YAKIMOCHI
「悪いわねえ、先生」 「あ、いいえ。お安い御用です、これくらい」 イルカは民家の軒先で、硬くなった鏡餅を割っていた。 ちょうど教え子の家の前を通ったら、生徒の母親が何やら難儀をしていたのでつい手を 貸してしまったのである。 「よっ!」 イルカが力を入れると、硬くひび割れていた餅が綺麗に割れる。 「まあ! 流石ね。あたし力無くて。……うちの子ももっと大きくなれば役に立つでしょ うにねえ」 「今だって、よくお手伝いするいい子じゃないですか。アカデミーの成績もいい線行って ますし。私がアカデミー生だった頃より、ずっと優秀ですよ」 「まあ。そんな事仰っちゃって。…先生、真面目ないい先生だって、皆言ってますもの。 きっと、生徒さんだった頃も真面目ないい子だったんじゃありません?」 ハハハ、とイルカは声を上げて笑う。 「当時の担任が聞いたら、大笑いしますよ。…謙遜じゃなく、落ちこぼれ寸前の子供でし た。実際、私が中忍になった時は皆驚きましたからね」 「まあ」と女は口を抑える。 「じゃあ、努力なさったのねえ……偉いわ。わたし、天才型っていうの? あまり苦労し なくても出来ちゃう人って、イヤなのよ。凡人のひがみかもしれないけど、何だかずるい なって気がしません? だからね、努力して目標を達成する人の方が好き。……ああ、だ からなのね。イルカ先生が『いい先生』なのは。出来ない子の気持ちがわかるから、ちゃ んと指導出来るのね」 イルカは苦笑しながら、餅を小さく切り分けていく。 「出来ない子の気持ちがわかるってのは正解ですねえ。……ちゃんと指導出来ていればよ いのですが」 「大丈夫。うちの子も、イルカ先生、大好きですもの。…あ、そうだ。このお餅、今焼く から召し上がってらして。おしるこ作ったんですよ。甘いものお嫌いじゃなかったら、ど うぞ味見してって下さいな。ね?」 まだ若い母親からは、『母』の顔と一緒に『女』の顔が見え隠れして、イルカを落ち着か ない気分にさせた。 「でも、そんな…」 「ご遠慮なさらず。……甘いものお嫌いですか…?」 「いや、嫌いじゃないですが……」 ずいっと彼女はイルカの方へ身を乗り出す。 「なら、よろしいじゃないですか」 イルカは困って、懐から時計を取り出して時間を確認する。 「あ、すいません。…せっかくですが友人が家に来る事になっていて…もう帰らないと」 友人とはカカシの事だが、嘘ではない。 もう、カカシがやって来る時間だった。 「まあ。……あ、じゃあ御礼にお餅、持ってらして。そうだ、おしるこも今小分けしてき ますから、お友達と召し上がって? お友達は何人なんですか?」 「ひ、一人です…あ、でも悪いですよ。お子さん達の分が少なくなってしまいます」 「いいのよ。いっぱい作ったんですから」 そこまで言われて断わるのはかえって悪い。 イルカは餅を入れたビニール袋と、しるこを入れた鍋を持たされて帰路についた。 「で、おしることお餅を貰ってきちゃった、と」 「はあ…断わりきれなくて……」 カカシはカパン、と見慣れない鍋のふたを開け、その隣に鎮座するイルカ宅の鍋の中身 と見比べる。 「……明後日の朝飯もおしるこかな……」 イルカ宅の鍋の中からも、甘い匂いが漂っていた。 「お餅も、頑張らないとカビだらけになりますねえ…」 カビ避けに水に浸した餅が冷蔵庫の中を占領している現状を知るカカシは苦笑する。 「まさか独身男が鏡開きの日に自分でぜんざいを作っているだなんて、思わないのかもし れませんね」 「そりゃ、普通思わんでしょう」 イルカはため息をついた。 「明日、七班の子達連れて来て下さいよ。餅はともかく、甘いものばかりそうそう食えま せんから」 「そーですねえ……ま、それしかないかな」 イルカはビニール袋から貰った餅を取り出して網に乗せる。 「カカシ先生、どっち食べます? 頂いたのはおしるこで、豆が無いヤツですが」 「イルカ先生のはぜんざいだから小豆入りですよね。…オレ、イルカ先生のがいいなあ」 「んじゃ、あの奥さんには悪いけど、今日はウチのを食べますか」 イルカは自分の方の鍋を火にかける。 「…奥さん、ねえ……そのヒト、アナタに気があったりしてね」 ぷっとイルカは噴き出す。 「やだなカカシ先生。生徒のお母さんです、…よ」 だが、イルカ自身彼女から『女』を感じた事を思い出して、唇を歪ませる。 そんなバカな、という思いと、妙に落ち着かない居心地悪さ。 ふうん、とカカシはイルカの顔を覗き込む。 「やっぱオレってば勘がいいみたいねえ」 「何がですか! 生徒のお母さんと何があるって言うんです」 「不倫」 即答するカカシに、イルカは肩を落とした。 