「ふむ。…わかりませんか」
「はあ……すいません…」
ふー、とカカシはため息をついた。
「簡単なのにな。……要するに、貴方が敬語使わなきゃいいんですよ。歳なんてたいして違わないんだし、オレ、イルカ先生とは普通に友達として付き合いたいって思うんですよね」
イルカは目を見開いた。
「…この間は、ずっと他人行儀な話し方をした。…そりゃあそうですよね。お互い会ったばかりで、名前も素性もわからない相手です。貴方もオレも、自分が忍者である事は伏せた。当たり前の事ですけどね。見ず知らずの相手に自分は忍だと名乗るアホウもいないでしょうし。……でも、二度目からは違うでしょう。…お互い、同じ里の忍者だとわかっているわけだし…名前もわかっている……」
「それは…そうです。でも…」
「オレと友達なんて、嫌ですか?」
イルカは大真面目な顔で否定した。
「嫌だったら俺はここにはいません。…正直、友達という意識はまるでありませんでしたが。……友達なんて、自然になっているもので、なりましょうって言ってなるものでもないと……」
カカシはゆっくり首を横に振った。
「…でも貴方は、垣根を作っているでしょう。オレが上忍だと知ってから、無意識に作った垣根。…そんなもんがあったら自然に友人になどなれませんよ」
「それは……!」
「へーい、カモ鍋二人前お待ちどーさまーっ! 火ィつけるから気ィつけてねー兄ちゃん達!」
イルカが反論しようとしたところに、カモ鍋が来てしまった。卓上コンロに火がつけられ、適当に野菜類が煮られた鍋と、生の肉が来る。
「……取りあえず、食いましょうか…」
「そうですね……」
そこでやっとカカシは口元の布を下に下ろした。
思えば、イルカはこの間はずっと彼の口元を見ながら話していたような気がする。
カカシのいつものスタイルでは、否応なしに唯一晒されている右目に視線が行く。カカシの得意とする幻術を相手にかけるには都合がいいだろう。それが目的で顔の大部分を隠しているわけではないだろうが。
「……貴方、真面目な人だから……」
割り箸をぱちん、と割って、カカシは苦笑する。
「礼儀とか…秩序とか…そういうものを考えてしまうんでしょうね。…大人なら当然ですが…」
そこでカカシは思い出し笑いをした。
「そこいくと、あいつらなんてひどいもんですねー。ナルト達。あいつら、下忍になりたての分際でオレにタメ口。礼儀もへったくれもありゃしない」
イルカは我が事のように恐縮した。
「あああっすいません! 俺、そういうのちゃんと指導しなかったから! あいつらにタメ口許しちゃったの、俺みたいな気がします!」
だからね、とカカシは葱を口に入れる。
「十以上年下の下忍が! しかもまだ指導者が要るガキがタメ口なのに、歳も近けりゃ立場も同じ貴方が、ちょっと階級が違うだけでバカ丁寧な他人行儀で話さなくていいでしょって言ってんです」
イルカはビールを口に運んで渋い顔をした。
「…あいつらはまだ、上忍がどういうものかちゃんと本当には理解してないんですよ……だから、そんな口がきける」
カカシは眼を眇めた。
「……そうかもしれませんね。…そして、貴方は忍者がどういうものかちゃんと知っている。……だから、忍者としてのオレがどういう人間か…大体わかっているでしょう。…だからね」
イルカのコップに、自分のコップをカチン、とぶつける。
「それ以外のオレを見てくれませんか」
二人の階級が異なっていた事に戸惑ったのは、自分だけではなかったのだとイルカは気づいた。カカシはカカシで、どうしたら忍者としての能力階級を障害とせずにイルカと付き合えるのか悩んだらしい。
気にするとすれば、カカシの方ではなく、イルカの方だ。イルカが格の違いを気にして遠慮して、言いたい事も我慢するとしたら……それはカカシにとっても、苦痛なことなのだろう。
イルカはそのカカシの気持ちを素直に汲んだ。
何か気の利いた事を言いたい。カカシの気持ちがとても嬉しいと伝えたい。だが、不器用なイルカは言葉が見つからず、結局ありきたり以下の事しか言えなかった。
「ええと…その…はい」
だが、そんなイルカの返事でもカカシは極上の笑みを浮かべた。イルカは、その彼の笑顔に一瞬見惚れる。ビールなどで酔うわけがないのだが、酔ったかのように動悸がし始めていた。
「じゃあね…とりあえず、はたけ上忍、なんて寂しい呼び方やめてくれません? オレの事は『カカシ』って呼んでくださいよ。ね?」
