空に咲く花−5

 

「さあ、最初の大玉行くぞぉっ!」
順調に花火を打ち上げていた男達は、勢い良く掛け声を出す。
「おぉっ!」
そしてまさにその大玉に点火されようとした時。
イルカは異様な気配に気づいて素早く辺りを見回した。
と、川面が異様に逆巻いて水が意思を持つ生き物―――さながら竜神の如く伸び上がって
いく所だった。
「……水遁…ッ 敵?!」
瞬間的に、イルカの頭の中を様々な可能性が駆け抜ける。
水龍は高く頭を上げ、狙いすましたようにイルカのいる川の中州に向かって来た。
「ここが標的なのかっ!」
大勢の見物人もさすがに気づいて慌てふためく。
「うわあああっっ!!」
「きゃああああっ何あれーっ」
このままではあの水龍はこの打ち上げ場を直撃し、そしてその勢いのまま見物人を巻き込
んで流してしまうだろう。
「いかんっ!」
イルカは咄嗟に手近にいた職人を二人、両脇に抱え込んで跳んだ。
下忍の青年もそれに倣って自分の近くにいた残りの職人を抱えてその場から飛び退いた。
「下がれえええぇぇぇ! 退避―っ! こっちだァ!」
「壁だっ! チャクラで堤防を作れっ!! 力を合わせろ!」
花火会場の警備に来ていた忍達は、水龍の方向を見極め、それぞれに一番危険な位置にい
た人達の避難誘導をする者と水遁・土遁による防御壁を作る者に分かれた。
ハヤテ達特別上忍が防御壁の指揮をとる。
イルカも水龍の直撃を避ける位置まで職人を連れて逃げ、そして印を組んで防御壁を作る
方に参加しようとした。
と、上擦った青年の声がイルカの耳に届く。
「イ、イルカ先生っ!」
イルカはその声に振り返り、叫んだ。
「何をしているっ!」
下忍の青年は視界いっぱいに襲い掛かってくる大量の水の固まりに足が竦んでしまったら
しい。咄嗟に職人達を逃がしたのはいいが、イルカ達の様に防御壁を作るチャクラも術の
知識も無い彼は、そこからどうしたらいいのかわからなくなってうろたえている。
「あのドジがっ!」
彼がいるあの位置では直撃は避けられても水の勢いで流されてしまう。
イルカは組みかけていた印を解いて彼の方へ走った。
ドドド、と鼓膜を揺るがす大音と共に水龍が中州を叩く。
「俺につかまってろ! 水陣壁!!」
青年を背後に庇ったイルカは、印を組んで小結界を築いた。
勢いのまま流れてくる大量の水が頭上までも覆っていく様に、青年はイルカの背中にへば
りついたまま息を詰めている。
もしも水の勢いが弱まる前にイルカの術が解けてしまったら、彼らは二人してこの濁流に
呑み込まれるだろう。
「ひ…」
自分の背中で震え始めた青年の様子に気づいたイルカは、その緊迫した状況に似合わない
苦笑を浮かべた。
やっぱりこれじゃ当分コイツは中忍試験には受からんだろうな、と。
「…大丈夫だ」
「イルカ…せ…」
「大丈夫だ。…俺がいる」
イルカの落ち着いた声に、青年も落ち着きを取り戻したようだ。
「は…はい…」
まだがっちりと握ったイルカの法被は放さなかったが、動転しかけた青年の『気』が静ま
っていく。
イルカは術を保つ方に意識を集中した。
水龍の大きさから計って、もうそろそろ水の勢いは弱まるはずだ。
周囲を取り巻いている水の膜壁が薄くなっていくのが、視認出来る光量でわかる。
作っている壁に感じられる水圧、抵抗感も軽くなって、危険な状態は過ぎ去ったとイルカ
は判断した。
「もう大丈夫だ。流れが収まった。術、解くぞ。…まだ水の中だけどな」
一度は静まった青年の気が、俄かに乱れたのに気づいてイルカは肩越しに青年を見た。
「……まさか泳げないとか言うなよ?」
「すみませんっ! そのまさかですっ! お、おれ、水練苦手で……」
思わずイルカは叫んだ。
「この未熟者がーっ!」
この野郎忍者やめちまえ迷惑だバカ野郎etc……普段抑えに抑えて滅多に口にしない罵
詈雑言がイルカの脳内に渦巻いた。