「………縁側で餅を切っただけっす……」 カカシはふん、と鼻を軽く鳴らす。 「親切で優しくて若くてぴちぴちした独身の先生。ご馳走するわ、と言ってまだ子供も亭 主も留守の昼下がりに部屋へ引っ張り込んで、『ねえセンセ、あたし寂しいの…』とか…っ て、痛いですね。鍋のふたで殴らないで下さい」 「貴方が一人で突っ走り昼メロ劇場始めるからでしょうが。奥さんに失礼ですよ…っつー か、鍋のふたくらい避けられるクセにわざと殴られてないで下さい」 「鍋のふたくらい……ね。危険の無いものまでわざわざ避ける習性が無いもんで」 「……黒板消しとか?」 イルカはグルグルとおたまで鍋の中をかき回す。 カカシはしれっと答える。 「そ、黒板消しとか」 「…カカシ先生、餅、見てて下さいね」 はい、とイルカに菜箸を渡されたカカシは素直に餅と向かい合う。 「それで」 ころ、と餅を網の上で転がしたカカシは横目でイルカをちらりと見た。 「はい?」 「…実際はどうなんです? イルカせんせ」 ふわりと鍋から甘い湯気が立ち昇る。 「蒸し返すんですか? もー、だから何もありませんって。…庭先で硬くなった鏡餅切る の手伝って、生徒の話をして、そしてその場でご馳走になるのを辞退したら餅と汁粉をお 裾分けしてくれた。それだけですよ。………………まあ、まだお子さんが小さいですから ね。お母さんも若いですけど。だから、そこはかとなく女の色香も垣間見える事もありま すよ。…そういう『女』の貌にちょっとドキドキとかね。…ま、そういう事もあると言え ばあります。でもそんなの、テレビのCMに出ているコが可愛かったな、とかそういうレ ベルの感覚ですよ。…はい、カカシ先生味見」 イルカはスプーンで小豆をすくい、カカシの口許に持っていった。 カカシは条件反射よろしく口を開ける。 「…オレ、イルカ先生には簡単に毒殺されてしまうね」 小豆をもぐもぐと食べながらカカシはクスクス笑う。 「またそういう事を……貴方大抵の毒なんかじゃ死なないでしょ。それより、甘さ加減ど うです?」 「ん。美味しいですよ。甘過ぎなくって。ほら」 カカシはイルカの唇に口を押し付けた。 イルカは応えてカカシの唇を味わう。 「…ね? 美味しいでしょう?」 クスクスと笑うカカシに、イルカは肩を竦めてみせる。 「美味しかったけど……貴方の唇で味わうと何でも美味く思えてしまうから」 カカシはチュッと音を立てておまけの軽いキスをおくる。 「口もうまくなったみたいですねえ、イルカ先生は」 「正直なだけなんですが。あ、餅…」 イルカが言い終わらないうちにカカシはひょいと箸で餅を返す。 ただ餅をひっくり返しただけなのに、その動作はどこか無駄が無くて綺麗だとイルカは 思った。 「……凡人のひがみ、か……」 苦笑交じりのイルカの呟きをカカシは聞きとがめる。 「何ですって?」 また鍋に向かって、ゆっくりと中身をかき回し始めたイルカは唇の端を少しだけあげる。 「………その餅をくれた奥さん。貴方みたいな方はおイヤなのだそうです」 カカシは「は?」と口を開けた。 「何でオレがそのオクサンに嫌われるんです?」 っつうか、何で自分がその女の好き嫌いの対象にされるのだ? とカカシは怪訝そうな 顔になる。 「貴方が、じゃなくて貴方みたいな人、ですよ。…貴方、天才タイプでしょ?」 カカシは眉間に皺を寄せた。 「……オレ…が?」 「普通の人は6歳で中忍になったりはしませんから。天才っていうんじゃないんですか?」 んー、そうかなあ、とカカシは唸った。 「彼女ね、あまり苦労しなくても出来ちゃう人ってイヤなんですって。努力して頑張って るのがお好きらしいです。…凡人のひがみだと笑っていましたが」 はあん、とカカシは納得顔になった。 「つまり、アナタを口説いてたんですね? 努力して頑張るタイプってアナタの事でしょ う?」 「………あ?」 イルカは間の抜けた声を出して振り返った。 「…まさか…ああ、いや確かに頑張った事は頑張りましたが。それは、元々の出来が悪い からそうしないと人並みにも追いつけなかったからで……まあ、たまたまそう言う話にな ったから…たぶん彼女、フォローって言うか…俺を慰めてくれたのでしょ」 カカシは息をついて、薄っすらとキツネ色になり始めた餅をまた裏返す。 「………アナタ、女性にモテなかったんじゃなくって…自分でチャンスを蹴り飛ばしてい たって感じですね…まったく、アナタの話とこの状況で、その場にいなかったオレでさえ 彼女の秋波を感じると言うのに……」 ちら、とカカシは横目でイルカを見た。 イルカはムッと口を引き結ぶ。 