空に咲く花−4

 

イルカは赤く染まり始めた空と大地の境界を眺めて目を細めた。
この仕事における相棒の青年に、今のうちに軽く食事を摂ってくるように指示を出し、自
身は河原に腰を下ろして、用意しておいた握り飯を口に運んだ。
「せんせ、手伝ってもらって助かりましたわ。やっぱ、あれですな。忍者の兄さん方は火
薬の扱いにも慣れているんで安心ですわ。お、握り飯ですか。お茶ありますよ、お茶」
イルカが何も返事をしないうちに声を掛けてきた花火職人の男はヤカンを取りに行ってし
まう。
「あいよ、せんせ、お茶。良かったら漬物もどうぞ」
イルカは差し出された安物の湯飲みと、漬物が乗った紙皿を受け取る。
「ああ、すみません。頂きます」
男は手庇で空を仰いだ。
「良かったですわ。花火日和ですよ、今夜は。上空で少し風が出始めているようだし」
イルカは空を見上げる。
「…そう言えば、少し風が出てきましたね。大丈夫ですか?」
「なあに、無風よりいいンです。あんまり風が無くてもね、打ち上げた花火の煙がいつま
でもそこに残っちまって、肝心の花火がよう見えんようになりますからな」
イルカはそうか、と納得した。
「なるほど。打ち上げに支障の出ない程度の風は必要なんですね」
男は笑って頷く。
「その通りですわ」
「後は打ち上げるばかり、ですね。皆この花火を楽しみにしているんですよ」
「ああ、喜んでもらえたら頑張って作った甲斐もありますなあ。あの、打ち上げた時の皆
さんの歓声とかね、笑顔が嬉しいんですよ。思わず出たって感じの「お〜っ」ってヤツね、
あれって、本当に感嘆してくれてるって感じでしょ。もぉ、色が上手く出せなくて頭かき
むしっていた苦労なんか全部吹き飛びますわ」
イルカは黙って頷いた。
一瞬で咲いて散る空の花。
その一瞬の花の為に、裏で血の滲むような努力をしている人達がいる。
だからこそあれほど美しいのだろう。
任務で里内外の様々な仕事をしている人々に接する度、イルカは同じ感慨を抱く。
この人達は凄い。
そして、その凄い人達を守るのが自分達忍の仕事であり、誇りでもあるのだ、と。
イルカは花火職人に微笑みかけた。
「成功させましょう。…私も精一杯お手伝いします」
ああ、と男は腕を捲り上げ、ふと真顔になった。
「せんせ、いっそ忍者辞めてウチに来ませんかい? カンもスジもいいから、いい職人に
なれるって親方も言ってますんですけどね」
ウチも後継者不足でねえ、と言う男にイルカの笑顔が微妙に引き攣った。
「そ、それはどうも……でも私は教師という仕事にやりがいがあると思ってますから」
それに、自分はおそらく死ぬまで忍者だ。骨の髄まで忍としての習性が染み込んでいる。
たとえ闘えなくなっても『忍』であり続けるだろう。
「そーですかぁ…残念ですなあ…もったいない…。ま、それじゃこの後の打ち上げの方、
よろしくお願いしますわ」
「はい」
この職人にとっては『忍者』よりも『花火師』の方がいい職業なのだろうな、と男の
背中を見送って、イルカは握り飯の残りを口に押し込み、冷たい麦茶で胃に流し込む。
確かに、人に喜ばれる職業としては花火職人の方が上かもしれない。
「……空に咲く花……か。せめて遠くからでもカカシ先生見られりゃいいんだがなあ…」
イルカは夕焼けを眩しげに見つめた。
「…………父ちゃんと母ちゃんも見るよな……きっと、二人で仲良く……」
逝く時も二人で仲良く逝ってしまった両親だ。
ある意味理想的な夫婦である。
お互い後に残される悲しみも、置いていく心残りも無く。
心残りがあるとすれば、後に残していかなければならない小さな息子の事だけだっただろ
う。
だが、男と女としては望んでもなかなか実現は難しい添い遂げ方が出来たな、とイルカは
思うのだ。
自分とカカシは立場も違い、いつも違う任務につく。
余程の偶然が無ければ同じ戦場で同時に命を落とすような事にはなるまい。
どちらかが確実に置いていかれるのだ。自分達は。
イルカはちぇ、と口の中で呟いて足元の小石を軽く蹴った。
「…いいなぁ……父ちゃんと母ちゃんは………」



イルカが小石を蹴っていた頃。
その恋人であるカカシは全速力で駆けていた。
「ああもうーっ! 一匹くらい忍犬残しておくんだったーっ!」
カカシの忍犬は口寄せすればすぐに現れる。
いつもなら。
だが、何事にも例外はあって―――カカシの忍犬達は今、『メンテナンス』中であった。
いつもなら半数は待機させておくのだが、今回は調整師の都合で全頭一斉の調整になって
しまったのである。
「くそ…っ……イルカ先生っ……!」
カカシは沈む夕陽を睨みながらひたすら走った。
「沈むなーっ! バカ夕陽ーッ!」

