されたフリ………になってなかったよーな気も………するんですけどね………」
「そうですか?」
ウン、とカカシは頷いた。
「だって…ハイ、嘘! …とかも言わないけど、へ〜、ふ〜ん、そーなんだ〜…ってずーっとニヤニヤしてんですもん、先生…………ああ、いたたまれないあの感じッ…思い出しただけで暴れたくなります」
ヨシヨシ、とイルカはカカシの頭を撫でた。
「ここで暴れないで下さいね。…でも四代目様は、本当に貴方が可愛かったんですねえ」
「…………つうか。…まあ、あの人は…上司兼師匠兼、オレにとっての『嘘を見抜く母ちゃん』だったですから………」
「すごいコンボですね。…対カカシさんにおいてはほぼ無敵な感じ……? あ、表現なんか変ですね」
ぷは、とカカシは笑った。
「や、その通りです。…でもま、普通三人くらいいるはずの『敵わない相手』が一人で済んでたって、考えてみればオレ、ラッキー?」
「そうですよ。普通は、あっちにもこっちにも、頭の上がらない人がたくさんいるものなんですよ?」
うっふふ、とカカシは笑った。
「オレは今、イルカ先生に頭上がりませんけどね」
「ハハハ、上忍様が何を仰るやら」
「ホントですって〜! あ、頭上がらないってのは言い方が違うかな? 貴方に弱いって言うんですよね、きっと。………惚れた弱み」
「それはどうもありがとうございます」
ム、とカカシは口を尖らせた。
「こら。何ですかその棒読み的返事は。さては本気にしてませんね? あのね、オレこんな事で貴方に嘘は言いませんから」
「…いや、嘘だなんて………思ってるわけじゃ………」
「おべんちゃらでもありません」
「すみません」
もーお! とカカシはイルカにタックルする。
「何でそこで謝るんですか〜!」
元々は、イルカの誕生日祝いの話で。
そこから『5月生まれはいい子になる』という大人の言葉を真に受けていた、という話になり、子供の嘘という話に脱線してしまったような気がする。
「話を元に戻しましょう! アナタの誕生日祝いですよ。何がいいですか?」
「あー………そうですねえ。………別に、誕生日が嬉しいトシでもないし………カカシさんのそのお気持ちだけで、十分なんですけど」
イルカは己の腰にしがみついたまま上目遣いに睨む上忍を見下ろして、微笑んだ。
「………じゃ、アナタの次のお休みを俺にください。温泉、付き合ってくださいよ。もちろん、お泊りで」
ぱあ、とカカシが喜色を浮かべた。
「はい! 喜んで! あ! ソレ全部オレ持ちですからね! 割り勘とか言ったら、殴りますよ」
「はい、ありがとうございます」
イルカは唇に微笑を貼りつけたまま、手元にある銀色の頭を撫でた。
カカシは気持ちよさそうにイルカの腰に懐く。
「ねえ、カカシさん」
「うぁい?」
「もしも、サクモ様か、四代目様に『9月生まれの子はいい子になる』って言われたら、どうしてました?」
カカシはピタ、と動きを止め―――ややあって、顔を上げた。
「その根拠を示してくれ、と言っていたと思います。……あ、でもその言葉を疑っているからじゃなくて、何故そうなのかが不思議だから、単に納得したくて訊いたと思いますよ」
はあ、とイルカはため息をついた。
「さすがです、カカシさん。根拠のない大人の嘘には騙されないんですねえ」
カカシは苦笑して首を振った。
「いや、でもそう言ったのがミナト先生だったら、結果的には同じですけど。統計の数字とか、いかにもな裏づけを並べ立ててオレに信じ込ませましたね、きっと。あの人そういうの得意だったから………ま、人を騙すのも、忍者の技のひとつですけどね」
「ええ。……アカデミーでは教えませんけどね………」
「んでもって、忍者は裏の裏を読めとか言って、さんざオレで遊んでくれたんですよねー………なのに、こっちが疑うと、カカシはオレが信じられないの? なーんてね、悲しそうな顔しやがるんですよ。もーずるいったら! こっちの嘘は即見抜かれて、あっちの嘘には振り回されるんですからね」
そう憤慨しながらも、カカシの口調はどこか楽しげだった。
それは、四代目がカカシを傷つけるような嘘をつかなかった、という証拠だろう。
大人になれば、ああアレは冗談だったんだ、かつがれたんだと気づくような無害な嘘。
イルカも、少し大きくなった時点で気づいていたのだ。
『5月に生まれた子は、いい子になる』なんて、嘘だと。
5月に生まれた子が全員『いい子』なわけが無い。
親にしてみれば、それは単なる願いだったのだと思う。
我が子に、いい子でいて欲しいという、ただそれだけの。一種の暗示だ。
それでも、一度心に刷り込まれたその言葉は、長い間イルカを縛った。
そして、自分が親の期待通りのいい子になれないことを、ずっと負い目のように思っていた。
それは忍者となり、アカデミーで教鞭を取るようになったからも、しつこくイルカの心の奥底に沈殿し続けていたように思う。自分はダメなヤツだ、と。
そんな呪縛から解放されたのは、いつだったのだろう―――
ふと視線を落とすと、まだ己の腰に懐いたままの上忍と目が合う。
ああ、とイルカは気づいた。
この人のおかげだ。
この、年上で格上で、何から何までイルカよりも勝っているこの人が、いつもいつもイルカを認めてくれていた。
『さすがですね、イルカ先生』
『やっぱり凄いですね、イルカ先生は』
『オレ、アナタが大好きです』
些細な事でも感心し、褒めてくれて―――そして、好意をしめしてくれる。
この人に褒められるたび、己を認めてくれる言葉を聞くたび、イルカは面映くも嬉しかったのだ。
そして、少しずつ自分の存在に自信が持てていったのだと思う。
イルカの呪縛は、カカシが解いてくれたのに。
カカシは未だに四代目の呪縛から解放されてはいない。されなくても害は無いのかもしれないが、少しだけ悔しい。
きっとあの人は、永久にカカシの中に棲み続けるのだろう。
「ねえ、せんせ。そういうのって、ズルイですよね!」
イルカは、膝に乗っかってきた銀色の頭を愛しげに撫でて、微笑んだ。
「………ええ。ずるいです」
 

 



 

イルカ先生、ハッピーバースデー!

UPは1日遅れましたけど。
そしてお話にもまとまりなくてすみません。
大人って、純真な子供をだましてくれますよねー、といったお話でした。
 

11/5/27

 

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