「あれで俺に気があるなんて思うのは自惚れというものです。…それともなんですか? 万一、実際に誘惑があったとして、貴方、俺がその誘惑にのった方が良かったとでも? 冗談じゃない。俺はまだ教師を続けたいですからね」 「そりゃあそれはオレとしても穏やかならざる事態ですが。……確かに、教え子の母親と 不倫したなんてのは皆が喜びそうな醜聞ですねえ。しかも、真面目さでは定評のあるイル カ先生が」 イルカはふと、鍋をかき回す手を止めてカカシの静かな横顔を見た。 改めて不思議に思う事がある。 頻繁にイルカの部屋に出入りし、朝ここから出て行く事も多いカカシ。よく一緒に食事 をしていたり、旅行まで堂々としていて。 それでもカカシとイルカの仲が妙な噂になった事はない。 真面目で野暮ったい教師が、元暗部の凄腕上忍と恋仲になるなんて皆考えもしないのか もしれない。 あくまでも、友人として仲が良くなった(それもそれで結構皆を驚かせたのだが)よう に見えているらしいのだ。 「…俺…そんなに真面目っぽく見えます?」 カカシはくすりと笑みを漏らした。 「事実、貴方は真面目ですよ。ものの考え方や行動がね。……オレは貴方が品行方正な聖 人君子だとは思いませんし、そんなヤツとお付き合いしたくはないです。…でもね、貴方 は真面目なんですよ。…真面目という表現しか出来なくて歯がゆいですが、人に対して貴 方は誠実であろうとする。…オレに対してだけではなく……それはね、結構凄い事なんで す。…特に忍の里では」 イルカは黙ってカカシの眼を見た。ややあって口を開く。 「……誰も彼にも、全ての人に対して誠実になんてなれません」 カカシは声を上げて笑った。 「はははっ…ほら、だから貴方は真面目なんですよ。そう、それは現実問題として不可能 だ」 カカシは笑みを顔に張り付かせたまま餅を突っついた。 「オレとしてはね、イルカがオレの事を見てくれて、オレに貴方らしい情を示してくれる んならそれでいいんですが。貴方は他の人にも優しいからね。…つい、いらない嫉妬をし てしまう…」 イルカは生真面目な顔で応えた。 「そんな無駄な事せんで下さい。…貴方が嫉妬しなきゃならない事態なんてないですから。 …そう言って下さるのは照れ臭くも嬉しいですが」 「…ちっとも照れ臭そうにも嬉しそうにも見えないんですが…」 「困惑してるんですよ。貴方が俺を買いかぶっていらっしゃる様な気がして仕方ないんで」 カカシは頃合いを見計らって、また餅を返す。 「………そりゃ仕方ないでしょ。オレはオレの言った事は真実だと信じていますが、古来、 恋は盲目痘痕も笑窪と言うでしょう。オレ、イルカせんせー大好きになっちゃったから、 良く言えば悪く言えばで表現する場合、良く言えばの方ばかりになってしまいますもん」 ね? とカカシに笑いかけられて、イルカもようやく照れ臭そうな笑みを浮かべた。 「そりゃ…どうも……」 「イルカ先生は? オレ絡みで誰かにヤキモチとかってないの?」 イルカはコンロの火を止めて、嫌そうに口を開いた。 「……自分が嫌になるほどありますよ」 へえ、とカカシは目を見開いた。 「ホントに?」 「…貴方も男なんだからわかるでしょ。…俺だって独占欲くらいあるんですよ」 イルカは常に無くぶっきらぼうに呟くと、そっぽを向いた。 カカシは彼の目許が赤らんでいるのを目敏く見つけて、そっと微笑んだ。 箸の先で餅をちょいと突付くと、ぷうっとちょうど良く餅が膨らむ。 「焼けましたよ〜お餅。さ、頂きましょうか」 イルカは頷いて、いつも味噌汁を飲んでいる碗にぜんざいをよそう。 そこにカカシは程好く焼けた餅をそっと入れた。 「…焼餅、か」 餅を焼きながら「ヤキモチ」の話をしていた事に気づいたカカシは、一人で笑ってしま った。 イルカはわかってないのかキョトンとしている。 「どうかしましたか? カカシ先生」 いいえ、とカカシは首を振る。 ついでに軽いキスを一つ。 「……貴方もね、あまり無駄な事はしなくていいですよ」 カカシの言葉の意味を悟ったイルカは、今度こそ首筋まで赤くなった。 |
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1月11日は鏡開き。「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味するそうです。 家族の1年の健康と幸せを願って鏡餅を食べるお正月の行事ですね。 鏡餅を分割して、おしるこやぜんざい、雑煮を作って頂きます。 鏡開きの餅には、刃物は使わないのですってね………つまり、硬くなった御餅を、ぶち割る。 豪快で、忍者達にとってもお似合い。 |