アスマの受難日−2

 

どうしてカカシの為にここまでしてやらねばならないのだろう。

アスマは我が身を振り返り、そっと心の中で涙をぬぐった。
高級料理店の特上鰻重の為ではない事は確かだ。
いくら高い店だと言っても、上忍のアスマにとっては月にニ、三度通ったところで痛くも痒くもない出費だ。
それを、カカシに奢らせる為に無理をするというのは本来考えられない事である。
ただ、カカシのワガママの為に本当のボランティアになってしまうのが業腹だっただけ。
「……ご褒美くらいあってもいいよなあ…」
今、アスマはアカデミー構内にある樹によじ登り、望遠カメラを構えていた。
アスマとしては、やるからにはカカシにすら気取られないように完璧な盗み撮り(……)をしてのけたい。
イルカ一人を撮るのだったら簡単だった。
今でも教師を続けているイルカは、よく子供達と演習場やら中庭やらに出てきてあの人の好い笑みを振りまいていたから。そんな時のイルカは、忍服を着ているのが不思議なくらい『普通の男』に見えた。
ことにアカデミーに入りたての幼い子供達が彼の腰や脚にまとわりついている様子は、教師と言うより保父さんのようで、何とも微笑ましい光景だ。
『暖かい笑顔』だと言うカカシの表現も間違っちゃいねえな、とアスマはその保父さんスマイルのイルカも何枚かカメラに収める。
(…カカシの野郎……あんな、お天道さまみたいな男に惹かれて。 )
アスマはカカシの『恋人』になってしまったらしい男をしみじみと観察する。
アスマとカカシは言ってみれば『類友』であった。どこか似ている部分を持っているから引かれて、一緒にいる。
イルカはたぶん、その正反対なのだろうとアスマは思った。カカシに足りない部分を補う為に居る、パートナー。
そして、あのカカシがあれだけ懐いたところを見ると、一見ぼやっとした頼りなさそうな男に見えるが、懐かれて寄り掛かられても倒れない頑健な精神を持っているのだろう。
「中忍試験を通っているんだから、ちゃんとそれなりに実力もあるんだろうしなー……」
第一、 あのカカシがまるっきり『価値』の無い人間に惹かれるわけが無いのだ。
無害で人の好い優しい人間というだけなら何もわざわざ同業者を恋人に選ばなくても里の中にはたくさん候補がいるだろう。『安らぎ』を期待するならば、女性の方がいいはずだ。
アスマはカカシが特に同性愛好者では無い事も知っていた。分類するなら『バイ』だろう。
要するに『どっちでもいい』という、モラリストが聞いたら青筋を浮かべそうな感性の持ち主である。
「…ま、どっちでもいいってのと誰でもいいってのは違うだろうしなー…当の本人なら『選択肢がいっぱいあっていいじゃん』とか言いそうだよな」
女性の柔らかな肢体をこよなく愛するアスマには理解出来ない感覚だったが。
(あれ…? でもあのイルカ先生ってのはゲイにもバイにも見えんが…)
そこでアスマは頭を振った。所詮は他人の色恋だ。
イルカが本来の好みをカカシによって捻じ曲げられてしまっていたとしても、アスマには何の関わりも無い。どだい、恋なんて不可解なものなのだ。人間関係を他者が云々する方が間違っている。
「………関わり…たくねえなあ…出来れば………」
嘆息。それはたぶん無理だろう。カカシと『お友達』をやっている限り、何らかの形であの非常識カップルに関わりを持ってしまうに違いない。
アスマにとっての救いは、イルカがとても『普通』に近い、カカシよりは常識的な男である事だ。
彼が常軌を逸しているのは、あのカカシ様と平気で(?)恋人関係になって、尚且つ今まで通りの生活を維持出来ている点だろう。
「やっぱ、ある意味すげえわ…あの先生……」
再び嘆息。
アスマは樹の上でカメラを構え直した。




