+++ りんじん +++

  

ピンポーン、とチャイムが鳴る。
ソファでテレビを見ていたオレは仕方なく玄関に向かった。
インターフォンで応答する間も無く、ドアがドンドンドン、と
叩かれる。
………誰だよ、コラ。せっかちだな。
新聞代は払ったしな。何かの勧誘か? 何の勧誘でもこのオレ
を引っ掛けられると思うなよ。保険でも宗教でもきやがれって
んだ。ぜってー追っ払ってやる。
「はい。どちら様で?」
無愛想なオレの誰何には、ちょっと色っぽいアルトの声が返っ
てきた。
『おや、いるんじゃないか。コホン……すみません、うみのさ
ん。隣に越してきた三忍野と申します。ちょっとご挨拶を』
「……少々お待ちを」
念の為にドアスコープを覗くと、ドアの前には結構な美女がい
た。チェーンをかけたまま鍵を開ける。これだけ美人だとかえ
って警戒しちゃうよな。
美女はオレの顔と、ドアのチェーンを見てニッコリと微笑んだ。
「いい心掛けだ。…物騒なご時世だものな。訪問者にはそれぐ
らいの用心はしなきゃ。…で、おうちの方はいらっしゃらない
のかな?」
……この女。オレを何だと思ったんだ? 留守番のガキに見え
っか?
「……オレがおうちの方ですよ、三忍野さん。…失礼」
そう言いながら一度ドアを閉めて、チェーンを外してから改め
て開ける。
「こちらこそ失礼した。初めまして、うみのクン」
―――初対面の人間をクン呼ばわりか? でも何だか抵抗はね
えな。この人の持つ雰囲気の所為だろうか。ちょっと男っぽい
っていうか…姐さんって感じのしゃべり方がハマっていて粋な
感じ。……美人って得だな、やっぱ。
「いえ、うみのは友人っす。…ルームシェアしてるもんで。…
オレは、はたけです」
美女はふぅん、と眼を細める。…っとヤベェ……美人なだけじ
ゃなくてすっげー巨乳だこの人。一瞬眼を奪われちまった。
「はたけクン、か。まあ、これからよろしくな。…これはほん
の気持ちだ」
美女は包装された箱を手渡してくれた。蕎麦みたいだな。
「あ、こりゃどうもご丁寧に……」
そこへ何やら野太い声がかかる。
「ツナデ」
美女はちょっと驚いたように振り返った。
「おや、もう解放してもらったのかい、早かったじゃないか。
後二日はホテルでカンヅメだと思ってたよ。……丁度良かった。
はたけクン、これウチの亭主。あんた、隣の人よ。挨拶して」
……何だ、亭主いたのか。いや、オレがガッカリすることない
んだけど。
ツナデさんとやらの後ろから、大男がのそりと顔を出した。
「……あー、わしは自来也っつうもんだわ……よろしくな、若
いの」
「あ…初めまして。はたけです。どうぞよろしく」
大男は白いボサボサの髪を長く伸ばしていて―――はっきり言
って、かなり胡散臭い雰囲気だったりする。…マジ、このおっ
さんがこの美女のダンナ? ……もったいねー……
「あんた、普通は苗字を名乗るもんだよ」
「そーか? あー、三日完徹でな〜頭がよう回っとらんわ…」
仕方ないねえ、と美女はため息をつく。
「ごめんねえ、いつもはもう少しシャッキリしてるんだけど…
…仕事の締め切りで徹夜だったもんだから、この人」
「あ、いえ…大変…ですね」
ん〜待てよ? ホテルでカンヅメ? 締め切り?『自来也』?
