+++ たなばた +++

  

普通、入院・加療していた患者は治って退院しちまえばもう病
院には来ない。
それが事故の外傷だったりしたら尚更だ。
もっとも、何故かケガばかりする人間もたまにいて、しょっち
ゅう来る患者もいないことはないが。
退院してリハビリももう必要なくなった―――つまり全快した
健康な元患者が、病院の廊下でニコニコと俺の前に立っている
ってのは珍しい出来事だ。
「お久しぶりです、アスマ先生。その節はお世話になりました」
この、顔のド真ん中に傷痕のある野郎は、子供を暴走トラック
から庇って大怪我した大学生だ。顔に傷なんぞある割に礼儀正
しくて生真面目。よく見りゃ結構男前だってんで、外科の看護
士どもがミーハーにきゃあきゃあ言ってたな。
んでもって、―――その、なんだ……俺の彼女……紅、の従兄
弟だ。
「おう、イルカ君か。どうだ? その後。手術の後が痛んだり
しねえか」
「……ええまあ……なんかね、気圧配置が悪いと疼いたりする
事もありますが……普段は大丈夫です」
「そりゃあ仕方ねえかもなあ……お前さんの場合、もう少しで
一生車椅子になるところだったんだから、天気の悪い日に調子
悪い程度ってのは御の字だと思ってくれや」
そうだったんですか、とイルカは小さく呟いた。ああ、もうち
っとで車椅子だったってのは知らなかったのか。ま…いいわな、
別に今知ったからって何も変わらねえし。
「ところで、どうした? 俺に何か用かい?」
イルカはにっこりと笑いやがった。何だ? その含みのありそ
うな笑顔は。
「…田舎から辛子明太子とカマボコがたくさん来たので。従姉
がぜひお世話になったアスマ先生にも持って行くようにって」
はい、とイルカは白い紙袋を差し出してきた。
「そりゃあ……わざわざありがとうよ。うん、好物なんだ。…
…え〜と、従姉さんによろしく伝えてく……」
イルカは俺に最後まで言わせず、ずいっと身体を寄せて低く囁
く。
「それはご自分で仰ってください。……お忙しいんでしょうが、
お願いしますよ。メールじゃダメですよ。電話してください。
………もしも、彼女と付き合うおつもりが無いんなら、すっぱ
りと振ってやって下さいね」
………遠距離恋愛なんてガラじゃねえんだが、ああいう姐さん
肌の気風のいい美人は俺の好みど真ん中だったもんでなあ……
ああ、でも忙しさにかまけて最近素っ気なかったかも……イカ
ンな……
「……あのな、俺はあんないい女振る気はねえぞ」
「じゃあそう言ってやってくださいよ。あんな強気なヒトでも、
好きな相手のコトじゃ不安になるみたいで……」
イルカは一段と声を落とした。
「………とばっちりがコッチに来るんですよ!」
俺は背を丸めて謝った。
「………………スマン………」
7月7日に学会で京都に行くから、彼女に都合がつくようなら
京都まで出てきてもらって逢うつもりでいたことをイルカに言
うと、彼は胸を撫で下ろしたように微笑んだ。
「……7月7日ですか。……まるで七夕ですねえ」
「んなロマンチックなもんじゃねえけどなあ」
ま、俺もいつまでも七夕やってるつもりはねえけどな。
それじゃあ、と帰りかけたイルカがふと振り返る。
「ところでアスマ先生。…七夕って何か食う日でしたっけ?」
「……いや、特には知らんが?」
「いえ、いいんです……カカシが……あ、俺の同居人ですが…
…七夕はそうめんを食う日だって言うんですが……」
「ああ、思い出した。七夕そうめんってのは聞いたことがある
ぞ」
「……やっぱり、そうなんですか……じゃあ、そうめんだな七
夕は……。ありがとうございました」
イルカは苦笑してぺこんと会釈した。

………幼馴染みの親友と同居ってのも楽しそうだな。
紅が『アヤシイ。仲が良すぎる。ゲイじゃないのかしら、あの
子達』なんて言ってたが……女ってのは想像力が逞しいねえ。
ンなわけねえよな、あいつら。
おっと、電話しておかなきゃな。
七夕、逢えるといいんだが。
電話のきっかけをくれた彼女に感謝しつつ、俺は携帯電話を取
り出した。

 
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病院内は携帯の電源を切るのがマナー……というより、切ってください。危ないから。
というわけで、猿飛先生は外に出てケータイかけているはずです。
紅姉ちゃんと猿飛先生ったら遠距離恋愛してた模様。……アタックは紅さんからだな。

七夕は特に何か食べる日じゃなかったよなーと思ってたんですが、ふと『七夕そうめん』
ってのを思い出しまして。検索かけたら結構出てきたから「ああ、割とポピュラーなのかも」
ト、ネタにしました。……地域性ありそうな気もします。
(05.07.07)