イルカは何とか平常心を取り戻そうと足掻き、やっと返事を口にした。
「そ…それは〜…マズイですよー」
むー、とカカシは口を尖らせる。
「…ダメ? オレも貴方をイルカって呼ぶから……ならいいでしょ?」
「それは誰が聞いても全然おかしくないでしょう。俺が貴方を呼び捨てにしたら、聞きとがめる人もいますよ」
「そんなん放っておけばいいのに。あ…じゃあ…二人っきりの時なら構わないでしょ。ね!」
イルカはビールを噴きそうになった。
「そしたらオレも、プライベートでなら敬語使うのやめますから。…こうしてメシ食う時とか」
イルカの表情を見て、カカシは微笑う。
「…些細な事にこだわっているって顔だ」
カカシのその口調に、イルカはすぅっと落ち着きを取り戻した。今までのカカシの言葉を思い返し、イルカなりに考える。
「……貴方が言いたい事もわかる…と思いますよ。……もしも、仮に今横にいる中忍の友人が上忍に昇格したら、俺はどうするだろうと思ったんですよね。…そいつが本当に俺を友人だと思ってくれているなら、急に言葉遣いやら態度を変えてそいつが喜ぶとは思えない。…反対に、自分は上忍なんだからもう馴れ馴れしい口を利くな、と怒るような奴とはもう友人付き合いは無理でしょう」
カカシの表情が僅かに曇ったのを、イルカは見逃さなかった。
「……経験、おありですか?」
カカシは苦笑いを浮かべてビールを飲み干した。
「…参ったなあ…貴方ときたら、鈍いフリして結構鋭いんだから。………そうですね。オレは結構早く中忍になってしまって…心の成長が追いつく前に…子供のまま上忍になってしまったようなところがあるんですよ。それでね、その時…別に中忍だろうが上忍だろうが友達は友達だろうって……友達だとオレは思っていたのに…向こうからオレを避けるようになって……オレは、そいつの複雑な胸の中を思い遣れるほど大人じゃなくて…あいつから見れば、オレの態度は傲慢なものに見えたのかもしれない……」
イルカは黙って、相手のコップにビールを注ぎ足した。
「……貴方とは、そういうのが無関係な所で逢ったでしょう…? 普通に、ただの同年輩の男として。…だから……そういう関係でいたかっただけなんです……貴方を困らせたいわけじゃない…」
店内の賑わいと、卓上コンロの上の鍋がクツクツ立てる音。
その音の中で、二人はしばらくそれぞれの思いを抱えて黙っていた。やがてイルカは自然な動作で取り箸を手にし、鍋をつついた。
「…カモ、煮えていますよ。ほら」
カカシの取り皿に取ってやる。
「食べないと堅くなりますよ。はたけ…いえ、…カカシ…先生」
驚いたように顔を上げるカカシに、イルカは微笑んだ。
「…良かったですよね。同じ里の忍で。これが他の里の忍者同士だと、友人以前の問題ですもんね。事があったら殺しあわなければならない友達なんて、辛すぎます」
「…イルカ…せ…」
「正直なところ、言いましょうか。…俺、どんな形でもまた貴方に会えて嬉しかった。…おそらく、もう会えないと思っていましたから。……またこうして一緒にメシ食えるのがすごく嬉しいんです。…それだけじゃいけませんか…?」
カカシは何とも言えない顔をして、優しく微笑むイルカを見つめた。
「……どうしよう…」
カカシの手からカラン、と箸が転がり落ちた。
「ど、どうしました?」
イルカは慌てて彼の箸が床に落下するのを防ぎ、カカシの顔を心配そうに伺った。
「俺、変なこと言っちゃいましたか?」
おろおろするイルカに、カカシは笑い出した。
「ホントに、貴方って人は……」
イルカから箸を受け取り、イルカが取ってくれたカモの肉をぱくんと幸せそうに口に入れる。
自分が何故この中忍に固執するのか、自分でもよくわからなかったカカシだったのだが―――
(…まずいなあ…これ以上はヤバイかも……)
最初は、単に一緒に食事をしていて楽しかった男。一緒に歩いて、話して…ただそれだけの事が、カカシにとっては新鮮で貴重な体験だった。上忍だの写輪眼だの全く関係なく、ただ普通に―――
だから、彼が木ノ葉の中忍だとわかった時、カカシは少なからず落胆したのだ。だが、もしかしたら、彼なら―――そんな事を気にせず付き合ってくれるかもしれない……そんな望みをかけて、今日イルカを食事に誘った。
そして―――彼のあの笑み。『気に入った』からもっと進んだ気持ちに自分が陥る可能性にカカシは気づいてしまった。