「ええい、これでど――だっ!!!」
アスマはカカシに写真の束を突き出した。もちろん、場所は人目に触れないカカシの部屋である。
「これだけありゃあ、いいだろう。写真立てに入れるなり、額縁に入れるなり、引き伸ばしてポスターにするなり好きにしろ」
カカシは目を(右目だけだったが)見開いて写真の束を受け取った。
「………すっごい…わー、イルカ先生だけのもあるじゃん。…才能あるねえ、アスマ。すごいよ〜…オレ、撮られてるのに気づかなかったヤツもあるし」
「あー? サイノーだ?」
「盗み撮りの才能」
カカシが素早く低くした頭の上を、アスマの踵がかすめる。
「やだなー、アスマったら短気なんだからー……誉めてんのにぃ」
「誉めているように聞こえんわ! ボケ!!」
「どぉぉしてぇ? オレら忍者にとって、フツーの人がやったら犯罪って事が上手に出来るのって優秀な証拠じゃない」
ぐっとアスマは言葉に詰まった。
「…お前なあ……」
「殺人、傷害、窃盗、詐欺エトセトラ」
カカシは楽しげに指を折る。確かに里の一般人がやったら犯罪と呼ばれる行為は、忍者にとっての『仕事』だ。
「………何だか虚しくなるからヤメロ」
アスマが物悲しくなっている間にもカカシは嬉しげにイルカの写真を眺めている。
「とにかくさ、ありがとな、アスマ。…うん、いい顔撮れてるよ。…あ、もー…ガキ共相手にこんな笑顔バラまいちゃってもったいなーい…」
ぷ、とアスマは噴き出した。
「ガキ相手にヤキモチかあ? よく見ろよ。ガキ相手の時とお前相手の時じゃ顔が違うじゃねーか。……お前は、お前に見せるイルカの笑顔が欲しかったんだろう? 良かったなあ、お前の勝手な錯覚じゃなくって客観的に見てもいい顔して笑ってるぜ? イルカせんせ」
カカシは目元を赤らめてソッポを向く。カカシのその様子に、アスマはニヤニヤしながら煙草をくわえた。
(…図星か。)
確かにカカシはイルカとのツーショットが欲しかったのだろう。
だが、彼は自分の見ているイルカの笑顔はいわゆる『目ウロコ』のなせる技ではないかと密かに不安になっていたらしい。それが単なる錯覚ではないと『他人が撮った写真』という形で再確認できたというわけだ。自分がそんな不安を抱えていた事すら、実際に写真を見るまで気づかなかったのかもしれないが。
カカシは珍しくアスマのからかいの言葉に反論するでもなく、アスマに背を向けてせっせと写真を選り分けている。
「ん、とこれでよし!」
カカシはくるんとアスマに向き直った。
「…いくらかかった? 実費払うよ」
「ほおお? 殊勝じゃねえか」
「オレだってね、そこまで図々しくないんだよ。…鰻もちゃんと奢る!」
ふうん、とアスマは感心したように煙を吐き出した。
「なるほど、なるほど」
イルカの義理堅さが少なからずカカシにも影響しているのかもしれない。
「ま、面倒くせえから写真代は鰻の奢りの中に入れといてやる。イルカせんせも誘って、食いに行こうぜ」
カカシはうん、と素直に頷いた。
「あんがと」