「………もしかして、小説家の自来也…先生?」
大男はバチィっと擬音がつきそうな勢いで眼を見開いた。
「おおっ! おぬし、わしを知っておるのかっ! そーかそー
か、エライぞ!」
美女が眼を眇めて突っ込んだ。
「何がエライんだい、このエロ小説家が。…あんたもこんなヤ
ツの書いたモンなんぞ読んでると脳みそ腐るよ」
わあ、お気の毒。奥さんにエライ言われようだな。ベストセラ
ーもあんのに。
「いや〜でも、エロいのもあるけど、まともなテーマのエッセ
イとかもあるし……」
奥さんにヘコまされていたエロ作家は瞬時に復活した。
「おぉおっ! マジに偉いぞ、坊主! エロは知っとっても、
エッセイの方までは読んでおらんってのが普通なんだがのぉ! 
よっしゃあっ読者は大事にせにゃあならん! 待っておれ。サ
イン本をやるからの」
「あ、あの……」
止める間も無く、大男は消えてしまった。寝不足の割に素早い
おっさんだ。
「………ま、くれるってもんは貰っておけば? ああ、あんた
幾つ? アレの書いたもんは殆ど十八禁だよ? ちゃんと読ん
でもいいトシなんだろうね」
「……十九っすよ。これでも、大学生ですから」
「おや、学校どこ?」
「K大です。法学部の二年」
ほお、と美女は感心した顔つきになる。…なんか照れるな。悪
い気しねえっていうか。
「へえ、結構頭いいんだな。難しいだろう? K大の法学部は」
「そうですねえ…でもまだ二年っすから。大変なのは来年から
かと……」
適当に答えていると、エレベーターの扉が開く音が微かに聞こ
えた。もしかして、と通路の角に眼をやると、思った通りイル
カが姿を見せる。
今朝のスーパーのチラシをチェックして、すかさず牛乳とタマ
ゴのタイムサービスに走った所帯じみた……いや、生活能力の
ある相棒は、しっかり戦利品を手にしていた。
「イルカ〜! お帰り。こちら、お隣に越してきた三忍野さん。
挨拶に来てくれたんだ」
これ頂いたよ、と蕎麦の包みを見せると、イルカは如才なく微
笑んで彼女に会釈する。
「初めまして、うみのです。ご丁寧にありがとうございます」
「三忍野です。よろしくね、うみのクン。…嬉しいねえ、お隣
さんにいい男が二人もいて」
イルカはじっと彼女の顔を見つめている。
げっ? ちょいとイルカさん? その人、たぶん結構年上よ?
亭主持ちだし。確かに滅多にいない美人で巨乳だけど。……っ
てイルカって巨乳好きだったっけか??
「……失礼ですが」
「うん?」
「三忍野教授でいらっしゃいますか?」
美女は片方の眉をちょいと上げてみせる。
「おや、知ってたかい。…ああ、あんたもK大なんだね」
「ええ。俺は医学部ではありませんが。……やはり、ツナデ姫
様なのですね。お噂はかねがね。…お会い出来て、光栄です」
……姫って何だ? んな有名人なわけ?
「イルカ、知っているのか? この人」
「…間接的にな。ウチの大学の大先輩だよ。伝説的な才女で、
天才的な外科医。……で、現在医学部の教授、ですよね?」
「おやまあ、テレちゃうねえ。…確かに私は医者で教授だけど」
………K大OBかよ。んで、現医学部の教授か。…あ、マズイ。
…学部違っててもちゃんと挨拶しとかなきゃ。
「うわあ、ウチのガッコの教授だったんですかあ。失礼致しま
した。……でも医学部って、デカイから独立して別の敷地にあ
るって……確か、だいぶ離れた駅だよな。学部違うのによく知
ってたなあ、イルカ」
「ウチの教授がツナデ姫様のファンで、よく話してくれたから。
写真も見せてもらったし」
ツナデ姫様は眉間にシワを寄せた。
「………ドコの誰だい、ソイツは」
イルカはしゃらっと答えた。
「教育学部の奈良教授ですよ。学生時代からの密かなファンな
のだそうです。尊敬していらっしゃるというお話で」
「……奈良シカクか……覚えているよ。そういや、医学部でも
ないのにしょっちゅう顔出してたな。……薬草の研究が趣味と
かで。……ふうん、なるほどねえ……」
彼女の口調と表情に、何となくその奈良シカク教授とやらが気
の毒になってしまったのはオレだけだろうか。イルカとツナデ
姫様が和やかに社交辞令の応酬をしているところに、賑やかな
エロ作家が戻ってきた。
「おう、待たせたな、坊主! まだ引越し荷物がゴチャゴチャ
しとってのお。何がドコにあるやらじゃ。ほれ、コイツは進呈
本。まだ発売前の新刊だぞ」
うわああっ! マジ? イチャイチャシリーズの新刊だあぁっ
!! ラッキー!