イルカの方は、取りあえずカカシが食事を再開したのを見て、ほっとする。もしかして、カカシに引かれてしまうような事を口走ったのではないかと心配になっていたのだ。
「…参っちゃいますね。…ま、オレは言いたい事は言ってしまったから。……言うつもりのない事まで言っちゃったけど。…貴方の口から嬉しい言葉も聞けたから、言った甲斐はあったかな」
イルカはかぁっと自分が火照るのを感じた。
「…いやその…何か、恥ずかしいコト言ってしまった気もします…変ですよね。男の貴方に、告白したみたいな感じで…」
あはは、とイルカは照れ笑いで誤魔化した。
「いやー、オレ達、相思相愛だ。結構結構」
カカシも茶化すように応じる。ようやく、二人とも屈託の無い笑い声を上げた。もう、言葉遣いやらお互いの呼び方がどうとかいう事は、話題に上らなかった。
カカシは、時々デスマス調を挟むものの砕けた口調になっており、イルカは相変わらず丁寧に話す。ただ、取ってつけたような慇懃さではなく、親しみを込めた丁寧さがカカシの耳に快かった。
鍋をきれいに食べ終えて、カカシはサービスのお茶を啜っている。
「結局、オレも先生になっちゃいましたよ。…柄じゃないんですけどねえ。これからが大変って感じかなあ…」
イルカも熱い茶を美味しそうに啜る。
「あは、そうですね。でも、よくあいつが合格できたもんだと思いますよ。本当に」
「あー、あれねー…本当の意味で合格なのはサスケだけでね。後はおまけの合格ってとこです。まあ、あのラーメン小僧も見どころありそうだから、一緒に面倒見る気になったって感じ」
イルカはやっぱり、と言った顔で苦笑した。
「…そうでしたか…」
「あの班割りしたの、貴方でしょ。ご丁寧にサスケまで入れてくれて…三代目は無責任に健闘を祈ってくれちゃうし、もう……」
やはりカカシは三代目がわざわざ選んでナルトの監視役につけた忍者だったのだとイルカは悟った。
「いやその…班の力を均等化しようとしたら、ああなりまして…サスケにでもフォローさせないとアレは危なっかしくって」
「ま、あいつらも面白い忍者になりそうで、楽しみかな。…今のところ、大した任務じゃないから遠足の引率みたいですけどね。貴方の苦労がわかるのはこれからかと思うと」
ちら、と店の戸口にカカシは視線を向ける。
「……待ちの客がいるようだ。出ましょうか」
「あ、そうですね」
熱気のこもる店内から一歩外に出ると、冷やりとした空気が二人を包んだ。
「おー、中暑かったんだー」
カカシはまた顔の大半を覆ったスタイルに戻って、両手を上げて伸びをした。
「さあて、明日もガキ共の付き添いだー! イルカは明日も受付に?」
「ええ。…しばらくは三代目の言葉に甘えて、あまり動かなくていい業務についています。アカデミーで子供の指導をすると、どうしても激しい動きをする羽目になるんで」
カカシはしまった、という顔をした。
「失念してた…貴方、怪我人でしたっけ…」
「あ、大丈夫ですよ。無理して治りが遅くなるとかえって皆に迷惑かけるので、大事とっているだけですから」
「ビールなんか飲ませちゃまずかったな」
「あー…平気ですってば。今は出血しているわけじゃないし。俺も飲みたかったんですよ」
本当に? とカカシはイルカの顔を覗き込む。
そのカカシの視線に、イルカはニッと笑って見せる。
「一応自己管理くらい出来ますから」
「…失礼しました」
カカシはわざと大仰に頭を下げる。
「やだなー、もーからかわないで下さいって」
ははは、とカカシは笑いながらイルカを促して歩き出した。
「ま、マジな話、お大事に」
「…ありがとうございます」
ふたりはしばらく、黙ったまま通りを歩いた。通りが分岐点に差し掛かるたび、方向を確かめながらまた肩を並べて歩き出す。何回目かの分岐点で二人の方向が別れた。
「じゃ、ここで…」
「おやすみなさい」
イルカはカカシの背中に声を掛けた。
「カカシ先生」
はい? とカカシは振り返る。
「あいつらと付き合っていると、絶対に息抜きが必要になります。…そしたら、言って下さい。…花、見に行きましょう」
月明かりの中、イルカがはにかんだ笑みを浮かべて立っていた。カカシは彼の笑顔と言葉が素直にただ嬉しくて微笑み返した。胸の辺りが暖かい。
「…はい、ぜひとも」
自分の目に狂いは無かったなあ、とささやかな幸せに浸るカカシであった―――
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