その夜、イルカは生まれて初めて『石英』の敷居をまたいだ。
「……あの…どうしてこんな高級なお店で夕食なんですか…?」
イルカは仕事帰りの服装のまま、居心地悪そうにこっそりと周りを見回した。里の中にある限り忍服で入れない所は無い。どんな高級な店でも例外ではなかったが、どうにもイルカは自分が場違いな気がして仕方なかった。
「ん? アスマのリクエストです。ここの鰻がいいんですって。もー、ワガママなクマですよねえ」
カカシはのんびりと笑って茶をすすった。
老舗の高級店らしく、客に気遣いを見せる店は待っている客にもきちんと茶を出す。
予約を入れてなかったとかで、入り口近くに作られたロビーのような所で座敷が空くのを待っているのだ。
「アスマ先生の?」
「はい。ほら、アスマに写真撮らせたでしょう。アレのお礼ですよ。…実はねー、イルカ先生にナ
イショの頼み事もしちゃってオレ。結構苦労させちゃったみたいだから、ね」
「…ないしょ?」
へへ、とカカシは照れたように笑う。
「後でちゃんと言います。…あ、アスマが来た」
アスマの巨体がのっそりと店内に入って来る。
カカシ達が茶を飲んでいるのを見つけ、「よう」と手を挙げ歩み寄って来た。
「遅くなったな」
「んーん。どうせ座敷空いてなかったからさ。もう少し待たされるかな?」
その時タイミング良く案内の者がやって来て、三人は奥の座敷に通された。
「ああ、良かった。お腹すいてたんですよね。あっ! 訊くの忘れてたけど、イルカ先生鰻は大丈夫ですか?」
カカシの問いかけに、イルカは微笑んで頷いた。
「大丈夫です。鰻、好きですよ」
「良かったー」
にこにこしているカカシに、アスマが首を傾げる。
「……あのよう、気になってたんだが……ええと、お前らつきあってんじゃねえの? 何でそう堅苦しい喋り方しているんだ…?」
カカシとイルカは顔を見合わせる。
「………懐かしい問題を提議してくれて……」
カカシがポソっと呟き、イルカも困ったように頬のあたりをかいている。
「それはねえ、最初の頃ちょっと問題になったんだけど……イルカ先生はホラ、常識あるし控えめでしょ? オレがいくら言っても、敬語やめないわけよ。名前だって呼び捨てにしていいって言ったのに、そういう風には呼んでくれないわけ。ウッカリ事故みたいな呼び捨てだって片手で数えられるくらいなんだから……」
「あのでもっっ……俺の方が年下だし、その……」
「とか言って、タメ口は絶対きいてくんないの。…したらね、オレもなんだかつられちゃって、イルカ先生と話す時は何となくデスマスっぽくなるわけ〜……オレの方は時々崩れるけど」
アスマは「はあ」とも「ほお」ともつかない曖昧な相槌をうった。
「でね、話し方イコール親密度ではないとオレは考えるわけ。ま、確かに親しくない奴にタメ口たたく事はあんまりないだろうけど、一番愛しているから一番ぞんざいな口をきくって事はないと思うんだな。だって、今更アスマに敬語なんざ使えないだろー? けど、アスマに対するオレの感情ベクトルはイルカ先生に対するものと同じ方向には向いてないから。言葉遣いだけでオレのイルカ先生に対する愛を測れるわけないの」
イルカは黙って恥ずかしそうに俯いている。
「………てめえ、今ちゃっかりと惚気たな?」
アスマのため息に、カカシは機嫌良さそうに口元を緩めた。
「へへん。今更な事を蒸し返してくれたお礼だよ」
アスマはパタパタと手で顔を扇いだ。
「へいへい、ごちそうさん。まーな、誰かさんはここの鰻重と引き換えてもイルカ先生の写真が欲しかったんだもんなー」
イルカはぱっと顔を上げて、カカシに向き直った。
「カカシ先生! もしかしてナイショの頼み事って??」
カカシはアハハ、と笑うと何やら封筒を引っ張り出してイルカに渡した。
「ええ。イルカ先生カメラ向けられるとあがっちゃうみたいだから、アスマに頼んで自然な感じの写真、こっそり撮ってもらったんですよ。…怒らないで下さいね? 変な写真なんて無いですから。はい、これはアナタの分」
イルカは危険物でも渡されたような手つきでそれを受け取ると、恐る恐る中身を見た。
一枚一枚見ているイルカの表情が、少しずつ変化していく。
カカシに渡された分を見終わると、イルカは真面目な顔でアスマを見た。
「……アスマ先生、才能ありますね。すごいです」
アスマはごほっとむせる。
「………盗み撮りの才能が?」
「え? ああ、そういうのも……いえ、そうじゃなくて写真の撮り方が。…こっそりと写したんじゃ、アングルも大変だったでしょうに」
イルカは手元の写真に視線を戻す。
「……カカシ先生のいい雰囲気とか、すっごくよく撮れています」
途端にアスマは笑い出す。
「ア、アスマ先生…?」
「あーもー、お前ら勝手にやってろよー…ああ、ハラ痛え。同じ写真見てんのにカカシはお前さんしか見てねえし、お前さんはカカシしか見てねえし。
…ったく、恥ずかしいカップルだな、おめえら」
イルカの頬がかあっと上気した。カカシもどこか恥ずかしそうに自分の膝などいじくっている。
カカシが照れたのはアスマのセリフではなく、イルカの『いい雰囲気』という言葉にだったが。
カカシはごほん、と咳払いしてアスマのセリフを無視した。
「とにかくですね、今持ってらっしゃるそれはイルカのものです。実は、アナタだけ写したものもあるんですけど、それはたいていアカデミーの子供らを相手にしている時のものなんです。良かったら今度お見せしますし、気に入ったのがあればアスマが焼き増ししてくれますから……」
アスマはもうカカシのセリフには逆らわなかった。撮る時の苦労に比べれば、焼き増しなんて軽いものだ。
アスマはちょうど運ばれてきた、特上鰻重の芳しい香りにほだされた心境になった。
山椒のいい匂いに、何となく心が和む。
「へいへい。乗りかかった船だわな。焼き増しでも何でもしてやるよ」
彼はここで、きっぱりと「俺はもう何もしない」と宣言するべきだったのだ。
アスマが己の迂闊な発言を悔いたのは、食事が終わって店を出てからだった。