「イルカ先生……大丈夫だったよな…? まさか水龍にやられちゃったりしてないよね? 
いや大丈夫! オレのイルカせんせはそこまでドジじゃないもんね」
水龍弾を放った張本人、カカシは河原の無惨な様子を堤防の上で眺め、今更ながら「ちょ
っと無茶だったかな?」と呟いていた。
木がなぎ倒され、水嵩が増して、まるで台風の後のような花火大会会場。
後ろからカカシに追いついてきたゲンマも思いっきり顔を顰めている。
「……カカシ上忍……ちょっとコレは……」
カカシはガリガリと頭をかいた。
「………いやその……一刻を争う状況だったし…咄嗟に……」
「そりゃあまあ、アナタが掴んだ情報が間違いでなきゃ…問題の物に火がついていたらそ
れこそ最悪の事態になってましたがねえ…そこら中吹っ飛んで、死人の山だ」
「……ガセだろうがなんだろうが。…可能性が1%でもありゃ無視出来んでしょうが。…
あの忍崩れの盗賊野郎ども……」
ゲンマはため息をつく。
「花火玉の一部を爆弾にすり替えた…って話ですがね。こう綺麗さっぱり水で押し流しち
まっちゃ、証拠もクソも……」
「ああっ!」
ゲンマの言葉を遮って、カカシは声を上げた。
ぼうっと眺めていた水面に、ぽかりと人の頭が浮き上がったのだ。
「イルカせんせええええぇぇぇ――――っ!!」
その水に飛び込むが如き勢いで、カカシは堤防を駆け下りた。
「……カカシ先生……?」
その声にイルカは訝しげに目を細めた。
「まさか……こんな所にいるはずが……」
が、こちらに向かって走ってくるのはまぎれも無く今朝送り出したはずの恋人。
イルカは泳げない青年を引きずるように連れて水の中を岸辺に向かって移動した。
「そら、もう足つくぞ」
「すいません…も、申し訳…ないです……」
いくらカナヅチでも大丈夫な所まで青年を連れて来たイルカは、手を離して一人ざぶざぶ
と浅瀬になった川を渡った。
「イルカ先生っ! どうして……」
叫ぶカカシに、イルカは目を眇めた。
花火までに戻ってこられる任務ならば今朝あんなにカカシがグズるわけがないのに、おか
しい。
「そりゃこっちのセリフです。どうしてこんな所にいらっしゃるんです? もう任務終わ
ったんですか」
構わずカカシはわめく。
「アナタねっ! あれくらい避けられるでしょっ! オレはアナタの力を信じてあの術を
かましたのにっ!」
「……なんですって…?」
ずぶ濡れのイルカの目つきが剣呑になった。
「………それはつまり…あの水龍は貴方の仕業だったという事ですか…?」
「そうですよ! だってだってっ! あれ消さなきゃイルカ先生が……」
カカシは最後まで言い訳を言わせてもらえなかった。

「何て事するんですかアンタって人は――――ッ!!!」

いい加減キレかけていたイルカが完全にキレ、怒号を落とすと共に思わずとんでもない事
をしでかした上忍を張り倒したので。

「ごめんなさいいいいい―――――っ!」

中忍に張り倒されながら反射的に謝ってしまう上忍。
その様子をやはり濡れ鼠の下忍の青年は目を丸くして眺めていた。



その後、カカシが盗賊の生き残りから聞き出した情報はかなり信憑性があり、あのまま花
火大会が続けられていたら大惨事になっていた事が判明した。
だが、その『最悪の事態』を避ける為にカカシが取った手段がまた極端なものであった為、
彼は三代目にお説教を喰らうハメになる。
なにせ、マッチの火を消すのに洪水を起こしたようなものなのだから仕方ない。
幸いその場に大勢の忍が警備にあたっていた為、人的被害はゼロで済んだ。
一人の死傷者も出なかった事は『不幸中の幸い』である。
爆発は未然に防げても、あのカカシの水遁でもしも死傷者が出ていたら何にもならない。
三代目に労いとお説教を同時にたっぷりと聞かされ、うんざりとした顔で執務室から出て
きたカカシを廊下で待っていたイルカが迎えた。
「お疲れ様」
「あ…待ってて下さったんですか、イルカ先生…いやもぉ、絞られちゃいましたー…やっ
ぱ、無茶だったですかねえ…」
ハハ、と頭をかくカカシにイルカは追い討ちをかけた。
「…本当ですよ。…もっと何か別の方法は無かったんですか…?」
イルカに横目で睨まれて、カカシはしょぼん、と項垂れる。
三代目に叱られるよりイルカに睨まれる方がカカシには効くらしい。
「…だって…もし爆発が起きたら…一番近くにいたアナタ、死んじゃうじゃないですか…
オレ……」
そんなの耐えられない、とカカシは涙目で訴える。
やれやれ、とイルカはため息をついた。
「ま…終わり良ければ、という事にしましょうか…確かにあそこで大爆発が起きていたら、
死ぬのは俺だけじゃないですからね」
花火を楽しみに集まっていた多くの里人、イルカに『頑張ってね』と手を振っていた可愛
らしい少女も。
今頃息をしていなかったかもしれないのだ。
「イルカ先生……」
「方法は随分と乱暴でしたが。…一応貴方は里を守りました……」
やっとカカシにイルカの微笑が向けられる。
「…ありがとうございました」
カカシの顔がふにゃん、と安堵に緩んだ。
「イルカせんせえええええ〜〜〜〜〜…」
「あー、ハイよしよし……張り倒したりしてすみませんでしたね」
肩に懐く上忍の頭をイルカは撫でてやる。
カカシがあんな乱暴な手段に出たのは里を―――イルカを守る為。
その事実に面映い嬉しさをイルカは感じた。
幾分、後ろめたさはあったが嬉しい事に変わりは無い。
安心したようなカカシの笑顔が可愛いと思う自分は相当毒されているのかもしれない。
イルカはカカシを促し、共に帰路についた。