「頂いていいんですかーっ? うわあ、嬉しいです。ありがと
うございます! あ、あのこっち、オレの同居人でうみのって
いいます。イルカ、教授の御主人だよ。作家の自来也先生」
イルカはエロ作家にも丁寧に頭を下げた。
「うみのです。どうぞよろしくお願いします、自来也先生」
「何じゃ、もう一人おったのか。自来也じゃ、よろしくの。…
…おぬしはわしの本は知っておるか?」
イルカは微笑みながらオレをチラッと見る。
「存じてますよ。コイツが先生の文章が好きだって言って、結
構買ってきますから。俺も読ませてもらっています。……この
間の自然科学系の雑誌に書かれた地球環境問題についての論文
は興味深いものでした」
エロ作家はいきなりオレとイルカの首に両腕をがしぃっと巻き
つけた。こ、これってハグっすか?? プロレス技なんじゃね
ーのかっ?!
エロ作家は咆えた。
「わしは感動したぞぉっ!!! あれは三忍野の名で書いてお
るから気づく人間が少ないんじゃ! エッセイ以上にのおーっ!
なんつー貴重なガキどもじゃっ!」
そ、そーなんだよね。珍しい姓なんだから、『三忍野』って聞
いた時にオレもすぐ気づけば良かったんだけど。真面目な物を
書く時はこのおっさん、『三忍野自来也』っていうフルネーム
なんだ。で、エロ書く時はただの『自来也』で……あの、どー
でもいいけどすっげー苦しいんですけど先生………
「……感動したのはわかったから放しておやり、あんた。窒息
しそうになってるよ」
「おおそうか、スマンスマン」
……ありがとうございます、姫様。ぶはぁ…深呼吸。イルカも
苦笑している。
「読んだのは偶然でしたが……すごく知識の幅がお広いですね。
バックナンバーを見たら、両生類の生態についてのレポートも
発表なさってて……凄い方だと思っております」
はー、とツナデ姫様はため息をついた。
「まー、スゴイはスゴイんだけどねえ。バイト気分で書いたエ
ロ小説の方が売れるって言う悲しい現実がこの人を学者じゃな
くてエロ作家にしちまったんだよねえ……もう身も心もエロ作
家だもんねえ……」
大男は居心地悪そうに背を丸める。ごめん、オレもどっちかと
いうとエロの方が好きかも。文章にユーモアがあって。
「………エロエロ言うなよ、ツナデ………」
美女はキッとエロ作家を睨む。
「じゃあエロ小説なんて書かないで欲しいね。私が迷惑なんだ
よ! アンタが変態じみたプレイを書くとねえっ……私がやっ
てるんじゃないかって疑うバカがいるんだからっっ」
うわ、そりゃあ迷惑な話だ。
イルカは涼しい顔でフォローを入れた。
「大丈夫ですよ、教授。大多数の読者はそんなこと思いません
から。推理作家が実際に人殺しをしているわけじゃないのと同
じで。……もしもそんな事を言う人がいたら、十中八九、やっ
かみですよ。教授が美人だから」
イルカさんってば、これだから老若男女におモテになるのね…
……嫌味でもお追従でもなく、さらっとこういうセリフ言えち
ゃうんだから。ほ〜ら、姐さん頬染めちゃっているじゃない。
フェミニストでお人好しなイルカは更に続けた。
「荷解きがお済になってないのでしたら、昼食の仕度も大変で
はありませんか? よろしければウチでご一緒にいかがでしょ
う。大した物はありませんが。……なあ、カカシ」
オレは急いで頷いた。
「あ、うん。……良かったらどうぞ。…そーだ、引越しの片付
け手伝いましょうか、オレ。自来也先生は徹夜明けで寝不足な
んでしょう? ウチのソファで良かったらメシ出来るまでお休