カカシの叫びも虚しく、夕陽はきちんとその季節に合った時刻に山の向こうに沈み、空は
どんどん暗くなっていく。
「……日が落ちたな。よからぬ事をたくらむ連中にはこれからがもってこいの時間だ。気
ィ抜くなよ!」
ゲンマの喝に、せっかくの祭りに警備担当になってしまっている忍者達は殺気のこもった
低い声で「おゥッ!」と応える。
薄暗くなった路地に出ている夜店の明かりや家々の提灯が、祭りの雰囲気を高めていた。
一応周囲に気を配りながらぼーっとその明かりを見ていたハヤテの横をはしゃいだ子供が
駆けていく。
「おかぁちゃーん、花火花火ィ! 早く見に行こうよお」
「これ、走りなさんな! 花火はまだよ。もう少し暗くなってから!」
「じゃあ、金魚すくいやっていい〜?」
「ダメ! ウチは猫飼ってるんだから! ハヤテがみんな食べちゃうよ!」
ゲホゲホ、と咳き込む月光ハヤテ。
どうやら見も知らぬ家の飼い猫と同名であるらしい。
「…………花火……か。確かにこれからは一番人が集まる場所。……もう少し警備を配置
した方がいいでしょう…かね」
イルカが会場にいるとしても、彼は打ち上げの方に手を取られている。
「やれやれ…何事も無ければいいけれど……」
こんな規模の大きい打ち上げ花火は、里でも年に一度なのだ。
忍も人の子、『お楽しみ』くらいは欲しいものである。
だがここは里を守るのが最優先。
里の中の人の流れが確実に花火の打ち上げ会場である河原の方角に集まっているのを横目
に、指令を受けた忍達は『自分がここで騒ぎを起こしたいなら何処に行くか』を考えなが
ら各所に散っていった。
いよいよ、花火の打ち上げ時刻が近づいてきていた。
実際の打ち上げは川の中州で行われる。
河原でイルカは職人達と打ち上げ手順のおさらいをしていた。
「じゃあ、3度目の点火で最初の大玉を上げるんですね? この赤いコヨリのついている
…それから小さめのを3度、中、大の繰り返し。最後に目玉の乱れ打ち」
「はいそれで行きましょ。一番右のは先生達にお任せしますわ。よろしく」
「了解です」
消火用のバケツを用意している下忍の青年にイルカは小さな声で囁く。
「頭は? 頭痛、もう大丈夫か」
青年はハイ、と頷いた。
「打ち上げ手順間違えないかの方で頭がいっぱいで。頭痛も吹き飛びました」
恥ずかしそうに頭をかく青年の肩をイルカは苦笑しながら叩く。
「……お前、アカデミーで試験の時になるとハラ痛くなるタイプだったろ」
青年はびっくりしたようにイルカを見る。
「わ、わかりますか…さすがに先生ですねえ」
(…なるほど、本番に弱いタイプか……)
なかなか中忍になれないわけである。
逆にイルカは本番には強い。いざとなると度胸が据わるタイプだった。
「大丈夫だ、俺もいる。…火が飛んで準備中の花火玉に引火しないようにだけ気をつけて
いてくれ」
「は、はい」

空はすっかり花火の為のスクリーンのように濃い色になった。
集まって来た人々は、今か今かと空を見上げて期待に顔が輝いている。
「いくぞぉ! 一発目!」
いよいよ、打ち上げが始まる。
イルカ自身もどこか心が浮き立つのを感じて、慌てて気を引き締めた。
「点火!」

ドン、と大きな音が響き渡った。
夜空に広がる華麗な光を見て肝を冷やしたのはおそらくカカシだけだろう。
「始まったか!」
その時彼は里の大門に辿り着いていた。
「あ! ちょっとすみません!」
門を駆け抜けようとした彼を、見張りの中忍が呼び止める。
カカシは苛々と振り返った。
「何だっ!!」
「今日は出入り審査を念入りにするように言いつかっておりまして。改めさせて頂きます」
「急いでいるんだよッ!」
回り込んでカカシを止めようとした中忍は、押しのけられそうになった事でかえって意地
でも職務を遂行しようと頑張る。
「お待ち下さい!」
ますます苛立ったカカシが問答無用で押し通ろうとした時、ゲンマが通りかかった。
「…カカシ上忍? 何でこんな所に…任務じゃなかっ……」
「ゲンマッ!」
カカシは職務に忠実な中忍を弾き飛ばし、門の中に飛び込んでゲンマの襟首をつかむ。
「ななな…っ何事ですッ」
カカシは乱暴にゲンマを引き寄せて二言三言その耳元で囁いた。
途端にゲンマの顔色が変わる。
「オレは阻止しに行く! だがヘタすりゃ里中恐慌状態になるぞ!」
「わかりました。手を打ちます!」
その頭上で二発目の花火がドォン、と広がった。
カカシは路地を埋める人達を一瞥し、瞬間眉を顰めて跳んだ。
普段は無い提灯や電球が邪魔で跳びにくい。
カカシは民家の屋根を足掛かりにして更に跳び、障害物の少ない『上』に出た。
そこからは超人的な脚力で密集する建物の屋根から屋根へ飛び移って一路河原を目指す。
気ばかりがあせる。
ああ、あそこにはイルカがいるのだ。
一番危険な場所に、カカシの一番大切な人が。
もう、カカシは手段を選ぶ余裕を無くしていた。
まだ間に合う。
まだ。
まだ。

今なら―――


「水遁水龍弾!!!」

いきなり花火会場に巨大な水龍が襲い掛かった。

 



 

NEXT

BACK