「そうだ、カカシ先生」
「はい?」
「……川原の復興と整地が終わったら、改めてやるそうですよ。…花火大会」
カカシは眼を見開いた。
「本当ですか?」
「職人さん達の努力を無駄にしたくはないですしね。…もの凄い努力の末開発した新色、
まだ打ち上げていないんですよ。…作り直して下さるそうです。整地もあるから、秋の花
火大会になってしまうかもしれませんけどね」
イルカはカカシの耳元で囁いた。
「そうしたら一緒に…見ましょう。今度こそ」
「はいっ! 意地でもオレ任務入れませんっ!」
キラキラしている上忍に、イルカは少しだけ意地悪を言う。
「そうそう、それからサクラといのに文句を言われるのは覚悟しておいて下さいね。あの
子達、それはそれは張りきって買ったおニューの浴衣着ていたんですよ。あの水龍でせっ
かくの浴衣が台無しになったって、そりゃあもう怒ってましたから」
カカシは「ええっ」と声を上げた。
「いやでもサクラだって忍者の端くれ、非常事態だったって事くらいわかるでしょ?」
イルカは同情めいた笑みを浮かべてみせる。
「甘いですよカカシ先生。…敵は『女の子』なんです。理性で承知している事と、感情は
別物。…特に新しい服やら好きな男の子に関する事になると、彼女たちにとっては里の一
大事と同等でしょう。…この先一年は言われ続けるかも」
カカシは頭を抱えた。
「…うわ…カンベンして…あのキンキン声攻撃はオレも苦手〜…助けてイルカ先生」
イルカは笑って頷いた。
「ま、仕方ない。他ならぬカカシ先生ですからね……助けてあげます」
「ホントっ?」
「彼女達にとっては少しメニューの値段が高い憧れのデザートを出す店が出来たんですよ。
あそこでケーキでもご馳走するって言えばたぶんご機嫌直るでしょう」
なるほど、とカカシは納得する。
「情報提供ありがとうございます」
「いえいえ。…それじゃ俺達も帰ってメシにしましょう」
「はいっ」
カカシの顔に笑みが戻る。
その笑みにイルカも微笑む。


何の因果か運命か。
いつの間にかこの希少で奇妙な上忍をこんなにも自分の内に入り込ませてしまった。
それは、イルカにとって心地よい事で。
彼の幸せそうな笑顔を一番たくさん見られるのが今は自分だという事が―――その事実がイ
ルカにとっての幸福でもあったのだ。

 

 



 

もう少しラブラブなお話になる予定だったんですが〜・・・終わり良ければすべてヨシ・・・?(良かったのだろうか…)
どうも青菜んち、プチ『サザエさん現象』に突入している模様。いつまでたっても永遠に小学生のカツオ君達のように、いつまでたっても中忍試験を受けられないナルト達…(笑)ぐるぐる。
中忍試験以降は里の様子が色々と変わっちゃうんで、書きにくいから。ハハハ。

何気にかつての『10万HIT記念SSリクエスト』で頂いたお題のひとつ、『カカシを張り倒す男前なイルカ(by じん様)』を書いたような気も。(笑)
男前かどーかはともかく、上忍叱り飛ばしましたね、中忍。はっはっは・・・

03/7/31〜9/27

 

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