カカシが支払いをしている時、少し離れた場所で煙草を取り出したアスマの肘を、イルカが遠慮がちに引っ張った。
「あ、あの……アスマ先生…」
小さな、カカシには届かないだろう声。アスマは目だけで『何だ?』と聞き返した。
「…あの、カカシ先生だけの写真って……無かったんですけど…すいませんが撮ってもらえないでしょうか…? あの、俺……」
イルカは恥ずかしそうに真っ赤になっている。アスマは頭を抱えたくなった。
ああ、やっぱり。
あのカカシの恋人やってる奴が普通なわけは無かったのだ。男が男に別の男の写真を撮ってくれと頬赤らめて頼む異常性にアスマは内心「もう勘弁してくれ〜!」と叫んでいた。
だが。
こんなイルカの弱々しい『お願い』を撥ねつけるのもしのびない。はっきり言って、断る方が胸が痛む。
「あの……俺はこんなすごい店でお礼は出来ませんけど……」
アスマは降参した。
「あ〜……仕方ねえ、今日のカカシの『礼』でお前のもやってやるよ」
我ながら、何てお人好しな。アスマはため息を我慢してイルカの顔を見下ろした。
そこに、カカシなら絶対に見せない全開の『感謝の顔』を見てしまったアスマは苦笑した。
(―――うむ、可愛いじゃねーか。しょーがねえなあ、こんな顔されたんじゃ…)
「ありがとうございますう」
「うん、ま、じゃあそのうちな。…待ってろ」
「はいっっ」
イルカの感謝の視線が眩しい。
アスマは己がまた一歩泥沼にはまったような気がして、乾いた笑いを浮かべた。

―――ああ、あの時カカシの相手を見てみたいなんて好奇心を起こさなかったら。

アスマは今後の自分を憂いて、ちょっと月に向かって吼えてみたくなった。
それで状況が変わるわけではなかったが。

すべては、あのカカシ様と『お友達』やってる自分が悪いのだ。

 

 



 

アスマ先生のイメージって、もっと大雑把で豪快で面倒くさがりで悪く言うとあんまり親切じゃない感じがしてたんですが、なんか今回書いたアスマサンは・・・マメというか優しいお兄さん(ぶは)になっちゃった感じです。
アスマ視点なので、カカシとイルカの感じがちょっといつもと違うかな??

01/6/6 〜7/29

 

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