みになっていたらいいし」
巨乳美女とエロ作家は顔を見合わせた。
「……お言葉に甘えてもいいかねえ? 私はすごく助かるんだ
けど」
「………わしもじゃ。…ちょいとでいいから横になりたいと思
っておるところでの」
これで決まり。
自来也先生はウチに上がりこんでソファに寝転るなりいびきを
かき始めた。何処でもいつでも寝られる人っていいなあ……単
に疲れているだけなのかもしれないが。
イルカが四人分の昼食を作っている間、オレは新刊(しかも書
店流通前!)を作者のサインつきで頂いたお礼も兼ねて、隣に
越してきた美女の手伝いをした。
家具の配置は運送屋が大体やってくれていたから、オレはプラ
イバシーの侵害にならない程度の梱包解きやら、力仕事をした
んだけど。一番喜ばれたのはDVDレコーダーの接続とパソコ
ンの設定だった。女の人はこういうの苦手な人が多いからね。
そこまで終わったところで、オレの携帯にイルカからメシ出来
たぞ、の知らせが来て。
オレはツナデ様(何故かいつの間にかこの呼び方)をエスコー
トして部屋に戻った。
相変わらずスゴイなあ、イルカは。今貰ったばかりのざる蕎麦
に、けんちん汁、いなり寿司、海苔巻きがテーブルに並んでい
た。
ツナデ様は両手を頬にあてて、「まあ」と感動のご様子。
「すごいねえ。よく短時間でこんなに作れるもんだ。カカシ君
(オレもいつの間にかこの呼ばれ方)も器用だけど、あんたも
器用だね。これからの時代、料理の出来る男はモテるよ」
「…いえ、お口に合うといいんですが……あ、自来也先生、起
こしましょうか?」
姫様は「いい、いい」と手を振る。「寝かせといてやって。腹
が減ったら起きてくるから。それまで悪いけどソファ貸してね」
そして、エロ作家のいびきをBGMに、思いもかけない奇妙な
昼食会は始まった。
冷静に考えると、これって何だかすげえ状況。
お隣に有名エロ作家夫婦が越してきて。しかも、奥さんは超絶
巨乳美人の天才教授。
「んー、美味しい。人に作ってもらうゴハンは美味いねえ。…
…ふふふ、いい所に越してきたなあ…」
ツナデ姫様はイルカとオレを見て妖艶な笑みを浮かべた。
は…ははは………(汗)
―――しまった。もしかしてこれからも便利屋扱いされてしま
う可能性大。…うぅっ紅姉ちゃんで学習済みなんだよなー、こ
のテの女の人はマジで人使いが荒いんだって……
………まあいいか。
オレはチラッとウチのソファで寝ている作家殿に眼をやった。
何となく余禄や役得もありそうだし。

今後、この出会いが吉と出るか凶と出るかは神のみぞ知る、と
いうところだろう。

 
 
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
小ネタにしては長いな、どーするべー、と思ったのですが、企画のひとつなのでムリヤリ
こっちに。(笑) 『イルカ先生BD企画・小ネタ3本勝負』第二弾。
自来也とツナデ姫登場。ここでは夫婦になってもらいました。『三忍野』って苗字が笑えます。
最初は『忍野(おしの)』さんだったんだけど、『三』もつけちゃえ、と。『みおしの』とでも読んで
ください。自来也かツナデのフルネームが出たら、変えようかな、と。
ホントは四代目も出したいっすー!! こっちだと堂々と生きている状態で出せるし!!
でも名前がわかんない! K大アイドル教授ヨン様(爆笑)。…まずい、イルカカじゃなくなって
くるぞ。

(05.05.27)